ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

物事はすっきりと整理しよう

このところ、パソコン上に保存してある数年前の新聞記事やサイトなどを整理しています。不要なものや、既に閲覧不可となったサイトは、迷わず削除です。そして、フォルダーを新しく編成し直して、興味関心の移り変わりに応じて、できる限りすっきりするようまとめています。たいした作業でもありませんが、取りかかってみると、心理的な澱のようなものが少しずつ剥がれていく感じで、あたかも年末の大掃除を少しずつしているかのような気分です。やはり、整理は時々しておくものですね。
こうしてみると、自分でもマレーシアの宗教事情の変遷や事態の進展過程がわかってきます。情報を集めていた頃は、とにかくめまぐるしく進む事態を追っかけるのに疲労困憊し、一体、何が何だかわけがわかりませんでした。90年代には聞いたこともなかったグループが存在していたり、和解と相互尊重を推進していたはずの大物政治家が、大事な土壇場でいつの間にかどこかに消えてしまっていたり、レポートすら書けない状態でした。ところが、時間というものはやはり必要で、今になってみると、なるほど、こういうことか、と頷けるようになってきました。
なぜこれほど時間がかかったのか。もちろん、こちらの能力不足もありますが、基本的な物の考え方や概念が異なるからだろうと思います。
昨晩も、資料の整理をしていて、つい読みふけってしまったのは、ハートフォード神学校『ムスリム世界』誌上の報告「カイロでの会話:他宗教に対する同時代のムスリム見解」です(“The Muslim World”, Vol.70, No.3-4, July-October 1980, pp.171-195)。(『ムスリム世界』については、2008年4月14日付「ユーリの部屋」を参照。)1977年秋にカイロでニュージーランドカンタベリークライストチャーチ大学のクリスチャン教授が行った20数名のムスリムグループに対するインタビューなのですが、これが実におもしろい。おもしろいというのは、問題が依然としてそのまま現在まで続いているからということと、マレーシアで身に覚えのある見解が出てきていたからです。そのうち、ダイジェストをご紹介できればと思っています。
このレポートに関連して、前から気になっていた妙な本のことも、ご紹介しましょう。2003年8月にマラヤ大学の書店で購入した薄い本です。
Mohd. Nazari Ismail,"Paradox of Faith: Is Islam A Hindrance To Business Success", University of Malaya Press, 2001.
買った理由は、こちらの通念ないしは常識とかけ離れたように思われる記述が目立ったこと、マレーシアは恐らく今後このような方向で国家形成を唱導していくのだろうなあ、と感じたことからです。これは大変だ、という意味で「妙な本」だと私は思っています。
著者は、当時マラヤ大学経営学部のビジネス政策戦略学科長でした。マラヤ大学経済学部を卒業後、ウエールズ大学とニューヨーク市立大学で学び、MBAを取得、マンチェスタービジネススクールで、博士号を授与されています。また、1999年にはフルブライト客員教授としてミシガン大学に在籍しました。
このように、華々しい経歴の方なのですが、本書の内容が、なんともがっかりさせられるもので、これなら、結論を最初に持ってきて一言で終われるのではないかとさえ感じられました。しかし、これこそが、多くの現代ムスリムが抱える矛盾や葛藤なのでしょう。

