ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新年を寿ぎ... 

あけましておめでとうございます。
皆様におかれましては、お健やかに元旦を迎えられたことと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

実は今年、たくさんお年賀状をいただくばかりで、お返事が文字通りの元旦賀状になってしまいました。(←ブログのせいかも?)本当に申し訳ございません。毎年、もっと早くから書こうと決心だけはするのですが、どうも滑り込みセーフ気味です。主人と一緒に、絵柄と文字と印刷文章を決めて申し込むところまでは早いのですけれども、その後がいけませんねえ。来年こそは、もっと早く出したいものです。

何はともあれ、年賀状は楽しいもの。虚礼廃止などという人もいますが、伝統行事は、特に理由や主張がない限り、従っておくに限ります。メール賀状は、今年は一件のみ。お孫さんのできた教授からでした。去年も今年も、1月1日に送られてきたのです。つまり、最初から葉書を使用しないと決めていらっしゃるわけですね。確かに、近況を葉書で書こうとすると、スペースの関係で書ききれなかったりして、結局は型通りのご挨拶で終わってしまうことも多いので、それはよくわかります。ただ、賀状ホルダーに保存しておくならば、こちらが印刷しないといけません。それに、パソコンを持っていない人や使えない人は、最初から除外されているという暗示でもあります。

マレーシア関連で言えば、ある国立大学の名誉教授が、わざわざ年賀状に「ユーリさんの研究に期待しています。機会があれば語り合いましょう」と書いてくださり、やおら腕まくりしたくなる思いでした。まあ、結婚でも研究でも、「そう言ってもらえるうちが花」なのだそうですが、是非とも、枯れないうちに、小さくとも何とかあざやかな花を咲かせてみたいものです。遅咲きの花というのも悪くはないです。晩成型だと自覚しつつ、自分らしい花を咲かせよう!
この先生からは、数年前、段ボール箱にいっぱい、辞書やご蔵書や1960年代のクアラルンプール地図などを譲り受けました。ある日、お手紙に同封された文献リストが送られてきて、「欲しいものは差し上げます」と気前よく書いてくださったので、遠慮なく望む本を送っていただいたのです。古くても良質の文献をお持ちで、非常に助かりました。

それから、芸大名誉教授のピアノのU先生。「今は仕事をやめ、家で楽しんでいます」との由。最初からピアニストを目指した生徒でもなかったのに、こうして律儀にご挨拶をいただけるなんて、なんて私は果報者なんでしょう。もしかしたら、ピアノの世界から一歩離れていたから、かえってよかったのかもしれません。実は、U先生の直弟子に当たる方が、現役N響ヴァイオリン奏者の奥様と深い関係のある(←いえ、仕事上ですよ、あくまでも)優秀なピアノ教育者なのです。というわけで、世界は狭い!いつか、レッスンの時に先生から、「機会があれば、モスクワでチャイコフスキー・コンクールを見てみては」と言われて、(え、そんな…。弾けない私には縁のない所!)と思っていたのですが、最近の状況から推し量るに、まんざら夢のような話でもなさそうですね。つまり、弾けるか弾けないかよりも、クラシック音楽に関心を持ち続けられるかどうかという内面の情熱や意欲の方が大事だということです。さすがは先生、時代の先を見ていらっしゃる!!

ところで休みの間には、テレビで録画の撮りだめをしておいたクラシック音楽番組をじっくりと鑑賞。暮れからお正月にかけては、選りすぐりの演奏会やコンクールの番組が何時間分も並んでいたので、見る時間さえ確保できれば、これほど幸せなことはありません。世相が暗い時ほど、よい音楽をたくさん聴くべきです!
特に、クラシックの若手演奏家を見ていると、何かと勉強になります。特に、チャイコフスキー・コンクールのヴァイオリン部門で優勝した神尾真由子さんの意志の強さと弾けるような情熱に、好みは別として、見習うべきものは見習わないと、と改めて感じました。あの方の演奏には不思議なところがあって、超絶技巧の激しい曲なら彼女にぴったりだけれど、多分、バッハやモーツアルトなんて合わない人だろうと勝手に思っていたら、それがなんと非常に聴かせる演奏なのですね。新鮮な印象を受けました。ご両親がクラシック音楽のご専門ではなかったというのが信じられないぐらいの豊かな才能です。以前、18歳の時のメンデルスゾーンの協奏曲をテレビで見て、上手な演奏だとは思ったものの、顔の表情が大袈裟で好みではないと感じたのですが、今回、感想を改めました。

