ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ロシア音楽演奏会の小感想(1)

ゲルギエフ指揮・マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏会の小感想を二回にわたって掲載いたします。♬♪♫

これから書く内容は、全く個人的なものに過ぎません。音楽の専門家ではありませんので、もし記述にミスがあれば、どうかご海容のほどお願い申し上げます。当日、いつものように、思いつくままメモを取りながら聴いていました。以下は、演奏会の翌日、メモをそのままワードに入力した後、しばらく寝かせ、感動の興奮がひとまず落ち着いた頃に、書いたものの構成を組み替えたものです。

2007年11月16日 於:大阪・フェスティバル・ホール(午後7時開演)
ワレリー・ゲルギエフ指揮・マリインスキー歌劇場管弦楽団 2007年日本公演
主催:読売テレビ  後援:ロシア連邦大使館 
協力:ユニバーサルミュージック・マリインスキー・オペラの会・日ロ音楽家協会

〔プログラム曲目〕
チャイコフスキー作曲「交響曲第2番ハ短調Op.17‘小ロシア’」(7:05-7:40)三回カーテンコール
プロコフィエフ作曲「ピアノ協奏曲第3番ハ長調Op.26」(7:45-8:15)三回カーテンコール・花束一つ
・休憩(8:20-8:35)
ショスタコーヴィチ作曲「交響曲第15番イ長調Op.141」(8:43-9:31)三回カーテンコール・花束二つ+フロアから花束一つ

《アンコール曲》
(後半二曲は、ゲルギエフ氏が舞台から客席を向いて英語で曲名を伝えた)
ショパン作曲12のエチュードOp.10-12「革命」(8:18-8:20)二回カーテンコール
チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」から「アダージョ」(9:36-9:43)二回カーテンコール
プロコフィエフ作曲「3つのオレンジへの恋」から「行進曲」(9:44-9:46)

・パンフレットによれば7種類のプログラムが用意されていて、11月4日から18日まで、計9カ所(のべ11カ所・東京は3回)の日本公演。私にとっては、プログラムCを大阪で公演してくださって、大正解だった。ご参考までに、他のプログラムの曲目は次のとおり。
ストラヴィンスキー作曲:バレエ音楽火の鳥」「春の祭典」「ペトルーシュカ
チャイコフスキー作曲:交響曲第1番「冬の日の幻想」・交響曲第5番・バレエ音楽白鳥の湖
ラフマニノフ作曲:交響曲第2番
プロコフィエフ作曲:バレエ組曲「ロメオとジュリエット」
リムスキー・コルサコフのオペラ作品集:「プスコフの娘」「ムラーダ‘貴族たちの行進’」「見えない町キーテジと乙女フェヴローニャの物語」「金鶏」

