ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

昨日の過ごし方 その1

今日から早いもので9月に入ります。子ども達は、夏休みがとうとう終わってしまい、新学期を迎えますね。受験生なら、夏休みも新学期も境界線のない生活かもしれません。私はと言えば…外の仕事がなければ、「毎日が日曜日」じゃありませんけれども、自己管理と自己計画のもとに、目標を立てて暮らしています。

では、昨日は実際、どのように過ごしたのでしょうか。実は、自宅での小さなアルバイトは、思ったよりも早く進む部分があり、助かりました。

それから、マレーシアの独立記念日のお祝いなのですが、これは夕方までインターネットのニュースをにらみながら思索にふけり、結局はカードを送るのをやめて、メールでの短いメッセージだけにしました。何だか、政府がお祭りごとの演出に力を入れているだけで、非ムスリムや非マレー人はどこか冷めている様子なのですね。それがわかっているのに、あえて「おめでとう!」と書くのも、社交儀礼とはいえ、ちょっと白々しくて…。これでも結構、気が重かったのです。それで、あえて20名に厳選した友人知人に宛てて、次のように書きました。
「マレーシアのムルデカ(独立)50周年記念に際し、“マレーシアよ、永遠に平和で繁栄した国であれかし”とお祝いをお送りいたします」。その後に「追伸」として、「こんなに遅く、しかもメールでの挨拶でごめんなさい。何だか、最近のマレーシアのニュースを見ていて、何とお祝いすべきかわからなくなってきたので」と付け加えておきました。

すると、まだ全員に送信し終わっていないうちに、2名から返信があったのです。一人は2007年6月27日付「ユーリの部屋」でもご紹介したロンドン在住の広東系博士牧師で、「ありがとう。マレーシアは50歳になりました。否定的な面だけ見れば、深いところでの民族分裂やらいろいろ問題はあるけれど、私自身はマレーシアに感謝しています」とあり、最近の休暇中にドイツで撮った家族写真も添付されていました。お元気そうで何よりです。

もう一通は、カイロス研究センター所長の同じく広東系プロテスタントの博士(ケンブリッジ大学)で、これにはつい笑ってしまいました。「ありがとう。実は、それほどのお祝いでもなかったのだよ」とあったからです。おっしゃりたいことはよくわかります。こういう意識の高い人であればあるほど、マレーシアの行く末を憂慮しているからです。父祖の時代には、とにかく働ける場所、稼げる場所の確保が、第一目標でした。宗教や民族のアイデンティティなどは自明のことというのか、深く考える暇も持たず、きれいに表現すれば勤勉に、俗な表現を使えば、なりふり構わず働きまくる、という人生が、大半の華人の生き方でした。希望を子どもあるいは孫に託しつつ…。そして気づいてみたら、何とか食べるには困らない安定した暮らしができるようになっていました。そうすると、次に考えるようになるのは、国のあり方や方向性と自分達の位置づけやアイデンティティの明確化です。これまでは、非ムスリムの方が、海外連繋との関わりにおいても、経済的に有利な状況にあったため、多少の差別には動じずに済みました。ところが、近年の着実なイスラーム化とムスリム中間層の増大によって、宗教政治的のみならず経済的にも、ますます不利な立場に置かれるようになるのではという懸念が、非ムスリムの間で徐々に強まってきたわけです。

これを書いている最中に、もう一通お返事がありました。セレンバン市で親しく付き合っていたインド系家庭の上の息子さんからでした。「今、写真に凝っているんだ。ユーリおばちゃん(注:マレーシアでは、年上の女性に対して、既婚未婚を問わず、親しみをこめて‘Aunty’と呼ぶ習慣があります。以前、スシロ先生のことをインドネシアの人々が‘Pak Daud’と呼ぶ事例をご紹介したのと同じです)僕、日本に行ってみたいな。日本じゃ、写真の技術がすっごく進んでるんでしょ?」と昔と変わらぬ人なつっこさです。

さぁて、休日だったはずなのに、他の人達からはお返事がないところを見ると、やはりお祝いムードではなかった模様ですね。おとといのマレーシアの電子版新聞には、「したかろうがしたくなかろうが、ともかく記念日だからお祝いしなきゃならないんだ」という嘆息ともあきらめともつかぬ投書があり、これにもつい笑ってしまいました。

昨日は、元の職場から出版物が一冊送られてきました。2006年の会合をまとめたものですが、私も関与した研究会などは、見るだけで疲れがどっと出てきそうです。というのも、何も知らない人にとっては、議論するだけで一仕事のつもりかもしれませんが、私など、かれこれ17年もマレーシアを実地に経験してきていて、緊張と矛盾と葛藤の内実を知るだけに、これまでの努力が目の前で水泡に帰するような徒労感をしこたま味わわせられたからです。「話し合いによる解決」「対話こそが重要」と言われますが、具体的な問題においてすら、事実を確認せずに綱引きをさせられているようで、本当にとても疲れました。ふうっ!

クラシック音楽やら何やら、他のことに関心を振り向けているのも、マレーシア以前からの継続ということもありますが、マレーシアだけに関わっていると、自分の受けた教育や知識が少しずつ崩壊していくような気分にさせられるからです。上述の広東系の博士所長のくすんだ気持ちは、ですから、私にはよくわかります。単に食べていくだけとか、美しい自然を楽しむというレベルでの暮らしなら、マレーシアは結構な国なのですが、やはり何と言っても「人はパンのみにて生くるにあらず」ですから。

では、マレーシアのカトリック大司教は、昨日の式典に際して、どのようなメッセージを公表されたのでしょうか。本日付の英語版はてな日記‘Lily’s Room’に全文を掲載しておきましたので、どうぞそちらをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/)。

今年もあと4ヶ月と残りわずかになってきました。心して日々を充実させていきましょう!