ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

キリスト教セミナー「幸福の秘訣」

いささか旧聞に属しますが、書き留めておきたい話を少し披露しましょう。
2008年1月15日の夜7時から8時まで、神戸バイブルハウスにて「キリスト教の世界シリーズ」が開かれ、カトリック大阪大司教の池長潤先生による「幸福を手に入れる秘訣」と題するお話をうかがいました。出席者は約23名でした。昼間と異なり、二、三人ほどの二、三十代の現役社会人も含まれていました。
神戸は、昔から教会も多く、異人館があるほど開けた土地柄なので、キリスト教に関わる方達ももっと開明的で理知的なのかと思っていました。最近、いささかがっかりしているところがありますが、そもそも期待し過ぎた私の方が無知だったのかもしれません。
とはいえ、このお話は結構おもしろかったです。大司教さまは、とても70代とは見えないほど、髪も黒々として、背筋もぴんとされ、ダンディで非常に若々しい印象の方です。そして割合に気さくでもあられます。
多分、いろいろおしゃれな遊びを知っていらして、人の気持ちがある程度おわかりだからだろうと思います。しかも、なかなかやり手の方とお見受けします。2006年にヨハネ福音書の講義を受けていた時、大きなシステム手帳を拝見したことがあります。几帳面な文字で予定が細かく書かれてありました。
ところで、これまでの私の人生で出会ったカトリックの印象は、概して、率直で温容であります。対するプロテスタントは、誠実で意志的だと思います。もちろん、物事すべて例外あり、ですので、くれぐれも即断なさらぬようお気をつけください。
さて講義ですが、まず、「幸福」に関して「神の存在を認めることの大切さ」が冒頭で説かれたのは、場所柄からしても、当然のことでしょう。そして、「幸福とは自分の内部にあり、どんな環境におかれても自分の心がけ次第で幸福を育てることはできる」と述べられました。したがって、「幸福感の時間が多いほど幸せであるから、できるだけ幸せな人になるよう心がけよう」とのことでした。こういう点は、やはりカトリック的だと思いますね。歴史的に見て、ラテン諸国にカトリックが広まった経緯が、何となくわかるような気がします。ラテン系の人々は一般的に、ペーソスと同時に、いつでも人生を楽しむ術を知っているので。学生時代の留学生寮での経験を振り返っても、スペイン語を勉強していても、いつもそう感じます。
そして、「子供の幸福」についても語られました。今の子どもは放ったらかしなので、未成熟な青年が出てきていることを憂慮されつつ、親から幸福を与えられれば与えられるほど、子どもは生き生きするとおっしゃいました。そして、ギリシャ語の「愛」には4つあると紹介されました。「エロス」「フィリア」「アガペ」「ストルベイ」です。前者3つはご存じでしょうから、最後の「ストルベイ」のみ言及を加えますと、「家族間の愛」なのだそうです。そんなこと、「知っとるベイ!」とおっしゃらないでくださいね。(←これは私の作ったごろ合わせです。)
次に、「結婚生活における幸福」が語られました。ご自身が独身を貫かれている大司教さまが、結婚講座を開いて「結婚とは」と説くのも、なかなかつらいものがあるのでは、とつい思ってしまいました。結局のところ、ご自分の近親者か教会に来る人々の悩み相談にのったりして得た、見聞に基づく憶測でしか語れないからです。ただ、なかなかよいことをおっしゃっていましたので、ここに記させていただきます。
第一に、カトリック教会で挙式を希望する若者には、まじめな人が多いと述べられました。東京にある日本最大の教会では、500組以上の結婚式を経験されたとのこと。信者が教会挙式するのは当然としても、未信者が教会で式を挙げたいと望んだ場合には、21回の結婚セミナーに参加することを条件に許していらしたそうです。そういう厳しい条件でも、5組のうち3組までは、クリアされるそうでした。そこから考えると、プロテスタント教会では、そういう徹底した話をあまり聞かず、むしろ、牧師も信徒もいない、建物だけの教会でブライダル挙式するビジネス結婚まであるぐらいですから(先日も、朝日新聞に大きく記事が掲載されていました)、その点、もっとカトリック教会を見習うべきでしょうね。

レジュメに沿って、一部ここに筆写いたしますと―

(1)結婚の前提となるもの
1. 正直に何でも話し合えること。お互いに合っていてホッとできること。大切なことで隠し立てがないこと。(相手の言動であいまいな点がないか。言っていることに矛盾がないか。逃げているように思える点はないか。腑に落ちない点はないか。)
2. 異性愛だけでなく人格愛があること。どこまでも大切にする決意。
3. あらかじめ解決しておくこと:これまでの異性関係。経済的条件。お互いの両親との関係。それぞれの健康。
(ユーリ注:そのままで結婚すると、後で問題が発生するとおっしゃいました。また、今は家族間の人間関係がちゃんとしていない人が多い、とも。幸せについて話すとき、若い人にはいいことばかり話しても無理があるそうです。)
4. 将来計画を話し合っておくこと
(2)結婚における重大な決断
「今後、自分の体と愛は完全に相手だけに与え、他の誰にも向けない」
この決断を一度言い表せば、本質的に生涯変更しないことを含んでいる。
(3)結婚してからの心がけ
1. お互い何でも誠実に伝えること。はじめから、よく正直に伝える習慣を身につける。
2. 実行をもって大切にしている、愛していることを表す
3. 信を生み出すこと
4. 心理的にも安定した夫婦生活となること

