ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

主婦が家を空ける時

帰国したのはいいのだけれど、案の定、主人の体調がすぐれず、向こうでも繰り返し言っていた「最大二週間の滞在」が限度だなあ、と再確認。基本は、食事と睡眠と安定した環境が健康維持には大切だと思いました。休みの日以外は、どうやら買ってきたお弁当やお寿司で間に合わせていたようです。ただ、サツマイモのふかしたものが好きで、自分で作り置きしては栄養補給していたそうです。出発前、私の方も好物のカレーをたっぷり作っておき、温めてすぐに食べられるようにはしましたが。
主人が一人でがんばっているのだから、こっちも遊んではいられない、と必死になるので、その迫力(?)が向こうの方達にもかえって印象づけられるのか、相乗効果として、非常に協力的でした。感謝の限りです。
家事が嫌いではないので、さっそく、掃除と洗濯と(なんせ二週間分!)食材買い出しと夕食作りに専念していたところ、自分の平常感覚が戻ってきました。このようにして、旅の行程を自分なりに反芻する時を持ち、思い立ったことを広告や失敗したコピー用紙の裏紙にその都度メモしていたら、あっという間に何枚にも達してしまいました。まだ、日本の新聞が積み上げられたままで、メールの返答もしていません。早速、何人かの人々から、写真やら重要書類のコピーやら連絡事項などのメールが届いていました。私のパターンとしては、週末まで休憩して、荷物の片付けを終え、資料の整理をし、プランニングをしてからの返答となりそうです。事を急いでろくな事はありませんから。
ノートパソコンを持って行かなかったのかって?いえ、持って行きました。でも、残念ながら、コンセントの穴のサイズが合わず、今回も両国で使用不可能となりました。
シンガポールでは、国立図書館でも、皆メモ用紙代わりに携帯を使っていて、身のこなしがさすがにスマートな感じでした。ただ、私の場合は、やはり手書きの方が断然早いのと、生の記録を保存したいのと、携帯を使っても多分あっという間にメモリーが終わってしまうほど、こまごまとメモするために、携帯メモは使いません。ペンを小さなメモ帳に挟み込んで、事あるごとに取り出してメモっていたら、19年前から家族ぐるみの付き合いをしているインド系女性の息子さん(27歳の立派ないい青年に成長していました!)から、「アンティ(年上の女性を親しみを込めて呼ぶ時の呼称)、その字でちゃんと読めるの?」なんて言われてしまいましたが、読めるのですよ、サンジーフ君。君達のようなIT人間とは違うのですってば。
思えば、自宅で鬱屈した思いを抱えながらも読書に奮闘していた時間が、この度のリサーチ旅行で一気に花開いた感覚です。やはり、大学の知名度や競争的獲得研究資金云々ではなく、話の合う事情のわかる人達と議論しなければ、目的が頓挫してしまいます。
今回も、ニュージーランドの長老派神学校の名誉教授と、偶然にもマレーシアの神学校図書室でお目にかかることができました。ホームページで拝見する以上に、柔和で落ち着いた良い感じの先生でいらっしゃいました。図書室助手のサクティさんが非常に気の利く人で(参照:2007年9月22日・11月12日・2008年2月13日・3月20日・3月29日・5月24日・12月29日・2009年5月14日付「ユーリの部屋」)、資料に没頭していた私に、「教授がここにいらしていますよ」と耳打ちしたかと思うと、すぐに私を教授のところへ連れて行ってくれました。
思いがけない突然の展開でしたが、簡単に自己紹介したところ、「あなたはいいバックグラウンドを持っていますね」「あなたが送ってくれたあの論文、なかなかよく書けていましたよ」などとお褒めいただき、驚くやら感激するやら...。「でも先生、私、今大学の所属がないんです。論文を書いても、どこに送ったらいいのかわからないんです。どこかお勧めの機関はありませんか」と申し上げると、すぐさま「ハートフォード神学校に出しなさい」。「でも条件は....」「いや、内容さえよければ、大丈夫、取り上げてくれるはずです」ときっぱり。これほど大きな安堵感を覚えたことはありません。(日本だと、学会でもすぐに、「ご所属は...?」とあからさまに尋ねられますし、人によっては、「じゃ、まだ駄目ですね」と。何が駄目なのか、そちらが仕事をさぼっているせいで、こちらが長年えらい苦労しているじゃないですか、と内心ぶつぶつ...なのですが。さすが、世界は広い。ついでに主人いわく「だから言っただろう?いい研究機関ほど、些末にこだわらないんだよ。見る目があるから、表面的なことに左右されないんだよ」。じゃ、これまで私は見る目のない人々に囲まれていたってわけですか?!)
「先生、私はハートフォード神学校のジャーナル『モスレム世界/ムスリム世界』をサミュエル・ツウェーマーの時代から現代まで通してざっと読みましたけれど、最近の傾向には同意できません。昔に比べて随分内容がイスラーム化していますし、ムスリムをなだめるために偏向しているような気がしています」とお尋ねすると、きっぱりと「いや、そんなことはありませんよ。神学校側はわかっています」。
こういう議論を日本でも望んでいたのです!でも、日本の場合は、例えば「このジャーナルの神学的傾向は何ですか」と質問すると、守備範囲外だと知るやいなや、あっさりと「わかりません。○○先生に聞いてみたら?」と外国人客員教授の名を挙げるほど、日本人教授には勉強不足が目立ちます。そういう態度だから、熱心な学生が集まらなくなるんですってば!それを、ゆめ学生のせいにしてはなりません。自分の行いが学生に反映されて返ってくるのです。
このニュージーランドの教授のお話は、またおいおいこのブログでも書かせていただきます。では、今日はこの辺で。