ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

加藤静一文集『十年経たるか』 (2)

自己の周囲のもろもろすべて自己の延長拡大でもあることを深く認識することが前提であり、この認識なくして単に汝の隣人を愛せよと言ってみたところで、それは偽善的であるとも反論されかねないのである。しかし、またこんな先哲の言を繰り返してみても、これは要するに理屈であり、知解の域で体得せねば本物とはいえない。」
(『毎日新聞』昭和49年5月21日「自己と他己」)p.30

しかし、人生は常に生存競争であり、適者生存の原理に支配されていることを思い、自分に適した仕事はなにであるかを考え、なにもそろって同じ方向に進む必要はない――みんながみんな一流高校や、大学を目指すことこそ間違っているんだと、世の教育ママたちも悟るならば事態はもっと大らかになるであろう。それに、「少年の才子は愚に如かず」ともいわれるように、希代の秀才もその多くは若くして病死したことを思えば、人間の一生の総和は大体定まっているようである。神様の恩寵は案外すべての人に均分されていて、えこひいきの少ないものかとだれしも中年老年のあきらめの時代になると、多少悟ってくるものであるが、…
(『毎日新聞』昭和49年6月4日「競争相手」)pp.33-34

嫉妬心は特に女性の方が強烈なようであり、昔の『女大学』にもこれを戒めているが、男性とても本質的には同様であって、私は人間生来の原点的な業――原罪とでも言うべきものかと考えている。」
(『毎日新聞』昭和49年5月28日「嫉妬について」)p.31