ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

幸福感をつくり出す

おかげさまで風邪の方は、咳を残すまでに回復しました。
やっぱり「病は気から」で、風邪をひいたら、栄養をとって温かくして、ゆっくり休み、なるべく好きなことをしていると治りが早いようですね。昨日の夕方から夜にかけては、You Tubeでお気に入りのクラシック演奏家をクリックして流しながら、読んだ本のノートをとって過ごしました。至福の時間でした。外は大雨が降っていたというのに...。
叱られるために生まれてきたような感じだった私は、子どもの頃、事ある毎にバシバシ箒や物差しで叩かれてばかりいました。理由がわからず叩かれているうちに、鼻血が出ることもしばしば。そのうちに、体がカッカと熱くなり、ほてってきて、体温計を探して測ると、どうやら熱があるらしい。熱を出したら出したで、また叱られるという始末。小学校3年生の頃から、39度の発熱でも、保険証を持って一人で医院へ行っていました。看護婦(当時の呼称)さんが、「こんなに熱があるのに、一人で来たの?家には誰もいないの?」とびっくりしたことをよく覚えています。私の方は、病気になった自分が悪く、自分の問題は自分で始末をつけるのが当たり前のことと思っていたので、何を言われているのか理解できませんでした。「電話かけてあげようか?」「いいえ、いいです。怒られますから」。この会話は今でもよく覚えています。
落ち着いて考えてみれば、今では8歳9歳の子でも、大きな協奏曲のソリストを務めるのが珍しくもない時代。もちろん、才能があるからできるのですが、私だって、一人でできる力があったから今もこうしていられるのだ。そう思って、むしろ過去に自信を持つよう、考え方を方向転換しています。
血縁にも相性の不適合という事例が厳然と存在します。家族だからこうあるべき、と最初から決めつけないこと。人に依存するから悩みが生まれるのであって、状況が変わらないのであれば、さっさと見切りをつけて、自分が居心地のいいと感じられる場所で地道に堅実に生きていく方が、遥かに健全で賢明です。
幸いなことに、だからといって学校でもいじめられたことは特にありませんでした。誰かがいつも友達になってくれ、孤立していたとも思いません。また、どんな状況でも、自分で何でもやる癖がつきました。本や音楽などの世界に浸って楽しむ習慣もできました。家の中でさえ厳しかったのだから、世の中はもっと冷たく厳しいのが当たり前。国だって社会だって家族だって、誰も面倒なんてみてくれない。期待する方が間違っている。甘ったれるな。いざとなれば、反社会的でない限り、どんな仕事でもして、どこでも一人で生きていけるような自分に仕込んでおかなければ、と前もって覚悟する。
小学校低学年の頃から、真剣にそう思っていました。だから毎日、何事にも一生懸命でした。
今だってそうです。研究発表も自腹を切ってやる。その代わり、これが最後であって次はないものと思って出て行く。世界には、もっと悲惨な状況下で生きていかざるを得ない人々が大勢いることを思えば、わけないことです。
大人になれば、もっと大変になるだろうと思っていたので、今のような状況が本当に幸せです。少しでも咳が出ると、「おかず買ってきてあげる」と不自由な体を押して出かけてくれる主人がいる。「薬も買ってきたよ。合うかな?」これも、うれしいですね。それだけで、治ってしまいそうな...。
というわけで、咳は続きますが、今日も幸せです。幸福感は、与えられるものではなく、自分でつくり出すものです。