〔小感想および雑感〕
・7時5分から9時45分まで、三つの大曲に三つのアンコール曲と、一万三千円払って、たっぷりと堪能できる充実したロシア・プログラムだった。
ストラヴィンスキーラフマニノフのこれらの曲目はあまりにも有名過ぎるのでともかくとして、普段、バレエもオペラも、せいぜいテレビで見る程度のため、もし大阪公演が他のプログラムだったら、いくらゲルギエフ指揮・マリインスキー歌劇場管弦楽団でも行かなかったかもしれない。この辺のタイミングが難しいところで、やはり演奏会は一期一会なのだと思う。大切にしたい機会である。
・公演二日前に慌てて電話予約したのに、舞台のよく見えるいい位置に席をとっていただいた。6時35分に着席。今回は携帯電源抑止装置をつけるとの放送があった。
・2700あるという席は全体として6割ほどのお客さんの入りであった。両脇はどこもガラガラだったのが、本当にもったいなく惜しまれる。学生割引やシニア割引を作ってでも、客席を埋める工夫をされたらいかがなものか。シンフォニーホールも京都コンサートホールいずみホールも大阪NHKホールも、私が出かけた演奏会は、ほぼ満席か9割方入っていたと記憶している。私も舞台に立ったことが何度かあるのでよくわかるが、演奏する側は、ほぼ一瞬のうちに、お客さんの心理状態まで把握できてしまうものだ。演奏会は、演奏する側だけでなく、聴き手側も一緒に造り上げていくものである。チケット完売、客席満席、という状態の方が演奏する側も張り切れるのではないだろうか。
・多少無理してでも、できるだけ上質のよい演奏会に行かなければならない。そこそこ、ほどほどで満足していると、耳も鍛えられないし、お金と時間が損するということがよくわかった。どこか不満の残る会合や催し物に対して、若い頃はよく、「そんなものだよ、ユーリの期待が高過ぎるんだよ」と妙な慰め方をされていたが、それは違うと断言できる。そんないい加減なことを言って、こちらの感性や人生に対する夢をつぶさないでほしかった。今でも非常に腹立たしい。これからは、元を取り返そう!
・何でもいいから有名な演奏家や評判の演奏会に行ってみる、というのではなく、決して安くはないお金を払って出かけていく以上は、「よいホール、よい演奏家、よいプログラム」に限る。「よい」の意味は、(1)自分の理解度に合うレベルであること。難し過ぎても易し過ぎても不適切 (2)あまりポピュラーでないもの。たとえ演奏家や曲目に人気があっても、好みに合わなければ避ける (3)是非ともこの演奏家でこの曲を、というものが一つは含まれていること。同時に、未知の曲も多少入っていること。全部既知の曲というプログラムはつまらない。この三条件がだいたい揃っていれば、刺激もあり満足できる演奏会である。その後、プログラムなどを手がかりに、さらに深く曲の背景を勉強してみたい、演奏家や楽団の活動について知りたい、と思えるような時が、よい演奏会だったといえる。
・単に有名人とか人気のある演奏家というだけではパス。例えば、五嶋みどりさんの演奏会は、毎回感動があり、まず裏切られることがなく退屈もしないという信頼感があるからよい。一方、2006年6月20日京都コンサートホールで開かれた弟さんの龍君の場合は、(まだまだこれから、話は大学卒業してからね)というのが率直な私の感想だった。プログラムは、イザイ、シュトラウスブラームスのヴァイオリン・ソナタ武満徹の「悲歌」そしてラヴェルのツィガーヌと難曲揃い。しかし、聴衆も女性や小さな子どもさんが多く、ノリにノッている雰囲気というよりは、軽い調子で、思わず前の席の親子組が「イェ〜イ!」と手を振り上げてしまうようなところがあり、実に興ざめ。演奏中なのに、咳き込む人や携帯電話を鳴らす人がいて、途中で大きなくしゃみをする人まで前方に座っていた。歳をとったせいなのか、こういうのは、ポップスやロックならともかく、私には合わない。当日の龍君、難曲を軽業よろしく易々と弾きこなしていた。うまいことは確かだが、屈託がない代わりに葛藤もなく、あまりに器用に弾くので、深みに欠けている。それに、小休止のたびに、弓を思わずクルリと振り回してしまったりして、曲芸師みたいで(え?)と思ったほど。ああいうスタイルは、クラシックで許されているのだろうか?節先生が、「男の子だから、もう少し長い目で見てやってください」とどこかでおっしゃっていた。はい、お待ちしますよ。中年ぐらいになっても、まだヴァイオリンを続けているなら、龍君の演奏会に行ってもいいですよ、ユーリおばさんは。
・マリス・ヤンソンス氏がバイエルン交響楽団を率いて来阪されると何度か大きく新聞に出ていた。この組み合わせの素晴らしさはテレビで見て知っているものの、今一つ躊躇してしまうのは、プログラムのせいなのだ。ドイツで聴くなら、何でもいいのだが、来日公演となると、この兼ね合いが非常に難しいと思う。集客力を意図したプログラムだと、演奏者側の持ち味が必ずしも全発揮されるとも限らず、東京なら満席でも、大阪や京都だとガクンと下がる(その他の地方なら、もっと下がる)こともあり得る。会場側は、恐らく赤字にならないようチケット料金を采配しているのだろうが、懐具合とプログラムと日時と演奏家の組み合わせとが、心から一致する機会は、それほど多いわけでもない。(是非行きたい!)という気持ちにこちらがなれるかどうか、タイミングも必要。
