ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

メイド考

2007年9月11日付『朝日新聞』朝刊には、マレーシアで昨今問題になっているメイドに関する虐待行為が、大きな記事(「犯罪:家政婦虐待−成長おごり 出稼ぎ標的」)になって掲載されていました。これは、出勤前の主人が見つけてくれたものです。

東南アジアでは、マレーシアの他にインドネシアとタイとシンガポールにしか訪れたことはありませんが、私が行ったどこの家でも、フィリピンかインドネシアメイドさんを雇っていました。それほど長い滞在期間でもありませんでしたので、仕事ぶりなどはよくわかりませんでしたが、少なからずいろいろ考えさせられました。
マレーシアの首都圏でキリスト教会を回って参与観察なるリサーチをしていた頃、メイドさんを含めた家族ぐるみで教会礼拝に集う家族も、しばしば見かけました。そういう家庭では、家事全般と子守を担当してもらうものの、その他はかなり人道的接遇とでもいうのでしょうか、まずは準家族待遇だったと思われます。また、首都圏中心部にあるカトリック教会では、表向きの看板はないのですが、「タガログ語ミサ」の時間が設けられていました。広い敷地を持つその教会では、毎週日曜日の英語ミサの前後にも、大勢のフィリピン系の人々が、社交や情報交換や簡易商売などのため、集まってわいわい賑やかにしている光景がしばしば見られました。ただ、「インドネシア語ミサ」というのは聞いたことがありません。恐らくは「マレー語ミサ」で代用されているからでしょう。

大学院の時、留学生寮のチューターを1年半していました。いずれは海外で働きたいと思っていましたので、日本にいる間にできる限りの準備や慣れの経験を持っておきたかったのです。当時の「留学生寮」といえば、薄汚れた貧相な木造アパートか何かを想像されるかもしれませんが、実は、鉄筋コンクリート5階建ての新築マンションでした。夫婦部屋とワンルーム形式の独身者用とに分かれていた他は、コインランドリーも設置され、ロビーで新聞も読め、大学敷地内にあるので、講義に通うのも自転車があれば非常に楽になった、という‘特典’付きでした。
話は長くなりましたが、その留学生寮で、私はいろいろな国々の国費留学生達と親しくなりました。お父さんが外交官だったというニューデリー出身のインド人女子留学生が、ある時「ア〜ア、国だったら、コーヒーを飲みたくなったらパンパンと手をたたくだけで出てきたのに、日本だと自分で入れなければならないから...」と面倒くさそうに言い出したことを覚えています。「コーヒーぐらい、自分で沸かしたら?」と私が言うと、「日本人は何でも自分でするからねぇ」と羨望とも憐れみともつかぬ返事をされてしまいました。
そのエピソードを、「ユーリの部屋」のおとといの項「音楽レッスンの思い出」後半で登場するピアノのグループレッスンで話したところ、一人の奥さんが「いいなぁ、私もメイド付きの生活を一度でいいからしてみたい」と言い出したのです。聞くところによれば、その奥さんの友達が、やはり海外駐在組でタイに住んでいるのですが、メイドさんに家事一切頼んで、毎日優雅に暮らしているらしいのです。その奥さんの方は、カナダの駐在だったので、日本と同様、自分で何でもしたそうです。
私など、マレーシア首都圏の派遣でよかったなあ、とつくづく思うのは、こんな時です。マレーシアでは、地元の中流家庭では確かにメイドさんを雇っているところも少なくなかったのですが、日本人家庭では、私の周囲では中年男性の単身者以外、メイドさんのいる人はいませんでした。車を自分で運転し、料理も奥さんが作り、ほとんど日本にいる時と同じような暮らしができたのが、1990年代前半のマレーシアでした。もし、インドネシアやタイの派遣であれば、メイドさんはもちろんのこと、運転手も雇う必要があり、手当がつくとはいえ、仕事以上に何かと気を遣わねばならなくて面倒だな、と私は思っていたのです。
というのも、メイドさんを雇うことについては、岐阜出身の母方の祖母が、女中(新潟女中)数人や小僧さんに囲まれて育った環境を、私の小さい頃から繰り返し話してくれたからです。洗髪や髪結いもしてもらい、学校の行き帰りの単独行動など考えられなかったそうです。知らない人は「ま、かしづかれてお嬢様でよかったじゃない」と言うかもしれませんが、不自由この上ない話です。その代わり、結婚後の祖母は料理一つできず、戦後は、同居のお嫁さんが大変苦労したそうです。その反動で、私の母は「何でも一人でできなければならない」と私をかなり厳しく育てました。ちょっとやり過ぎのところも多々ありましたが、「学校の勉強なんか、できて当たり前。試験期間中であろうと、いつも通り家事の手伝い」という躾そのものには、当時も今でも感謝しています。だから、こうして家にいて、勉強の合間に家事をこなすライフスタイルは、ほとんど苦になりません。というより、ごく自然だと思っています。
それはともかく、メイドさんを雇うということは、自分の家の部屋一つを割り当て、その背後にいるはずの家族の状況にも配慮する必要があり、メイドさんが病気になったら看病や感染などにも気をつけなければならず、電話連絡を受ける際にも注意が必要などと、特に海外では大変なことばかりです。素直で丈夫な働き者のいい人に当たればいいけれども、学校出たての24歳の小娘に、そんな経験豊富なメイドさんが来るとも思えず、本当に助かった次第です。
ちなみに、私の友人プロテスタント華人の家庭のメイドさん達は、こんな風でした。

