パキスタン動向に関する報道
「メムリ」(http://memri.jp)
Special Dispatch Series No 2265 Mar/13/2009
2009年2月16日、タリバン戦闘員とパキスタンの北西辺境州(NWFP)政府は“平和とシャリーア(イスラム法)の交換”取り決めに調印した。この取り決めにより、パキスタン政府は、同州のスワート(Swat)地区と、より広大なマラカンド(Malakand)地域で、マウラナ・ファズルッラー(Maulana Fazlullar)率いるタリバン戦闘員のシャリーア(イスラム法)支配体制樹立を認めた(ルーズナーマ・イクスプレス紙(パキスタン)2009年2月17日)。
この取り決め調印の数日前、パキスタンのコラムニストでコメンテーターの指導的ジャーナリスト、ナジール・ナジ(Nazeer Naji)は、発行部数の多いウルドゥ語紙ルーズナーマ・ジャングに「流血に向かう」との記事を書いた。パキスタンの文化都市ラホールに住むナジール・ナジはこの記事で、タリバン戦闘員はパキスタン各地を制圧しつつあり、首都イスラマバードすら、征圧される恐れがあると警告した。
以下は、この記事の抜粋である( ルーズナーマ・ジャング紙(パキスタン)2009年2月12日)。
「パキスタンが“イスラムの名において”建国されたのか、あるいはムスリムの分離したホームランドとして建国されたのか論じるのは無駄なことだ。しかし、パキスタンを(もう一度)分裂させるプロセスが、既にイスラムの名前で始まっている」
「(私は先に書いたコラムで)イスラムのムジャーヒドゥン(聖戦士)を自称し、パキスタンの様々な地域に自らの国家を樹立した武装グループ(の存在を)指摘した。FATA(アフガニスタン国境沿いの連邦管理部族地域)内には今や様々な軍閥(タリバン司令官)が支配する幾つかの行政府が形成されている。
「(タリバンは北西辺境州NWFPの)スワート(地区に、州政府から)分離した行政府を樹立した。NWFPの全ての大きな都市は。ある程度テロリストの影響下にある。(NWFP州都)ペシャワールの高級住宅地ハイアタバード(Hyatabad)は急速に人口が減少している。富裕層がイスラマバード、ラホール、カラチに移住しているためだ。一方、これらの都市で生活費が賄えない者たちは、ハイアタバードより安全に見える、ペシャワールの軍宿営地や市中心地に移り住んでいる」
「スワートとイスラマバード間の距離はあまりない・・・パキスタンの都市のすべて━ラホール、ファイサラバード、カラチ、ハイデラバード、ラワルピンディ、イスラマバード━はタリバンの手の届くところにある」
「私は数日前スワートについて書いたコラムで、スワートとイスラマバード間の距離はあまりないと警告した。スワート地区で活動している戦闘員はアフガン国境にまで活動範囲を広げており、一方で、その影響力は反対方向(イスラマバード、ラホール、カラチに向かって)広がっている。タリバンの戦闘員はNWFPのパンジャブ州境の地区マンセーラ(Mansehra)に自由に出入り出来ている。同地区と首都イスラマバードを隔てているのは、首都を取り巻く山岳地のマルガラ丘陵(Margalla Hills)だけだ。
「事情に通じたジャーナリスト、ハミド・ミル(Hamid Mir)は今日掲載されたレポートで明らかにしたところだと、タリバン指導部は戦士のイスラマバード派遣を決定し、連邦首都(イスラマバード)のイスラム学者たちに対し、タリバンを支援するか、さもなければイスラマバードを離れるよう警告した。タリバンは、自分たちに支援を拒絶するイスラム学者の名前を襲撃リストに挙げたという。
「私は長い間、パキスタンの全ての都市、ラホール、ファイサラバード、カラチ、ハイデラバード、ラワルピンディ、イスラマバードがタリバンの手の届くところにあるとの見解を表明してきた。実際、市民の間にマドラサ(イスラム教学校)のない大都市はひとつもない。これらのマドラサで数百人から数千人の学生が学んでいる。多数の学生たちは、後進地域や貧しい家庭の出身である。マドラサにおいても、彼らは欠乏生活を送っている。これら学生たちにとって中流内下層クラスの通常家庭すら裕福に見える。学生たちはテレビや冷蔵庫もぜいたく品と見なす。
「欠乏の感覚は、学生たちの間に憎悪の精神を創りだす。この憎悪に点火する必要があると誰かが思うだけで十分だ。タリバン運動は、これら学生たちを容易に利用することができる。同運動は、イスラムの名における支配確立のため働くようマドラサの学生たちを扇動している。そして、これらの者たちは法律を我が物にし、人民に対する支配を“味見”しつつある。
「タリバン運動で活動する貧しい若者たちの大半は、実際のところ、自分たちの階級憎悪を示すために宗教を利用している。1つの問題でイスラムの名が掲げられる時、残虐さは何であれ、合法と見なされる。彼らは、略奪から首の切断に至るまで、恐怖拡大を図る行為全てについて(イスラムに由来する)理由を提示する。
