ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

雑感その2

今、首切りだとかで大企業も目を覆うばかりの報道が連日続いています。私の出身地の名古屋は、もともと堅実で地味な気風だけれども、経済は好調で元気がいい、と昨年後半まで言われていました。ところが、今朝の新聞によれば、とんでもない赤字数字が。うわぁ、と思いますね。心臓によくないよくない...。名古屋で知り合いだった人々の顔が、次々と思い浮かびます。
ただ、物は考えようです。こういう時こそ、本質を見直し、基本に立ち戻り、足元を固めてしっかり乗り切ろう、と思うのです。まあ、4,5年は覚悟して、がんばりましょうや。
そもそも、贅沢になり、物にあふれ、便利になると、人間ろくなことを考えなくなります。身に覚えがありますが、多少、大きなお金を給与としてもらうと、つい自分の実力もその程度だと見なされたように勘違いして、気が緩むわけです。ちょっと疲れたから、お金で解決しよう、などと、怠け心が出てしまいます。まだ充分使えるものも、見栄えを気にして処分してしまったりもしました。
研究費や奨学金を申請しないのは、その時の償いの気持ちからでもあります。もっとも、世間的には「何やっているの?あの人...」と思われたとしても仕方がないでしょう。ただ、申請しなくても、過去の貯金で充分できる程度のことしかしていないとわかっているからでもあります。その点、人の目は厳しく、また、正当でもあります。
科研費プロジェクトを組んでいない大学や機関の方が、案外、地味でもきっちりとしたいい仕事をしていることに気がつきました。また、そういう大学に連なる先生方や学生さん達の方が、丁寧な挨拶ができ、礼儀正しく、態度が落ち着いていることにも気づきました。ここでも、やはり、人の目はごまかせないと思います。
今朝、主人と話していて、こんなことを教えられました。「大丈夫だよ。そのまま続けていればいいんじゃないか。今は無理して外に出る必要ないよ。家でもしっかり働いているんだし。うちの会社でもさァ、このご時世で残っている人は、若い子じゃなくてオバサン達の方だよ。それも、もっさい感じの人。だけど、すごく気働きができるんだよね。学校出ただけで、おしゃれして働きに来る若い子だと、どうしても間に合わないから、結局、切られちゃうんだ。主婦でも、ちゃんと家のことやっていた人は、その経験が会社で生きてくることもあるんだよ。それに、ユーリの話によく出てくるような変なことを言ったりしたりする人は、結局、敬遠されて、外されていく。残ってほしい人には、年齢に関係なく、残ってもらっているよ」。
もしそうだとしたら、今やっていることにも、少しは自信と誇りが出てきます。私の学生の頃は、新聞広告の求人募集でも、年齢制限30歳が普通でした。指折り数えて、焦ってばかりいたものです。また、資格が必要だとか、条件の合う合わないを取り沙汰する人がいます。でも、よくよく話を聞いてみると、そういう表面的な条件ではなく、即戦力や底力、そして持続力のあることの方が重要だそうです。
確かに、私も主婦になってから、視野がぐんと広がったと思いますし、世の中には日の当たらない所で、さまざまな仕事を黙々とされている人々が非常に多いこと、でも、そういう人こそが社会の安定や発展を支えているんだということが、理屈や文字面ではなく、実感としてわかるようになってきました。毎日の買い物一つとってもそうです。食材の産地など、学べることは数限りなくあります。スーパーの掲示板や町のご意見番を読むと、結構辛辣なコメントが寄せられています。それを見て、自分への励ましにしています。
そうすると、不思議なことに、直接は関係のないように見えた自分のテーマにも、光が射して、やる気がわいてきたのです。(とはいっても、現地の状況から落胆することも大きいですが。)
実は私、こまごました書類の整理など、子どもの頃から大好きでした。今でも、家に関する重要書類のコピーをとり、日付を記入し、ファイルに綴じ込み、シールを貼って整理することがとても好きです。高校生の頃、将来の進路を担任から問われて、「事務員になりたいです」と答えたところ、「バカ野郎!この高校のこのクラスに入って、そんなこと言うヤツがあるか!」と叱られました。しかし、それも変な話です。事務員といっても、いろいろな種類があります。いわゆる外資系あるいは国際機関の事務なら、少なくとも、英語とフランス語ぐらいはできて当たり前でしょうし、やり方次第で、いくらでも昇進の可能性はあったはずです。もし、そのように励まされていたら、私の人生、もっと違っていたかもしれません。今でこそ、たまたま「研究」と偉そうに称して、マレーシアに関する調べ事をしていますが、これも成り行き上、そうなったまでの話。調べたからといって、就職の可能性も保障もないし、お金稼ぎにもなりません。ならば、事務系の仕事で、人生を切り開いていた方が、遥かに、精神的にも余裕のある暮らしだったでしょう。あくまで結果論ですが。