シンガポール:Y・D家のフィリピン人メイド
高卒のカトリック。日曜日には、カトリック教会のミサに行く時間を与えられている。「ねえや」とでも訳せようか、そのような単語で呼ばれていたので、本名は知らない。料理と掃除と幼稚園の子どもの面倒を見るのが仕事。年に一度はフィリピンに帰国する休暇権利を持っている。「去年から我が家で働いてもらっている」とのことだが、「もし彼女が私達の所でもっと働きたいと望むなら、契約更新を考えている」とは友人の説明。
ただし、ある日友人宅に電話したところ、友人は留守だったため伝言をメイドさんに残したのだが、私の言った電話番号が聞き取れず、間違えてメモしたようで、友人とは長らく連絡がとれなかった。また、私に対して「マダム」と呼んでいた(!)。食事を作って、私達と同じテーブルで食べたが、人の話を、慎重に不安そうな表情で必死に聞き取ろうとする様子が、どこか痛々しかった。私が帰ろうとすると、友人の子どもを抱いて、玄関で「また来てね」と笑顔で見送ってくれた。
友人いわく「私も働いているし、子どもが小さいから、ねえやを雇わないと、家が片づかない」とのこと。「それに、私達が雇うことで、彼女のフィリピンの家族を助けていることにもなる」。

・クアラルンプール近郊都市:G・LHインドネシア人メイド
マレー語の流暢なLHは、「安いから」という理由で、インドネシア人のメイドを家で雇っていた。来日中、私にも「なんで人を雇って外で働かないの?」と簡単に言ってきたのだが、「戦前と違い、現代の一般の日本女性達は、よほどの大金持ちでない限り、家事も子育ても外の仕事も何でも自分でやって、他人を家に入れないのが普通なの」と返事をしておいた。「まぁ、有能なのね」と驚かれたが、有能でなくても、そうしているのです!!彼女の家に一時訪れた時には、小柄で快活そうなメイドさんが、オレンジを何個も切って、お皿に山盛りいっぱい持ってきたが、残念ながら、私は一口も食べる暇がなかった。

