ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

再教育の必要性

今朝の朝日新聞朝刊には、京大総長と阪大総長の対談が大きく掲載されていました。そこからの抜粋引用です。

・「最近の大学生はものごとを広く見ることができない」という声をよく聞きます。
・専門知識はあっても、その領域を離れると常識や教養に欠けているという批判です。
・専門外のネットワークをつくる力量が必要です。
・もっとタフにならねば。
・自分と相手の話をどちらも生かせるような方向を見つけなければなりません。
・この自由は勝手気ままという意味ではありません。
・学問とは“真実をめぐる人間関係”でもあり、「心・技・体」ならぬ「心・知・体」を育まなければ、究めることは難しい
・第一に基礎。第二にときめき。第三に責任。
・学生はキャンパス内の同じカラーの人間だけと一日を過ごすことが多い。大学生も含め子どもたちは、日常的に地域で鍛えられるべきです。
・関西で学ぶメリットは、現在のトレンドや直面している困難を、距離を置いてじっくり眺められること。
・生き延びた理由の一つは、虚飾は慎むが必要なものにはお金を使うという伝統があったから。
・本当に大事なことは、自分たちでやる市民力
・ひと言でいうと苦労してください。苦労しなければ人の痛みはわかりません。
・本質的なダメージを受けること。他人の大事なこと、痛いことがわかるようになるし、やり直す時に強くなれます。

同じことは、学生や院生だけではなく、今の大学の先生方も充分該当するのではないでしょうか。これまでの限られた経験では、主婦の目から見ても(失礼な人)と感じる大学の先生がいないわけではありませんでした。そういう人に限って、「私は人間関係の作り方が上手だ」とか「業績があるので」など、自分で言っていることが多いのです。再教育の必要がある対象は、まずは、私も含めた大人だと思います。
人を指差す前に、「常識や教養に欠け」「勝手気まま」で、「基礎」も「ときめき」も「責任」もなく、「同じカラーの人間だけと一日を過ご」し、「虚飾」はあっても、「苦労」と「本質的なダメージ」が不足しているのは、一体誰なのかということをよく考えなければならないでしょう。