ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ムスリム・クリスチャン関係

2007年10月23日付英語版はてな日記‘Lily’s Room’では、マレーシアから10月22日に送られてきたカトリック週刊新聞『ヘラルド』の記事より、ローマ教皇宛に提出したムスリム指導者層の署名付き公開書簡を筆写入力しておきました。マレーシアの代表的な4名も署名しています。ご興味のある方は、どうぞご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20071023)。

ただし、私見を言い添えると、この内容は、失礼ながら、特に新奇性のあるものでもありません。実は、第二次世界大戦前後、ウィリアム・シェラベアの晩年近く(1940年代頃)から、シェラベアも含めた一部の進歩的な宣教師学者の間で提唱が始まり、具体的には、1980年代頃から、キリスト教神学における宣教議論の重点変化に伴って、まずクリスチャン側からムスリムへの呼びかけとして提出されていたものです。イスラームキリスト教、ないしはクルアーンと聖書の相違に強調点を置くのではなく、類似点に共通項を求めて一致協力していこうという考え方です。

同類の内容が、ようやくムスリム指導者側からベネディクト16世に対して書簡が送られたわけですが、クリスチャンへの呼びかけの形式をとっているものの、もしもキリスト教側が「実は…」と1980年代頃の神学的声明をムスリムに見せたとしたら、どんな結果になるでしょう?これには、もちろん背景があり、2006年9月12日、ベネディクト16世がレーゲンスブルク大学で大学関係者向けに行なった講義の一部が、メディアでムスリムの感情を逆撫でするような形で流された時、騒動となった時期があったことを想起する必要があります。ムスリム側からの、‘和解’を促す一応答としての公開書簡であるとも考えられましょう。

背景を理解するとしても、問題は、トラック一周以上遅れているのに、実は相手が二周目に入っていることも気づかずに、自分の方が先を行っていると錯覚しているようなカリカチュアが、現実に起こっていることです。しかし、それを正面から指摘したら、衝突が起こらないとも限らず、慎重であらねばならない点に、事の複雑さがあります。

それはともかくとして、誰がどこでどの声明や公開文書に署名したかは、マレーシアでは日本以上に非常に重要です。この情報をきちんと保存しておき、何か問題が発生した際には、その情報を引用することで、解決や是正を要求したり、自分の発言に一種の権威や証拠を付与したりするのです。特に、現在のようなイスラーム復興の潮流が避けられない時代には、過去に遡って引用することで、解釈の相違や変化を喚起するわけです。

インターネットは、マレーシアでも急速に普及していますが、日本と異なり、まだまだ国民全体が情報の共有や文書保存の大切さを、等しく認識しているわけではないのが現状です。半島の首都圏では、欧米の著名な大学で博士号を取得してくるような人もいれば、一方で、サラワクの奥地など、狩猟生活をつい最近まで営んでいた人々も多いのですから。しかし、もともとメモ魔で記録癖のある私でも、マレーシアで、指導者層や研究者達が、新聞記事一つとっても、大切にファイルに保存して論文や各種声明に引用しているのを見て、取るに足らないと一見思われるような情報の重要性に対する気持ちをより深めました。政府にコントロールされている新聞だからこそ、なおのこと、遺憾声明などを出す際に逆利用できるのです。