ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新渡戸シンポの感想の前に…

昨日の英語版はてなブログ日記 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/) には、マレーシアから届いたばかりのマレーシア教会協議会(Council of Churches of Malaysia, CCM)の冊子最新号について、簡略に導入説明をしておきました。もしご興味があれば、どうぞご覧ください。マレーシアのキリスト教指導者層の、独立50周年を迎えようとする自国への憂慮が察知できることと思います。

実は、今号の冊子のp.5とp.28には、国際聖書フォーラム2007で来日してくださったシンガポール聖書協会のLim K Tham先生についての記事があります(「ユーリの部屋」2007年7月13日参照)。そこでは、聖書協会総主事としてではなく、「シンガポールの教会協議会総主事(General Secretary of National Council of Churches in Singapore)」として紹介されています。ジョホール・バルで今年4月23日から26日まで開催された第12回CCM総会に、来賓で出席され、スピーチもされたようです。

ご参考までに申し添えますと、マレーシア教会協議会とシンガポール教会協議会の組織は、元来は一つの「マラヤキリスト教協議会(Malayan Christian Council, MCC)」として1947年から1974年まで存続していました。1965年8月9日にシンガポールとマレーシアが分離独立したことをきっかけに、両国の相違が大きくなったため、ついに1976年には別個の組織が成立することになり、現在に至っています(Berita CCM, April-June 2007, p.5)。

この記事の会合は4月下旬にありましたが、その内容が8月に届く冊子に掲載される、これがマレーシアのペースです。これでも、10数年前よりずっと効率的になりました。以前の「ユーリの部屋」で書きましたように(2007年7月3日付「人生の選択について」)、私は研究費を申請せずにやっています。公的機関か民間から研究費をいただいて「いついつまでに成果を出せ」というプレッシャーの下にリサーチを進めるとなると、このようなペースですから、マレーシアの当事者を迷惑がらせることになるか、いい加減なその場限りの内容しか書けなくなるというジレンマに陥ることになります。しかも、日本国内にはその筋の専門家はいないし、先進国だと自負している割には、この方面の資料が揃っているとはいえません。1999年頃、日本聖書協会の聖書図書館に問い合わせたり、その後も何度か訪問したりしましたが、「そういうテーマの研究をしている人は、聞いたことがありません」と言われてしまいました。ですから、私のような者にとっては、自腹を切って、ゆっくりマイペースで進める以外に方法はなかったのです。相手を不愉快にしてまでする研究ではありませんから…。当事者もある程度納得のいく内容にしなければ、ほとんど意味がありませんし…。

日本でも、優秀な人であればあるほど(あるいは、優秀でなくても自己顕示欲として)、幾つかの肩書きを持っていらっしゃいますが、マレーシアやシンガポールでいただいた名刺の範囲内では、一つの機関に一つの肩書きのみ、ということが多かったように思います。つまり、一人の人が複数の名刺を相手と場所によって使い分けているのです。日本では一つの名刺に複数の肩書きを並べるのに対して、注意を要する部分だろうと思います。こういうことを知らないと、恥ずかしい思いをしたり、失礼になったりするからです。マレーシアで人と知り合うと、初対面でもあれこれおしゃべりに花が咲くことがあり、日本の通常の社交よりも、早く人々と親しくなったように錯覚してしまいますが、実はこれは、相手がこちらを探っていることも多いのです。どこに泊まっているかとか、誰と住んでいるかとか、どういう所に行ったことがあるかなど、次々と話題が飛び、初めの頃は、マレーシアなまりの英語に慣れていなかったことと、暑さとトピックの広さで、ぐったり疲れていました。どこまで何を話すかというのは、言語文化圏によって異なります。それを知らないと、つい話し過ぎたり、つっけんどんになったりして、誤解を生むこともあり得ます。いずれにせよ、若い頃だったので許されたのであろう失言や失敗を思い出すたびに、今なら年齢的にもヒヤリとさせられることは多いものです。マレーシアの人々に頭が上がらない部分があるというのは、こういう面も含んでいます。

実は、今日の内容は、新渡戸シンポの感想の前座でもあるのですよ。エスペラントに対する私なりの考えも、根底に隠されています。勘のいい方なら、もうお気づきですよね?