ヴェンゲーロフとフジ子さんの演奏会が随分前に広告で出ていた。主人はフジ子さんが好きなようで「あ、これ…」と申し込みたそうにしていたが、私は(う〜ん、この組み合わせがね)とどこか乗り気になれなかった。案の定、昨日になって、ヴェンゲーロフが右肩故障のため、演奏会をキャンセルしたので、代役がヴァイオリンをつとめることになったらしい。クラシック演奏会では、こういうことは珍しくはないが、乗り気になれなかった自分の気持ちに正直になることで、結果的に正解だったことが何だかうれしかった。
・お客の服装は、私も含めて秋らしいグレー系・ブラウン系の地味な色合いのスーツ姿が多い。年配の人が中心かと思っていたが、休憩時間などを見ると、案外、芸大・音大・ロシア文学専攻の学生風若い女性達もチラホラ。お着物の年配女性も数名。それから、金髪と栗色の髪の白人女性達も2,3名来ていた。東欧系らしい黒髪の一人の女性は、真っ赤な靴に真っ赤な鞄を持っていたが、至って質素で堅実そうなタイプ。音楽が好きらしく、今回の演奏会に加え、他の演奏会のチケットも入手してうれしそうだった。高校生以下の子どもはまず見かけず。会社員にも、こういう時代だからこそ、本物のロシアのクラシック音楽を聴いて欲しいと思うのだが、定時に帰れなければ、まず無理そうなのが残念。
←主人:いや、その日だけ定時に帰ることもできるだろうよ。だけど、そのプログラムなら、本当に好きな人じゃないと、それだけのお金払って行く人は限られるだろう。素人向けじゃないね。通とか玄人までとはいかなくても、本格的な曲目だからさ。
←ユーリ:そうとも言えず。私の右隣に座った60代くらいのおじさんは、香水つけて大きな金時計をはめていたが、金満家でも寂しい人みたいで、音楽が始まると、右手を上げて曲に合わない指揮振りのまねをし出した。それが最後まで続いたので、こちらも気が散り、うっとうしくてならなかった。曲に合っていれば、それなりに楽しんでいるのだろうとも解せるが、拍子もテンポもむちゃくちゃ。こういう人が一番困る。それから、今時はやらない大きな毛皮コートを来たザアマスおばさま風の女性も約一名、ボックス席あたりをうろうろされていた。
・古いホールだと聞いていたが、なかなか立派なよいホールで、シンフォニーホールやいずみホールよりも、はるかに落ち着いたしっとりとした雰囲気であった。歴代演奏家の写真を見ると、私が生まれる前の知らない名前がずらり。つくづく深い感慨を覚える。まだ、高度経済成長前の1958年4月に、大阪のこの場所に大ホールを建てようとした構想スケールが素晴らしい。名古屋には、少なくともそれと同じ頃には、これほどまでのホールはなかったと記憶している。また、まだ不便だったろうに、わざわざ来日してくださり、東京だけではなく大阪へも足を運んで演奏してくださった方々の面影も、なんともいえず情緒がある。
ゲルギエフ氏は、「カリスマ指揮者」と言われているので、小澤征爾氏やその系列の中堅のように、汗を飛び散らせて体全体で指揮するタイプなのか、と思っていたが、非常に落ち着いて安定した姿勢をくずさなかったので、威厳を感じ、好感が持てた。決してニコニコとお客に愛想を振りまくタイプではない。確固たる哲学を持ち、表面的には頑固でとっつきにくそうだが、根は温かそうな印象がある。目に見える観客数で測るのではなく、ロシア魂そのものの音楽が、集まったお客さんに直接届くよう細やかに配慮されている節がある。しかも、媚びない。これが真のカリスマの姿なのだ。
・今回、500円でしっかりした装丁のパンフレットを買い求めた。CDをホールで販売しないのだろうか。ピアノのブラボー興奮の後で、すぐに指揮者とピアニストのイェフィム・ブロンフマン氏とマリインスキー楽団のCDを並べてあれば、かなり売れるはずなのに…と思った。主人によれば、アメリカでも演奏会に乗じてCDを販売するというのは、滞在当時は見た記憶がないとのこと。ロシア系音楽のどこかの本には、「ソ連(ロシア)の演奏家は、西側と違って、宣伝するということを知らない」などと書いてあったから、今もそうなのだろうか。そう言えば、『ロシアから西欧へ:ミルスタイン回想録』には、「ソヴィエトの芸術家は西側で得た出演料の10%のみ入手し、その他はソ連大使館へ」とあった(p.359)。
・ところで、このホールは、開演直前と休憩終了時間に、京阪電車の駅で流しているようなピヨピヨという鳥の鳴き声のような合図を入れる。ちょっと時代がかって聞こえるのとセンスが今ひとつなので、できればご一考を。

(メモ終わり)

明日は、演奏そのものについて、雑感めいたものを載せます。今の時代のよいところは、素人専門家を問わず、演奏会の個人感想がインターネットで読めることです。昔は、音楽評論家の評を、遅れて出版される音楽雑誌か新聞の文化欄で読む程度で、体験の共有が非常に限られていました。今なら、ブログやホームページで皆が自由に書いています。かなり参考になるコメントもあります。私の感想に近いもの、あるいはより専門的なコメントが読めると、理解の進歩にも結びつき、音楽の楽しみが倍増されます。