ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ムンク展に行ってきました

昨日は、雨降りの中、主人と二人で、兵庫県立美術館(灘市)のムンク展へ行ってきました。朝日友の会会員で割引がきくのと、この日が最終日ということで、何としてでも見ておきたかった展覧会でした。結果的には、人出も多くて大変でしたが、とても楽しめた展示だったと思います。

灘へはこれが初めての訪問でした。美術館の周辺は、高層マンションが整然と立ち並び、いわゆる商店街や平屋住宅のないきれいな機能都市という印象でした。昨年9月に学会で訪れた立川市の一部とよく似た感じです。目立ったのは各種クリニックと5車線ほどの道路。大阪と違い、食べ物屋さんも少なくて、雨の中を歩き回りました。
知人友人を訪ねに、たまに用事も兼ねて遊びに来るなら良いところだけれど、私にとってはやはり、畑や田圃が残り、商店街もあって一戸建ての家屋が並んでいるような‘自然な町’の方が、ほっとくつろげると思いました。主人の勤務先の同僚には、ここから毎朝五時起きで通ってきている人がいるとのこと。「男はつらいよ」「お父さんは大変」って感じですね。

兵庫県立美術館は開館5周年だそうですが、大変現代的で洗練された建物です。中の階段のつくりが、魔法の階段のように非常に凝ったものでした。
1時5分から2時35分まで、ノルウェーを代表するエドヴァルド・ムンク(1863-1944)の作品の中から、全部で108点の展示品を見て回りました。中に数か所ほど短い映像説明もあり、理解の助けとなりました。今回の展示の特徴は、これまでの一般通念であった、近代人の苦悩を心理的に描いた画家としてのムンクではなく、装飾画家としてのムンクを紹介するために、「生命のフリーズ」として一連の作品をまとまりごとに並べたことだそうです。
ムンクと言えば、中学の美術教科書に『叫び』と題する、一度見たら決して忘れられないような表情の絵が載っていることで有名ですが、今回はその絵が複製版の飾りしかありませんでした。後で主人に聞くと、「あ、『叫び』がない」と言っている人達がいた、とのことです。皆、どこかで共通する時代精神と感情を持っているという意味なのでしょうか。

作品を眺めながら、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第一番の第二楽章スケルツォと第三楽章モデラートが頭の中でずっと鳴り響いていました。また、2006年3月に二度にわたって見た京都でのバルラハ展(Ernst Barlach:1870-1938)と、主題や動機の表出方法に、どこか似ているところがあると思いました。展示を進んでいくと、なるほど、バルラハと同様、ムンクも医者の息子に生まれたという共通項もさることながら、同じく1937年にナチス・ドイツによって退廃芸術の烙印を押された経緯がある画家なのだと、会場の解説によって知りました(バルラハについては、趣旨は異なるが2007年10月9日付「ユーリの部屋」を参照のこと)。
今回のムンク展の展示作品には、4つのテーマ、すなわち (1)愛の芽生え(2)愛の開花と移ろい(3)生の不安(4)死、があるとのことです。ムンクの『叫び』を見た時、どうしてこの画家はこういう絵を描いたのだろうか、と不思議だったのですが、5歳の時に母を亡くし、次いで姉も亡くし、妹ラウラが重いうつ病に苦しむという、家庭環境からくる人生経験が大きく影響しているらしいです。哲学的には、キエルケゴールやニーチェなどと関連する北欧の近代的思考の主テーマ「不安」が反映されているとも解釈できるようですが、そこまで小難しく考えなくとも、画家の現実的背景を知れば、充分納得がいくところです。解説を読むと、「人間の苦悩、恐怖、苦しみ、愛欲、欲望、不安、絶望、嫉妬、狂気、死への恐怖」などというおなじみの言葉が並んでいたのですが、それだけならば、既に以前から知っていることですし、いささか陳腐であまりおもしろくはなかったと思います。興味を引かれたのは、画家自身の人生に生起したそれら一連のモティーフを、一つのまとまり、つまりシンフォニーとして想像していたという画家の考え方です。晩年には、アトリエで自分の作品を並べ替えて人生の意味を考えたムンクの姿が、写真入りで紹介されていました。何しろ、80歳まで長生きした画家ですから、自然とそのように導かれたのでしょう。
ただし、ムンクの特異な点は、ただ人生の暗く陰鬱な側面だけをあぶり出したのではなく、樹木や女性などを題材にした生命賛歌もテーマとなっていることです。また、1925年まではクリスチャニアと呼ばれたオスロの市庁舎のための壁画プロジェクトでは、いわゆる「労働者フリーズ」として、厳しい自然環境の中で労働し、国造りをする男達を描いています。また、チョコレート工場に飾ってある作品は、明るい色彩で、教会や子どもや学生などが描かれてありました。さらに、ノーベル平和賞授賞式が行われるオスロ大学講堂の壁画には、太陽の絵、少年に民族の歴史を語る老人の絵、乳飲み子を抱いた豊満な女性を描いたアルマ・マーテルの絵も含まれているそうです。この度の会場では、それら作品の習作スケッチが展示されていました。
女性の描き方にもパターンがあります。髪の毛が長くて男性を食い尽くすような作品では、女性に対して魅惑と官能性を感じつつも、男を破滅へと導く対象と考えていたらしい画家の心情がよく出ています。また、三人の女性が並んでいる作品にもパターンがあり、左に無垢を示す白い服の若々しい女性、真ん中では赤い服の成熟した女性が男性とぴったり寄り添っている姿、右端には黒っぽい服装の年配の女性が、真ん中の男女を見ている、という構図です。「サロメ」「ゴルゴダ」など、聖書を題材にしたテーマもありました。

この画家に特徴的なのは、人の目の表情ですが、よく見たら、うちの主人が時々見せる表情とそっくりなので、びっくりしました。今朝も、見送りに玄関に出たら同じような顔をしていたので、「どうしたの?早く帰ってきてね」と声かけすると、「ふ・あ・ん」と一言言い残して行きました。ムンクの絵を思い出すことで、何らかのカタルシスにでもなればいいのですが。