ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

真に人を育てること

今晩は、いずみホールで、庄司紗矢香さんとイタマル・ゴラン氏のリサイタルが開かれるので、今から楽しみにしています。
これを書いている今、聴いているCDは、図書館から昨日借りてきたばかりのロンドン交響楽団の『ロマンティック・コンサート』からケテルビーの「ペルシャの市場にて」です。昨日の朝、FMラジオの「クラシック・カフェ」を聴いていたら、何とも懐かしい音楽が流れてきました。そうです、それがこの曲で、実は、私が5歳の頃、名古屋市内にあったカトリック幼稚園のクリスマスに、聖劇で使われた曲だったのです。
ピアノの先生から、子どもの時に簡単なテストをされ、「絶対音感がある」と言われたことは、以前にもこのブログで書きました(2007年9月25日付「ユーリの部屋」)。大した音感でもないのですが、そのせいかどうか、幼稚園の聖劇の音楽ぐらいは、すぐに覚えて一人で歌っていました。(今でも、卒園式の歌が歌えます!でも、高校の校歌は忘れました。)
学校に上がって五線譜ノートを買うと、早速、楽譜にメロディーラインを書き留めましたが、曲名がわかりませんでした。ようやく、昨日の朝になって、判明したというわけです。
それにしても、あの異国情緒たっぷりの曲は、てっきりパレスチナかせめてエジプト由来なのではないか、と思っていたのに、なんとペルシャとは!ちょっと違うんじゃないですか、先生、と言いたくなりますね。ヨセフとマリアが、幼子イエスの誕生前、あちらこちらの宿で断られ、ようやく羊飼いに見守られての出産、それも馬小屋で、という設定で流れてきた音楽でした。どこがペルシャだ?!
やはり、本物に触れさせないと、このような大人が出来上がるというわけです。先生方、しっかりよろしく頼みます。幼稚園児だからといって、ゆめ侮ってはなりません。

また、昨晩はマレーシアから次の2冊が送られてきました。
Solomon Rajah Christian Guide―To Indian Cultural Practices In Malaysia And SingaporeCouncil of Churches of Malaysia, 2008.
S. BatumalaiOne Hundred Bible Characters: People Who Changed The WorldSyarikat Percetakan Muncul Sistem Sdn. Bhd., Melaka, 2008.
最初の本が福音ルーテル教会の第4代目司教、二番目の本が英国国教会大司教に相当するインド系の指導者です。現地文化に適合する形で、どのように聖書やキリスト教を理解し、表現し、伝達しようとしているのかがうかがえ、大変興味深いものです。

さて、マレーシア関連でお手紙をくださった名誉教授のお話です。
「ブログを印刷して送ってほしい」と今年のお年賀状に書かれてありました(2009年1月1日付「ユーリの部屋」)。昨年の賀状にアドレス欄を記入するフォームがあったので、主人の勧めに従って、深く考えもせず、つい印刷してしまったわけです。ブログなんて、友人以外は無応答が普通だろうと、タカをくくっていたのが間違いでした。
(目上の方に、うかつにブログ・アドレスなど年賀状に印刷して出すものではないなあ)と恐縮していたところ、実にタイミングよく、マレーシアから拙稿が製本されて送られてきました。(ブログ代わりに、これを!)と思い立ち、一筆添えて、勝手に変更させていただいたのですが、すぐに目を通してくださり、原稿用紙3枚びっしりの手書きコメントが白い封筒に入れられて届いたのです。やっぱり、昭和一桁世代は、違うとつくづく思います。このようにして、敗戦後の日本社会を立て直してくださったのだなあ、と頭が下がります。
先生からは、15年以上も、多くのお葉書やお手紙をいただきましたし、古いマレーシア関連の統計や法律の本や地図や辞書など、貴重な資料をどっさり譲っていただきました。数日前にこのブログで披露したような過去の実体験(2009年1月10日・1月11日付「ユーリの部屋」)のように、「精神が病んでいるのではありませんか。心配です」「それでも研究者ですか。支離滅裂です。相手になりません」「自分だけわかった気になるなよ」「見せ方が悪い」「ほめられたいんですか?」「あと2,3年休みなさい。毎回発表しなくてもいい!」「知識があっても、意味がないです」「党派心からそんなことを書いているのではないですか」などという、わけのわからないことを言われたことは、一切ありません。親子ほどの年齢差がありますし、受けている教育も背景も違うので、なのでしょうけれども、先生からは、専門分野が異なるものの、常に激励とご支援そのものです。
今回の拙稿も、「以前、簡単にその話を読んだことがありますが、ユーリさんの書いたものを読み、状況や細部がよくわかりました。今でもこんな恐ろしいことが、マレーシアで起こっているのですね」「強引なブミプトラ政策の施行と急激な社会変化によって、さまざまな矛盾が対立の形で発生していると思いました」「マレー人指導者層は、わかっていても、自分達の共同体を守るために、やむを得ず、このような間違った結論を出したのでしょう」「40年以上も前の私達の研究では、今のような現状に対応できるだけの理論的枠組みを提出することができませんでした」「もう仲間も80代に入っていますし、後はユーリさん達の世代に受け継いでもらうしかありません」などと、率直かつ客観的な書き方で、こちらも自ずと思考を促されました。
人を育てるとはこうすることなのだなあ、と教えられます。とはいえ、こちらが思うように育っていないので、先生としてもさぞかし残念がっていらっしゃるでしょう。
まだ独身だった頃、「こういうことを言われるんですけど」と恐る恐る申し上げると、「シュリンクしないで。何でも言ってきますからね」と一言のみ。そうか、先生もそういう中をくぐりぬけていらっしゃったんだなあ、と思いつつも、しかし、何かが決定的に違う、とは思います。それは、「こういうことを言ったら、相手はどう感じるか、どう反応するか」を考えずに、人前でも何でも言いたい放題、わからないのは相手が悪い、という風潮は、我々の世代前後の特徴ではないか、ということです。

同封されていた最近の抜刷り数本には、先生がご誕生直後に御母堂を病気で亡くされたこと、田舎に養子として出されたものの、ご自分もカリエスを病んでいらしたこと、なども書かれてありました。なぜ私にここまでよくしてくださったのかが、やっと理解できたように感じました。