要約すれば、次のようになります。

イスラームは、職業として、ビジネスに対して肯定的な見解を常に有している。(p.1)
イスラームは完全な性質を持つ宗教で、全きもので、不備がなく、完全な人生方式であり、この世とあの世での成功を信徒に保証するだろう。(p.6)
ムスリムの中でイスラームの完全性に疑問を抱く者は、背教者あるいは異端者だとみなされるだろう。なぜなら、そのような立場は、アッラーの完全な性質に疑問を抱くのと同等だからである。(p.6)
・ところが、現実の世界はムスリムにとってパラドックスである。イスラームを信奉する社会は、ほとんど物質的に不成功である。一方、西洋の非ムスリム社会は、イスラーム的見地からは欠点や欠陥で特徴づけられるのに、経済発展と成功のモデルなのである。さらに、現実は、世の中でより裕福な人々の多数は非ムスリム国の出身である。(p.6)
・いわゆるムスリム諸国は、実際には真の「信徒」ではない。(p.8)
イスラームは成功の達成をあの世におく。(p.12)
イスラーム的人生観では、この世は一時的な場であり、完全に神に従った人生を選ぶ人々に対して神が備えるあの世で、永遠の天国に自分が値するかどうか神に証明することなのである。(p.27)
ハディースには次のようにある。「この世は、信者にとって獄中のようなものであり、不信者にとってはパラダイスである」(p.29)
・残念ながら、世界で最も汚職の多い国には、多くのムスリム諸国が含まれている。1996年12月の「銀行家」の資料によれば、最も汚職の多い国は次の順である。
1.ナイジェリア 2.パキスタン 3.ケニヤ 4.バングラデシュ 5.中国 6.カメルーン 7.ベネズエラ 8.ロシア 9.インド 10.インドネシア
ちなみに、マレーシアは最も汚職の多い54カ国中、29位である。最も汚職の少ない上位10カ国は、次のようである。
1.ニュージーランド 2.デンマーク 3.スウェーデン 4.フィンランド 5.カナダ 6.ノルウェイ 7.シンガポール 8.スイス 9.オランダ  10.オーストラリア(pp.45-46, 58) 
ムスリム諸国に見られる他の特徴は、運命への強い信仰と何事も許す態度である。従って、ムスリム諸国では、製品の欠陥やサービスの失敗は比較的大目に見られる。(p.49)
・事故に遭遇するムスリムの犠牲者は、事故が起こるよう運命づけられていたと考えられている。だから、相手方を責めることに焦点を当てるよりも、まず神を思い出すべきなのである。ムスリムはまた、許す態度を持つよう奨励されている。1980年代末、マレーシアの私立宗教学校で建物が燃えた時に、数十人の生徒が亡くなったのだが、貧相な建築で火の元の安全性が欠けていても、誰も告訴しなかったのは、この態度から説明される。(p.50)
ムスリム諸国が世界でも最も貧しい状態にあるのは、ムスリムイスラームを充分に実践していないからである。(p.59)
ムスリムはしばしばビジネスや経済の領域で「成功」に至らないが、それは、イスラームに厳格に従うことを選んだという事実による。しかし、この状況に絶望すべきなのか。ムスリムは恥じるべきなのか。いや、もちろん違う!(p.60)
・本当のムスリムは、お金に不足したり、健康が不良であっても、霊的に良好だろう。イスラームの完全な性質はまた、完全な人生方式を提供する能力もある。例えば、調和的で平和的な社会関係、個人と社会の良好な関係などである。(p.64)
イスラームが与える繁栄の約束は、あの世における人生を指すのみである。(p.65)
・完全な人生方式としてのイスラームをすべて受け入れるような社会をつくる努力がなされなければならない。シャリーアの優越性を受け入れなければならない。さらに、神の言葉をすべての事柄において中心に据え、卓越させなければならない。(p.67)

ここで突然のように話が終わっているのですが、結局のところ、「イスラームを完全に実践するよう努め、この世の物質的な栄達ではなく、あの世での天国入りに期待しよう」というお勧めのようです。せっかくビジネス経営精神を教授されるのであれば、時間の使い方や金銭管理の仕方や対人関係の築き方や世の中の動向を見抜いていく智恵などを、イスラーム的観点から提示する方が遙かに実践的なのではないかと思うのですが。これでは、あまりに曖昧模糊としていて、具体的な目標すら立てることが困難ではないでしょうか。しかも、「あの世」に望みをかけるよう、大学の先生が本に書いて諭すというのは、ちょっとついていけません。それでも、「イスラームを理解していない」と責められる、あるいは、無視されるのは、こちらなのですから。
相互理解が難しいとはいえ、少なくともこのようなムスリムの物の考え方を知っておくことは、必要ではないかと思います。そして、こちらとしては、こちらの価値観や自己基準で考えていき、物事をすっきりと整理すること。これしか共存の方法はないように愚考しているのですが。