ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マルクス主義史観の教科書世代

日本が外国から見てどのように映るか。メディアは事ある毎に「諸外国の反応」を盛んに言い立てますが、私自身は普段、意識しているようで意識していない側面です。「諸外国」と言っても、どの時代や状況を背景とした文脈か、どの社会階層やイデオロギーに属するかによって、相当に異なるからです。むしろ個人レベルでは、他国のよい面から常に学びたい、学ぼうと思って必死。これは若い頃からの習慣で、なかなか抜けきれません。
とはいえ、基本軸が日本にあることは、空気のように当たり前過ぎて、わざわざ言い立てなくても....。ですから、昨今の東アジアの緊張問題について、ナショナリズムの対立を煽っているかどうかは、必死にならなければならないほど危機感が募っていると解釈しています。そして、それは危険ではなく、ある程度までは必然的。自分の国を自分達でしっかりと守り、社会の安定と経済の繁栄を願うのは、当たり前のこと。自文化に誇りを持ち、安心して一生懸命に創意工夫のもとに生きている姿は、他国から見ても健全で好ましく映ることと思います。基本的価値観を共有する同盟国と、良好な関係を維持できるよう努力しつつ、信頼と協力体制を大切にしなければなりません。
鎖国期でも、ドイツ語文献などを(原文あるいは翻訳で)読むと、宗教戦争など戦乱の多い欧州と比べて、日本があまりにも平和で、人々が清潔に、質素だけれども幸せそうに暮らしているという、実にうらやましそうな記述があり、励まされます。
ここ数日、突然のように、そんなことを漠然と感じました。確かに、公立の学校に通ったために選択の余地がなかったとはいえ、マルクス主義史観の影響下にある学校教科書で学んだ世代だと痛感します。それでも昨今の教科書ほどひどくはありませんでした。「戦後レジームからの脱却」の真意も、第一次安倍内閣の時にはうさんくさく感じていましたが、今の文脈ならば、納得がいきます。
ただ、私の場合の幸運は、子どもの頃から本を読むのが好きで、手当たり次第、日本の古典も含めていろいろと読んでいたこと、祖母から「戦争に負けたから今の学校ではそのように教えるけれど、世代の上の人達は違う教育を受けているのだから、いつも発言には気をつけなさい」と言い聞かせられていたこと、学部は国文学科で、万葉集から近代文学まで一通りなぞってきたこと、それらの要因が、恐らくはこれまでの自分を守り支えていたのだろうと思っています。
海外からの古いメールをチェックしていたら、「日本っておもしろいですよ」「日本、好きですよ」「日本だったらこんなことは起こらないでしょうねぇ」という褒め言葉が多いのに気づきました。結局のところ、国の印象の反映であると同時に、私個人の映し鏡なのかな、とも...。あれ?