セレンバン:Y家のメイド体験
Y家には、以前はフィリピン人メイドがいたが、今は奥さんが外での仕事をやめて、家事全般をこなしている。というのは、三人の育ち盛りの子どものうち、末っ子がメイドさんに育児されたされたために、いつまでたってもきちんとした英語が話せず、スラングでしか親に返答しなくなったためである。また、ご主人が英語教育、奥さんが華語教育を受けたY家では、将来のため、子ども達にはマンダリンも必要だと考えているが、「崩れた英語を話す」フィリピン人メイドが家にいると、子ども達が学びたがらず、楽な方に流れていくからだそうだ。「もし夫の収入だけで何とか暮らしていけるならば、子どもの教育を犠牲にしてまで、妻が外で働かなくてもいい」というのが夫妻の考えである。その考えは、東京在住の親戚から聞いた、日本人の一般家庭の話に学んだものであるという。

上述の記事に戻りますと、家政婦虐待問題そのものについては、ずっと前からマレーシアの電子版新聞で読み、知っていました。マレーシアの人権団体などが、問題視していたからです。ただし、日本の記事で大変気になることとして、「急激な経済成長を成し遂げたことがマレーシア国民の誇りや自信を高め、社会的弱者に高慢な態度を取る人が増えたことが背景にある」と書かれてありました。記事によれば、マレーシアの一人当たりの国民総所得が約5千ドル(約57万円)なのに対し、インドネシアでは約1300ドル(約15万円)という経済格差があるとのことです。これには、ずいぶん考えさせられます。
なぜかといえば、1990年当時の私の記憶では、マレーシアのクアラルンプールだって「これが首都?」と思うほど、のどかで鄙びた田舎っぽい小都市だったからです。高層ビルなど、ほんのわずか数えられるぐらいしかなく、空は青々として、交通渋滞もそれほどひどくはありませんでした。ただし、一般自家用車なども、ナンバープレートが壊れたままか、ひどい場合は、段ボール箱の切れ端に数字を書いて貼り付けて走っていたり、タクシーのシートが、座るとグンと沈み込むような座席だったり、ミニバスも傾きながらモウモウと煙を上げて、時々は道でひっくり返りつつ、走り回っていた、という光景は随所に見られました。マレーシアで車を買うのは、日本で家を購入するのに等しい感覚だと、当時は聞きましたが、確かに、赤ちゃん連れの親子5人ぐらいが、一台のバイクにまたがって車の合間を走り抜けるという危なっかしさは、通勤ルートの常態でした。
つまり、マハティール時代に、大型経済開発と大規模な外資投入をした結果が、現在の‘豊かな’マレーシアなのです。その‘発展’には、我が日本国もかなりの‘協力’をしたのです。技術移転やら無償援助など...。マレーシアの人達が皆、自力でもっこを担いでここまで頑張ったというならば、「誇りや自信を高め」るのも無理はないでしょう。しかしねぇ...。
もう一つ、この家政婦問題に潜んでいるのは、経済格差だけでなく、宗教事情というものがあります。私の知っている範囲では、クリスチャン家庭はクリスチャンのメイドさんを雇うのが普通でした。カトリックプロテスタントかという条件まで揃えばいいのですが、なかなかそうも言っていられないので、教会は別だけれど同居している、という妥協はしているようです。また、「ムスリム家庭はムスリムメイドを雇った方がいい」という意見を、電子版新聞の投書欄で何度か見かけたことがあります。それはそうですよね。お祈り時間や断食、服装規定や食物禁忌などがありますから。しかし、場合によっては、クリスチャン家庭がムスリムメイドさんを、あえて雇うこともあるようです。非ムスリムの中でも、クリスチャンは、ムスリムの宗教事情を最もよく理解できる層に属しますから。食べ物や服装などのことも、雇い主が理解し配慮さえできれば、大きな問題には発展しないだろうと思われます。ただし、シンガポールで聞いた話ですが、シンガポールにある小さなマレー語新約聖書のパンフレットなどは、実はムスリムメイドさんに渡すためのものだそうです。時々、熱心なクリスチャン家庭が買って行くとのことです。
メイド問題は、家庭というプライベートな閉ざされた空間で、本音の露出される場で発生するものですから、本当に真剣に考えなければならないと思います。先に述べた、ピアノの奥さんのような無邪気な発想は、私には到底持てそうもありません。