ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ヨハネ受難曲」など

外泊や外出が続くと、荷物の片づけや経験したことの記録などがたまってしまい、数日は家で落ち着きたくなります。先日、新渡戸シンポでお会いしたS子さんは、頭の回転が速く、快活な印象の女性でしたが、スケジュールに空白を作りたくないタイプなのだそうです。若さや体力もさることながら、環境や性格によるところが大きいのでしょう。どちらかと言えば、私も好奇心旺盛で、さまざまなことに関心が向く方ですが、亡くなった小田実氏じゃありませんけれど、「何でも見てやろう」とあちらこちら動き回る時期は過ぎてしまったように思います。多様性や複数性に価値を置くよりは、連動性や深みを重視したくなってきたのかもしれません。後に綴ることになるであろう新渡戸シンポとエスペラントについての雑感は、このような考え方が基調となっています。

さて、昨日の「ヨハネ受難曲」、とてもよかったですよ。こういった教会音楽は、テクニックや技能を競うものではなく、ましてや商業ベースに乗っかるものでもないので、普通のクラシック演奏会とはちょっと違った雰囲気が味わえて、なかなか乙なものです。華やかさや躍動感はないけれど、落ち着いた安心感があります。また、初めて訪れたいずみホールは、豪華なパイプオルガンが設置されていて、よいホールでした。事前にわざわざお電話をくださった事務局の方に「実は、いずみホール、初めてなんです」と申し出たところ「では、いいお席をご用意いたします」とご配慮くださり、真ん中辺りの本当によい席を用意していただきました。こういうお心遣いは、演奏会の楽しみを倍加します。

本場ドイツの指揮者が来日をキャンセルされたため、心配されていたお客さんの入りでしたが、蓋を開けてみれば、客席はほぼ満席。中高年が中心でしたが、それでも若い人たちも少しは混じっていました。ただし、お子ちゃま方は、まだちょっと退屈してしまうからでしょうか、いませんでした。

音楽が好きとはいえ、声楽に関しては、打楽器や吹奏楽などと同様、よくわからないというのが、本当のところです。よい先生についてきちんと習わないと、どこをどう聴けばよいのかわからず仕舞いだからです。日本語であっても、歌詞がきちんと聞き取れないこともあるし…。もし「オペラか箏曲のどちらかを選びなさい」と言われたら、正直なところ後者を所望したい、という気持ちです。お琴は実家にあり、母が私に教えようとしました。親子だとすぐに喧嘩になるので、やめてしまいましたが、琴の音が嫌いだったからではありません…。もし続けていたとしたら、人生ずいぶん変わったでしょうね。

以前、スミ・ジョーの歌を聴いて「別に民族差別ということじゃないんだけれど、どうしてもあの人の歌い方が好きになれなかった」と、神戸で声楽を教えている主人の友達に言ったところ「その感覚は正しいです!」と後で届いた手紙に書いてありました。その方の説明によれば、アジア系がオペラを歌おうとすると、体型などからどうしても無理をしてしまうので、聞きづらいのだそうです。なるほど…。もう一つは、スミ・ジョーの場合、本当に歌が好きなのだろうけれど、どこか上昇志向丸出しというところが、いささか興ざめなのですね。指揮者によって態度を変えそうな…。名誉のために申し添えますと、それでも、ここ数週間前にラジオでたまたま聴いたスミ・ジョーの歌声には、なかなか聞かせるものがありました。彼女が変わったのか私が変わったのか、よくわかりませんが。

というわけで、昨日の「ヨハネ受難曲」は、指揮者の事故があったために、かえって人心が一つにまとまり、集中して取り組まれたためか、しっとりとした雰囲気と丁寧な歌いぶりでよい演奏会でした。シンプルで品のよい舞台衣装も、気に入りました。もう一つは、福音書の話を幼稚園時代から聞いて育ったということもあります。こういうことは、本当に大事なのですね。先に「オペラか箏曲か」について書いたとおり、人は幼少時からなじんだものに惹かれやすいというのか、子ども時代が将来を規定するのだということです。これは理屈ではなく、ほとんど本能的なものではないかと思います。

ただし、五嶋節先生がどこかでおっしゃっていましたが、ヴァイオリニストならヴァイオリンだけをやっていては、「芸人」になってしまうそうです。音楽一筋だけでもだめで、いろいろな分野を勉強して幅を広げていかないと、いくら天才少年、天才少女と騒がれていても、大人の年齢になった途端に使い物にならなくなるとのことです。確かに…。あるピアニストの話ですが、ショパンコンクールで1位か2位かで有名になり、その後もずっとショパンばかり弾いていたら、だんだん演奏がつまらなくなってきて行き詰まったらしいです。その挙げ句、聴衆に飽きられてパッとしなくなったとか。その点、ピアニストとして出発したアシュケナージは、指揮も勉強して幅を広げたので、今でも力が持続しているのだと書いてありました。

この「ユーリの部屋」を読んでくださったS子さんから「いろんなことやっているんですね」と言われましたが、実は、比べ物にならないほど次元が低いものの、上記のような意味もあるのですよ。やはり、一つのことばかり勉強していてはダメ。一つを深く極めるとしても、あらゆる角度から刺激を与えないと、発想が枯渇してつまらなくなります。とはいえ、やみくもに片っ端から、あれこれ上っ面をなぞるつもりもありません。私のキーワードは、プロフィールを読んでいただければおわかりかと思いますが、すべて、自分の人生経験で出会ったものがきっかけです。そして互いに有機的に結びついているのです。

さてさて、今晩はまた、大阪クリスチャンセンター(OCC)で佐藤全弘先生のご講義があります(参考:2007年7月9日の「ユーリの部屋」)。新渡戸シンポの時、ご挨拶しましたが、覚えていらっしゃるかどうか…。それから、もうそろそろ、キリスト教史学会の発表準備にかからなければなりません。

「国際聖書フォーラム」の復習と新渡戸シンポの感想とエスペラントに関する私見は、是非とも書きたいものですが、一体いつになることやら…。では、今日はこれにて失礼いたします。

(追記)1時間ほど前に、OCCから帰ってきました。今日は夏休み中だからか、出席者は約半数でした。それでも、イスラエル旅行でご一緒した無教会のご夫妻の他に、もう一人同じ旅団の奥様も参加されていました。佐藤全弘先生に「上智大学ではご講演ありがとうございました」とお礼を申し上げたかったのですが、今回は質問が多く、ついにそのまま帰って来るはめになってしまいました。それにしても、とても76歳とは思えないほど若々しくお元気です。毎回、2時間も、休憩なしで水も飲まずに講義を続けるなんて、訓練していなければ、ちょっとできませんよね。しかも、あと一回で終了されるのかと思ったら、今日いただいたパンフレットには、秋からまた新しいテーマで講座を続けられると書いてありました。