ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ルター著作集とムスリム問題

念願の『ルター著作集第一集第九巻聖文舎1973年)がようやく借りられました。今回は、大阪府立図書館ではなく、大阪市立中央図書館からです。
この時代にできた本は、大変しっかりした作りで、中身も今ではなつかしいほど硬派のものです。もともとは、こういう本を好んで読んだ学生時代だったのに、どういう風の吹き回しなのか、なかなかそれが生かせない環境に陥ってしまったように思われて、残念でなりません。
以前、「ルーテル教会の牧師は、一定水準以上の説教ができる」と、あしながおじさまからうかがいました。ならば、と勇んではみたものの、伝統的な教会教義や信仰告白の勉強を改めてやり直すことを思い、さまざまな事情から気力が衰えていた時期でもあったので、大変申し訳なく恐縮しつつも、しばらくご猶予いただくことにしました。もっとも、学生時代に『キリスト者の自由』を岩波文庫で読んではいました。ただ、有名なものほど多種多様な意見がまとわりつくので、独自に接近することが、かえって難しくも思われました。
ともかく、この著作集が読めることになって幸いです。「刊行の辞」をご紹介いたしましょう。

「ルター著作集刊行の辞」   岸 千年

 一国の文化の水準は、書籍の出版の量によって知られるといわれる。しかし、量に加うるに質をもってすることにおいて、文化の規準に確かさを増すであろう。質の点においては、必ずしも、一つの時代が、他の時代にまさるとは限らない。「質」をはかる規準は、人によって差はあるが、いずれの時代にも共通することは、人間がもつ根本問題に対して、根本的解答を与えうるものを、質的に最善なものとするということであろう。このような意味において、聖書が、第一位におかれることは当然である。次に位するものは、聖書に啓示された神の真理を解明しこれを同時代の者たちに伝達することに成功した書物であろう。一つの時代に伝達された神の真理の解明が、その時代に対してだけでなく、その後につづく各時代に対しても意味をもつ性質のものがあるとすれば、これは、第二位中の上位におかるべものである。
 ルター著作集刊行の計画は、このような角度から見て、ルターの把握した福音理解が、彼の時代だけでなく、今の時代にも意味をもつとの判断にもとづいて、立案されたのである。十六世紀の教会にいのちを与えたものは、ルターの把握した福音の宣教を通して、はたらいた聖霊によるといっても過言ではないであろう。ゆがめられない福音の宣教こそ、十六世紀だけではなく、いつの時代に対しても、いのちをみちあふれさせる原動力となることを疑うことはできない。(p.1)(後略)

この巻には、「トルコ人に対する戦争について(Vom kriege widder die Tureken.1529)」(石本岩根(訳))(pp.3-79)が入っているので、特に興味を持ちました。
実は、この文章こそが、L.ハーゲマン(著)八巻和彦・矢内義顕(訳)『キリスト教イスラーム―対話への歩み知泉書館2003年)の「ルターのイスラーム理解」(pp.134-159)の分析に該当します(参照:2008年7月7日付「ユーリの部屋」)。もちろん、当時のルターの置かれた状況についての理解なしに、この文章を読むことは不可能です。しかし、ルター(のみならず、他の聖職者達も含めて)がこのような内容を書き記したこともあって、ムスリム・クリスチャン関係の障壁が現在まで続いているとも言えるのではないかとも思われるのです。これは、上記の刊行の辞との兼ね合いもあり、なかなか根深く、やっかいな問題です。

ところで、今日は、主人の実家のお墓参りに二人で行ってきました。久しぶりだったこともあり、何度も水を汲んでお掃除しました。やはり、お墓というものは、自分達のルーツを再確認する上でも、きれいに保つ意味でも、定期的に訪れることが必要です。そのためにも、少なくとも春分の日秋分の日の「お墓参り」は重要なのだなあと改めて思いました。最近では、休日に学会や研究会などが開かれたり、出勤日だったりして、そういう風習が廃れつつあります。しばらく前までは、家庭の主婦の仕事でもあったのに、表面的な「男女共同社会」のために、それも難しくなってきました。昨今の妙な事件の多発は、案外、こういうところに原因があるのかもしれないと思います。