ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「思う念力岩をも通ず」の精神で

昨日も民博図書室に行き、たった一時間でしたが、一生懸命マイクロ資料と格闘しました。三日目ともなると、図書室スタッフの女性達も親しみのこもった温かい対応をしてくださるようです。さっさと電源を入れてもらい、資料もすぐ使えるように準備していただきました。民博図書室とは長いお付き合いで、以前も、「あ、複写を依頼された方でしたね」と声をかけていただいたことがあります。
概して、国立機関の方が、私立大学よりも対応がすばやく丁寧です。昔は、国立はどちらかといえば居丈高で、私学の方が丁重でサービスもきめ細やかな印象を持っていました。ところが、私の経験した限りにおいてですが、いつの間にか逆転したようにも感じます。国立機関では、テキパキして意志のしっかりした感じのスタッフが多いと思います。多分、図書室で働きながら、何か自分のテーマをお持ちだからではないでしょうか。だからこそ、単にルーティーンの仕事で満足するのではなく、一歩先をいっているのです。一言尋ねるだけで、こちらの要望をさっと飲み込んでくださって、上をゆくサービスを提供してくださいます。
私学の場合は、化粧がやや濃い目で爪もきれいに塗ったような若い女性が、単語のスペルを間違えたり、こちらの意図を自分流に解釈したりして対応することもあって、時間のロスを生みます。外部者なので、立場はこちらの方が‘弱い’のかもしれませんが、その分、いろいろな研究機関を自由に行き来しているために、私自身、ある程度は目が肥えたかと思います。自分がその立場に立った時に、相手の希望を、文字通りに受け取るのではなく、その背景や意図まですばやく理解して、どのように振舞うべきかを学ぶことができます。
昨日の収穫は、帰りがけに梅棹研究室の前を通りかかったことです。京大近くの美術館で開かれている「松谷みよ子の仕事展」のポスターが目に留まったので、中のややご年配に近い女性スタッフに声をかけたところ、快く「あ、ちょうど二枚しか残っていなかったのよ」と分けてくださったことです。「私、子どもの時に松谷みよ子さんからお手紙をいただいたことがあるんです」と言ったら、喜んでくださいました。この点も、関西風の機転のきいた応対で助かりました。さすがは、年季の入り方が違いますね。(松谷みよ子氏については、2008年1月5日・2月7日付「ユーリの部屋」を参照)

ラジオを聴いていたら、芥川龍之介の直筆の遺書が見つかり、目黒で展示されるとのこと。落ちついた態度で自死を受容した筆致だそうです。18歳の頃、近代文学の演習で芥川を取り上げましたが、芥川は神経が鋭くて頭が良過ぎたから時代の先を悲観したんだろうというのが、当時の私の見解でした。それにしても35歳の若さで人生に見切りをつけるなんて、お孫さんはご健在なのに、どうして…とも思いますが。

文学者の自殺といえば、太宰治と山崎富栄との入水が有名です。玉川上水は、1998年に研究発表のため津田塾大学へ向かった時、立ち止まってしばしじっと眺めたことがあります。故石井桃子先生が、「私なら、太宰さんを死なせなかったでしょう」とおっしゃったとか。さすがは、101歳まで長生きされて最後まで旺盛に仕事を続けた方は、言うことが違います。
太宰に関しては、1990年だったか91年だったかに、マレーシアの国際交流基金主催で太田治子氏のご講演を聞いたことがあります。直接お目にかかると、「へぇ、この方の存在根拠が、あの太宰にあったのか」などと、余計な想像をたくましくしてしまうところが、我ながら不思議です。ただ、お話そのものは、あまりメリハリの利いたものではなく、おっとりと脈絡なく話されたので、むしろ、エッセイの方がおもしろいと思いました。確か、生まれたばかりの娘さんの話などをされていたように思いますが、どうやら後に離婚されたとか。

今日は一日片づけものなどで過ごし、明日とあさっては、小旅行に出かけます。リフレッシュできる期間とチャンスは、上手に生かしたいものと思います。その後は、原稿書きや発表準備もあるし、合間をぬって民博へも通い詰める予定です。来月は、シンガポールから友人が来ることになっていますし。先日、S子さんから、「よい夏をお過ごしください」と挨拶をいただいた時には、(はて、どうなるのかな、私の夏…)と一瞬考えてしまいましたが、言葉には確かに力があり、相手によかれと願う言葉がそのまま実現するのでしょう。
「ネズミ君、きみは気もちが大きい!」
「そんなこと、だいじょうぶなんだよ、きみ!」「もうそんなことを考えるのは、よしたまえよ」
石井桃子(訳)・ケネス・グレーアムたのしい川べ―ヒキガエルの冒険―岩波書店1963/1991年)p.33より)