大司教さまに言わせれば、「このごろ離婚が多いが、そもそも考え方が甘い。結婚講座ではっきり言ってあげることがある」とのこと。また、相手の両親に会った時、男性は厳しさを感じないが、女性は相手のお母さんが苦手なことが多い、という興味深い話も出ました。

最後に、「鈍感力」について、渡辺淳一の本を手に紹介されました。なぜ、大司教さまが渡辺淳一なのかよくわからないところがあるのですが、まあ、未経験のことを知るには、そういう本でも読まないといけないとでも思っていらっしゃるのでしょうか。ともかく、「へこたれない人の強さ」「中傷や嫌がらせに打ち克つために」など具体的に話された後、「今の日本はあまりにも薄っぺらい」と指摘され、「その点、キリスト教は強いですね。イエスさまのことを思い浮かべてくださいよ」と念を押されました。そして、「粗野な事になじむ習慣」「趣味を持つ」「赦せるか?」「解放ということ」「みずからの良心や信念を曲げないこと」「聖霊による自己形成と祈りと恵みの世界について」ともレジュメに書かれていましたが、時間の関係で言及はありませんでした。

ところで、お話を聞きながら、「鈍感力」で思い出したエピソードがあります。
これもまた何年も前の、ある遠方での研究会のことです。発表が何とか無事に終わってほっとしていたら、同年代の女性助教授(当時)が、私の耳元でそっと、「ユーリさん、これからご主人にお土産買っていかなくてはいけないっていうプレッシャーでもあるんですか」と尋ねてこられました。思わず、どういう意味なのかわからなくて、「え?そんなもの、ありませんよ」とストレートに返答してしまいました。その後、その先生はがっかりした表情で、黙って私から遠ざかっていかれましたが、こういう時には、自分が鈍感で本当によかったと思います。変な問いかけにも気配りしていたら、身が持ちません!

PS:
下記コメントにも書かせていただきましたが、ここは私のブログですので、あくまで一般人としての私見を綴っているのみです。断るまでもないことですが、キリスト教の公式ホームページではありません。
なお、神戸バイブルハウスの良いところは、プロテスタントの主流派やその他諸派カトリックも無教会も、趣旨に賛同する方達が自由に集って、学び合う機会が提供されていることです。いわゆるエキュメニカルな集いです。もっとも、すべてのクリスチャンがこれに賛同しているわけではありませんし、エキュメニズムに問題が全くないわけでもありません。しかし、それは人間社会の常でもあります。明らかに、相手が根も葉もない失礼なことを言ってきたり(例えば、上記文章末尾の例のように)、妙な個人攻撃をしてくるのでなければ、相違は許し合い、受け入れ合っていくことが求められるかと思います。どうしても嫌ならば、黙って去り、別途、ご自分で意見を出すのが賢明でしょう。
ビジネス主体のプロテスタント教会での挙式の事例は、実際に私の近辺で起こったことです。不思議に思って式場に電話をかけて尋ねたところ、「ここはプロテスタント教会です」と言われました。しかし、普段は礼拝もしていないし、専属牧師もいないそうです。クリスチャンでもないカップルのそういう挙式は、到底私としても出席できないと思って、他の事情もあり、欠席させていただきました。しかし、事前にある牧師に相談したところ、「その人達が教会で挙式したいと言う気持ちになったのは、ユーリさんの影響もあったのではないでしょうか。ここはひとつ、祝福して差し上げてください」とのことでした。ますます混乱してきたので、私としては、残念ですが見合せたわけです。その後、そのカップルは「ごめんなさい」と謝って来られました。それでよかったと思います。
また、キリスト教に関しては、他にもたくさんのホームページやブログがあり、もっと専門的で多種多様な厳しい批判的見解も少なくありません。
このブログについて、私の方から「是非とも読みなさい」と強制したことなどは、一度もないのです。お会いしたこともなく、背景も証拠も出していないのに、「カトリック的だ」と決め付けたり、「もっと視野を広く持て」などと注意してくるのでは、まるでどこかの国の当局に似てはいないかと思うのですが。対立を解決し、よりよい道を探り求めるのに、立場の異なるさまざまな人々との率直な対話が大事だと書かれていたシュペネマン先生のことを(参照:2007年12月6日付「ユーリの部屋」)、是非ともここで想起していただきたいものです。