ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ローマの休日」

昨夜、たまたまテレビをつけたところ(←先月の国政動乱以降、新聞とラジオだけで情報を得るより、テレビ番組を見た方がはっきりわかることも多いのだと気づき、テレビの時間が増えてしまいました)、懐かしい白黒映画のシーンが出て来ました。目のぱっちりした若い女優さんのウエストが55センチぐらいに見えた途端、(あ、これは『ローマの休日』ではないかな)と思い、早速、新聞のテレビ欄で確認してみました。
やはり、1953年アメリカ制作版のウィリアム・ワイラー監督オードリー・ヘプバーン主役の『ローマの休日』でした。
実は私、この時初めて、『ローマの休日』を見ることができたのです。とはいえ、アン王女が部屋で目覚める場面からだったのですが。学部生時代から、さまざまなエッセイや随想などの文章を読むと、時々このタイトルが出てくるので、いつかは映画を見てみたい、と願っていました。ところが、どういうわけか、最も自由な時間があるはずと言われていた学生時代にさえ、その機会はなかったのです。もともと、それほど映画好きでもなく、わざわざ映画館に足を運ぶなどという習慣がなかったためもあります。結婚前後から、主人が新聞広告などで話題作を見つけて誘ってくるのに付き合うようになり、ようやく、映画は本とは違った強い印象を与えるのだと認識した次第です。
昔の映画は、話題作だけを目にするためもあるのでしょうが、今見ても質のいいものが多いですね。筋立てがシンプルで、特にどうという話でもないのですが、余計な科白がない代わりに、きちんと伝わるものがあり、背景なども味があります。最近のものは、よくは知りませんが感触として、アクの強いものや情報過多のものや目まぐるしいものが目立つようにも思います。もっとも、その中から良質の映画だけが残っていくのでしょうが。
この映画では、オードリー・ヘップバーンの愛らしさと美しさが大評判だったことは、以前から知っていました。が、ここ数年のユニセフのパンフレットでは、晩年の彼女が「あの頃の私よりも、シワの増えた今の私の方が好きです」と言いながら、親善大使として、世界各国の難民や飢えに苦しむ子ども達のための活動に打ち込んでいた姿が描かれています。人の内面とは、本当に外見からではうかがいしれないものだと改めて思います。同時に、単なる女優さんで終わらなかったオードリー・ヘップバーンに敬意を覚えます。

テレビがまだ普及していなかった1950年代60年代前半頃までは、娯楽らしい娯楽があまりなく、読書の他は、休日に映画を見に行くのが楽しみだったと都市部の中高年の方達から、今でも時折、見聞きします。今は娯楽に溢れ、恵まれ過ぎて、ありがたさにも鈍感になってしまいます。どちらが幸せなのかは、一概には言えません。

ところで、自分の20代や30代は、いつも何かと闘っていたような心象風景を持っています。結婚後しばらく、それまでの長期的心理疲労が一気に出たのか、憂鬱感が抜けきれなかった時期がありました。外出したくなく、人とも会いたくない、という気分がずっと持続していたのです。そんな頃に自分で作った目標の一つは、せめて週一回は近所の図書館に行って、『ローマの休日』も含めた名画集のフィルムを一本ずつ見て気分転換を図ろうというものでした。もちろん、お医者さんからは、「そうやって目標を立てて頑張ろうとするから、疲れるんですよ。今は好きなように気儘にのんびり休みなさい」と言われたのですが、そう言われる自分の人生はもう終わりだとまで思い詰めていました。
結局、主人が働いてくれるのを幸いに、自宅で自由に過ごしていたら、少しずつ態勢が整ってきて、20代の頃よりも元気になってきました。ただ、元気になったために、名画フィルム計42本を見る目標は、未だ達成できていません。

しかし昨日は、偶然テレビで見られて楽しかったです。ある程度年を経てから見る昔の映画は、なかなか味のあるものです。