「どこのマドラサにも(ジハードのために)動員可能な人力が存在する。そして、ちょっとほのめかせばタリバンの戦闘部隊に変貌しうる」
「私の考えでは、そうした(ジハードのために)動員可能な人力が、どこのマドラサにも存在する。そして、ちょっとほのめかせば、彼らはタリバンの戦闘部隊に変貌しうる。これら若者たちは、豊かな生活を送る人々に憎悪を抱いている。彼らにとって、食パン2斤以上を食べる者たちは全て富を不法に蓄積した者たちだ。思うままに行動する口実をイスラムの名で見い出し、武器を使用して人民を支配する力を握ったなら、彼らを押し止めるのは容易ではない。われわれはこの事態をFATAとスワートで既に見てきた。
「カーイデ・アーザム(偉大な指導者の意、パキスタン建国者ムハンマド・アリ・ジンナーMuhammad Ali Jinnahを指す)はかつて、パキスタンにはいかなる神権政治もあってはならないと述べた。この時、彼は現在の状況を予見していたに違いない。宗教の闘士たちが権力と富を得るために宗教を使おうとする時、彼らは常に宗教の解釈によって、自分たちの権力と支配を正当化する方法を見出そうとする。政治と国家が憲法に従属する場合、国民は自分の主張を論理と理性を通じて他人に受け入れさせることができる。しかし、宗教が介入すると、理性と論理は、宗教を傷つける手段と見なされる。
「問題はここで終わらない。どのグループも、そうした、自らの利益の基盤をその上に置くことができる思想を、宗教と言いはじめる。次いで、ムスリムが別のムスリムをイスラムの名で殺害することが悪いと見なさない事態が生じる。これは全ての神権政治で起きたことである。」
「(今、パキスタンでは多くのムスリムが同胞の)ムスリムによって殺害されている。インドのヒンズー教徒ですら、これほど多数のムスリムを殺害したことはない」
「(1971年バングラデシュ建国以前の)東パキスタンと今日のパキスタンの北西(部族)地域を例に取ろう。(今、パキスタンでは多くのムスリムが同胞の)ムスリムによって殺害されている。インドのヒンズー教徒ですらこれほど多数のムスリムを殺害したことはない。これが神権政治の必然の結果だ。
「われわれはこの戦略の罠にはまった。貧困と無知は時に神権政治を求める力の最大の源となる。この力を(タリバンに)提供したのはわれわれである。そして、米国と(パキスタンの)軍事独裁者は、この力を宗教の名で使う者たち(タリバンの意)を武装し、訓練した。米国などのねらいは、自らの利益と要求を推進するためだった。彼ら(タリバン)はまた、自らの政府を樹立するひとつの方法も発見した。アルカーイダは今やその野心を一段と増大した。現代的な科学技術を使用している。
「彼ら(タリバン戦闘員)はまた米国という異端(の敵)を創り上げた。この(異端の敵)米国を引き合いに出すことで、法と秩序を確立するために彼らを押し止めようとする者、また党派を全て異端と宣言できる。彼らは自分たちの運動促進のため(パキスタンの)民族主義の精神も利用している。
「(タリバンは)さらに将来、イスラムの核大国樹立も試みるだろう」
「パキスタンが“イスラムの名で”建国されたのか、それともムスリムの分離したホームランドとして建国されたのか、論じるのは無駄である。しかし、パキスタンを(もう一度)分裂するプロセスが既に“イスラムの名で”始まっている」
「ヤヒヤ・カーン(Yahya Khan)(パキスタン元大統領で元・陸軍総司令官)は宗教政党と一緒になり“イスラムの名で”東パキスタンを軍事攻撃した。その結果、東パキスタンはバングラデシュになった。(パキスタンの元・軍事独裁者)ジアウル・ハク(Zia-ul-Haq)は(1980年代アフガニスタンで)米国の戦争を“イスラムの名で”戦った。現在、同じイスラムのムジャーヒドゥン(聖戦士)がパキスタンを分裂させようとしている。
「(パキスタンの部族地域に)ワジリスタン・イスラム首長国が(タリバンの司令官バイトッラー・メフスードBaitullah Mehsudによって)樹立された。スワート地区でも、あらたなアミール(マウラナ・ファズルッラー)の下でもうひとつのイスラム首長国が出現しつつある。さらに将来、彼らはイスラム核大国の樹立も試みるだろう。
「(米国の)対テロ戦争に対し国際的戦線を立ち上げねばならなかった。しかし、その戦場がパキスタンになるとは、われわれは予期しなかった。われわれのホームランド(パキスタンで)歴史における最も残虐な戦争が今始まりつつある。アフガニスタンの運命もまたパキスタンで決まると言う者もいる。パキスタンの運命について、どんな決定が、どのようになされるのか(われわれが考える時)、異なる複数の地図が脳裏に浮かび上がる・・・」
(引用終)