ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

なつかしいベルリンの壁の思い出

早いもので、長かったゴールデンウィーク(計11日)も今日で終わりです。
計画がこなせたかどうかは、私に関しては不問です。というのも、予定外のニュースが飛び込んできたり、届いた本に対して、思った以上に夢中になってしまったりしたので...。まあ、没頭できるというのはいいことでもあります。これまでの経験や問題意識がなければ、あのような本を読むことすらなく、読んだとしても何が何だかさっぱりわけがわからず、という状態だったでしょうから。
主人の方は、ゆっくり休んでリフレッシュし、しなければならなかった用事も済ませることができたようです。というわけで、本日の夕食は、義理の兄からもらった優待券を使って外食して、黄金週間の〆とさせてもらいました。
これから、たまっていた整理ものなどをして、原稿を一つ仕上げなければなりません。申し訳ありませんが、昨日の「ユーリの部屋」に書いた約束を、明日以降に延長させていただきます。
ところで、昨晩たまたま主人がつけたBSで、ベルリンの壁崩壊のドキュメンタリーを二回に分けて再放送していました。ライプチッヒのニコライ教会で始まった自由を求める言論集会の様子や、ベルリンでの秩序正しいデモ行進、故ホーネッカー書記長の失脚直前の様子、当時の取り巻きだった元政治家達の回顧インタビューやニコライ教会の牧師の回想など、非常に興味深くて、つい見入ってしまいました。東ドイツの新聞“Neues Deutschland”(拙訳『新ドイツ』)のドイツ語は、なんだかとってもわかりやすく思えました。人民の誰にでもわかるように書かれていたからなのか、あるいは、社会主義イデオロギーの弱点が露呈された今だからなのか、それとも、私のドイツ語力が多少は向上したから(まさかねえ!)なのかどうかはわかりませんが。
学部生時代に、西ドイツのみならず、東ドイツ(ライプチッヒとベルリンとドレスデン)にも何人かのペンフレンドがいたと書きました(2007年10月23日付「ユーリの部屋」)。社会主義体制の実情を少しでも知りたかったのと、ドイツ語の練習のためという両方の目的からでしたが、まさか私の誕生日にベルリンの壁が崩壊するとは、予想だにしていませんでした。もっと長く続くものと思っていたので、本当にびっくりしました。ただ、その約一ヶ月後、私の母校に来てくださった緒方貞子先生のご講演では、「こんなものがいつまでも続くはずがない、と思っていたので、イギリス在住中に家族でベルリンの壁を見に行きました」という発言が聞かれ(1989年12月15日)、さすがは国際情勢を見通す力とその力を支える健全な人間観や思想をお持ちの先生は違うなあ、と深く感銘を受けたことを今でも懐かしく思い出します(2007年12月11日付「ユーリの部屋」)。お立場上、さまざまな情報が入ってくるために、そのように判断できたのでしょうが、私なんて本当に、体制崩壊よりもまずは命の優先を、などと考えてしまうタイプなので、いくらペンフレンドがいても、そこまではなかなか見抜けませんでした。
ただし、現在の混沌とした荒々しい世界情勢に慣れてしまうと、当時の映像が、非常におとなしく柔らかく見えるので不思議です。東ドイツだけでなく、海外旅行そのものが、今ほどメジャーでもなく、日本に来る留学生も選抜された一握りでしたし、何よりもインターネットなどありませんでした。知りたくとも情報が非常に限られていたのです。
1999年8月に主人とベルリンを旅行した時には、確かにこの私も、「チャーリー・チェックポイント」に行き、地下鉄を使って子どもをカート付き旅行鞄に隠して脱出に成功した女性が保護された地下口を歩き、ベルリンの壁の残骸に触りました。博物館にも入り、ブランデンブルグ門の前も歩き回りました。日本人は我々二人だけでしたが、各国からやって来たらしい白人系の旅行者達は皆、あの辺りでは「オォ!」と発した後、誰もが無言でした。遅ればせながらも歴史の一幕に触れるとはこのことか、と思っているうちに、その後、知恵熱が出ました。
...というようなことを、BSの画面を見つめながら思い出していました。「移動の自由を」「旅行の自由を」「集会の自由を」と求めていた人々を思うにつけ、日本はなんて幸せで恵まれた国なんだろうと改めて感謝した次第です。
と同時に、決して忘れてはならない重要な点として、旧共産圏の崩壊に向けてキリスト教会が果たした役割が挙げられます。当時のニコライ教会にも、当然のことながら、スパイが紛れ込んでいたでしょうし、牧師も命の危険を覚悟で、集会を開き、人々を励まし、導いていたはずです。しかし、やむにやまれぬものがあって、あのような行動に出たのだろうと思います。故ヨハネ・パウロ二世も、ポーランドなど東欧の共産圏で人々を激励されていたと聞きます。法衣にメモを密かに隠して、司教にメッセージを渡していたとも読んだことがあります。
キリスト教には、確かに、このような力の源泉が秘められています。