栄枯盛衰は人の常なり?
昨日、集中していた原稿書きの補助資料を眺めながら、改めて感じたことがあります。
2002年7月、今は名誉教授でいらっしゃるある先生から、1960年代70年代のマレーシア資料を大量に譲っていただきました。この先生の研究グループは、1960年代からマレーシアとスリランカのフィールド調査をなさっていました。今の若い方達にも、ぜひ、このような時代があったことを、広く知っていただきたいものと思います。
先日(9月27日付)書いた京大系の先生方にやや先駆けた実証研究で、世代としては、少しその上に当たります。当時は、海外に出ることそのものが「業績」ともてはやされた時代だったそうで、資金はアメリカの財団からいただいたとのことです。資金の用途や調査報告の提出を求められるのかと思っていたら、一切そのようなチマチマした追跡はなく、実に寛大でおおらかに自由に研究をさせてくれた、というお話もうかがいました。こういう話は、貴重な教訓だと思います。(私など、大学院の頃は、ホント、言動を逐一調べられているような窮屈な思いをしていましたから。少しでも報告が遅れると、すぐに呼び出しを食らうような、そんな教官さえいらっしゃいました。その結果が、このざまです!)
特に古い統計類と辞書などは、すぐに使うものではなくとも、手元にあると助かりますので、遠慮なくお願いしました。
それに伴い、『マレーシア情報』とでも訳せそうな、1971年版と77年版の各3.5センチぐらいの厚さの公刊書を見ました。写真には、今見かけるよりも、赤茶色がかったような浅黒い肌の若々しいマレー人指導者層が、しっかりとした洋装で写っています。(今は、エアコンの普及のためか、印刷技術の向上のためか、もっと白っぽい肌の人々が多いように感じられます。)
特に、若い女性達が、誰一人、スカーフなどしていないのです。せいぜい、地方の市場で買い物をしているおばあさんぐらいでしょうか。また、私の子ども時代にテレビで見たり街で出会ったフォークソング歌手がしていたような長髪(ではないもののそんな感じ)のお兄さんやお姉さんのマレー人が多く、いささか鄙びた田舎っぽい風貌ながらも、きちんとおしゃれに決めている様子がうかがわれます。そして、今は昔、絞首刑にされたイラクのサッダーム・フセインが、これまた若々しい姿で、第三代マレーシア首相の故ハジ・フセイン・オン氏と歓談中の写真もあり、続いて、イラク留学組のマレー人男女青年と歓談している様子が残されています。余談ですが、故ハジ・フセイン・オン首相は、貴族系のためか、なかなかハンサムな方です。
これらを見て思うのは、ここに写っている人々は、今どこでどうしているか、ということです。もっとも、30数年前の話ですから、もう亡くなった方もかなりいらっしゃるでしょう。でも、若者達は、立派に社会の指導者層を形成しているはずです。
そして、想像されるよりも、マレーシアはモダンな印象を与えるという点も、看過できません。私の赴任期には、「え、マレーシア?」などというネガティヴな反応が多かったのですが、良くも悪くも、英国植民支配下にあったということは、ある面で日本よりも先進的な制度面がそのまま移植されていた部分もあったという意味です。
それにしても....今後のマレーシア、そして日本はどんな方向へ進むのでしょうか。