「アンネの日記」を見終わって
英国版ドラマ化「アンネの日記」が昨夕で終わりました。その後、インターネットの英語版でいろいろと調べてみると、少女期に日本語の本で読んだだけではうかがいしれなかったような、複雑な背景が少しずつわかってきました。なぜ、危険を冒してでも隠れ家の生活を援助する人々がいたのか、そういう人々の思想的背景は何だったのか、などについて、もしかしたら、従来感じていたほど、単純な理由ではなかったのではないか、もっと複雑な実利的側面も絡んでいたのではなかったか、などです。
驚いたのは、「誰がアンネ達を密告したのか」という‘裏切り者’の追求が、2000年代に入った今でも続いていることです。アイヒマンの追求と似ていて、強い執念を感じます。厳しい収容所生活を生き延びたアンネのお父さんは、もともと名家の出で誇り高き人でもあったので、娘の日記を出版することで存在を示したかったということもあったのではないか、と思います。また、勇気ある援助者の一人ミープさんは、ずいぶん長生きをされ、100歳近くだそうですが、元々、何か持てるものが違うという気もします。
とにかく、日本語だけで理解しようとしても、限界があったということがよくわかりました。宗教的にも、ほとんど無信仰に近いユダヤ人だった、という西欧ユダヤ系フランク家の背景、将来は「パレスチナで助産婦になりたい」と言っていた姉のマルゴットの実質的意味なども、今なら重みを伴って響いてきます。もしも収容所生活を生き延びたならば、その後はイスラエルに移住して、「建国」の民の一員として活躍されていたのかもしれません。アンネが生きていたら今年は80歳。パレスチナ問題をどのように受け止め、文筆で表現していたでしょうか。
さて、昨日はE・レヴィナス(著)合田正人(訳)『聖句の彼方 タルムード−読解と講演』法政大学出版局(1996年)を借りてきました。難解ですが、こういう方面の本を読む必要性に駆られてのことです。