音楽といえば、先月から、東京外大学長でもいらっしゃる亀山郁夫先生のブログ「カフェ・マヤコフスキィ」(http://stavrovsky.blog.ocn.ne.jp)を毎日楽しみに読んでいます。書かれていらっしゃることの意味がわかるだけでなく、先生のご説明が、以前からの私の推測と合致している面も大きいというところが、実に不思議なのです。例えば、ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』に関する言及がそうです。もうすぐ、岩波新書スターリン支配下ショスタコーヴィチについても出版されるのだそうです。ますます楽しみ!

こうしてみると、もともと、「マレーシア研究のユーリ」から、はみ出しているのですね。どうみても私は、東南アジア一筋とはいかないようです。二十代頃なら、物珍しさも手伝って、東南アジアの勉強がとてもおもしろかったのですけれども。「論文、論文」とせき立てられるとつぶされそうになるのは、私の甘えや実力不足もさることながら、背景や気質からして自然な成り行きでもあるということが、最近、ようやくわかってきました。ただし、ここまで続けてきたからには、やはり形にすべきです。要はそれだけの話。シンプルに考えましょう。

主人に言わせると、結構私にも派手なところがあり、人前に出たがる面を持っているのだそうです。それに、私の好きなクラシック音楽も、華やかで激しい曲が多いと言いました。上記のU先生からも「重い曲が合っているわね」と言われたことを覚えています。それはかなり認めます。言い換えれば、もっと自分に正直にならないと、自分らしい人生が送れないということなのでしょう。

そして、緊急時に備えてたまにメールチェック。「ユーリの部屋」は、5日間、閉店していたのに、それでもアクセスが上がっていくので、驚きました。どなたが見てくださったのでしょうか。ありがとうございます。英語版“Lily's Room”の方は、ニュースがニュースだけに、普段と逆転して、日本語版以上にアクセスがあります。英語でもブログを開いてよかったと思います。
ただし、アクセス数値だけで満足するのではなく、もっと意義あるインパクトの強い内容を書き続けなければなりません。過去にワープロやワードに日付入りで入力したまま、どこにも投稿していない文章がたまっていますので、話題が不足した日に転載しようかと考えています。とにかく、読んでくださる方々にとっても益となるよう、独り言の自己完結で終わらないよう、公共性を踏まえた内容を造り上げることも課題です。ホームページというものは、開けば自動的にアクセスが上がるものでもなく、検索でひっかかっただけだとしても、クリックして「読みたい」という気になってもらえるかどうかがポイントなのだろうと思います。まあ、深刻に考え過ぎるとひっくり返って何もできなくなるのが私の癖ですから、適度に楽しく続けていこうと思っています。

今年の研究と勉強と趣味とその他なすべきことの計画は、この休暇期間中にメモからノートに清書しました。書き写している間が、一番張り切っている時でもあるのですが、もっともっと前向きに貪欲にいきたいものです。もうすぐ、最新版VISTAのパソコンもアメリカから届くはず。私が元気だと、主人も安心するのか体調が安定するようですから、思いっきりなすべきことに集中したいと思います。少しは神尾真由子さんを見習って、図太くならないと。人生、図太い方が、つまり、肺活量の大きい方が有利なのだそうです。

この一年が、どなた様にとっても平穏かつ実り多い年となりますように。