過去ブログ(https://itunalily.hatenablog.com/entry/2026/08/19/191951)では、以下のように書いた。
古森義久『KGBが日本を狙う:情報戦略なき国家』PHP研究所(1984年4月)
《ソ連科学アカデミーの「アメリカ・カナダ研究所」ワシントン駐在代表のワレンティン・M・ベレジコフ博士(1916年モスクワ生まれ)が、1940-45年の間、スターリン・ソ連共産党書記長の公式英語通訳を務めていたという前提で、話が進んでいる(p.179)。》
(転載終)
古森氏がアメリカでインタビューしたというこの人物に興味を惹かれ、以下の本を入手した。
ワレンチン・M・ベレズホフ(著)栗山洋児(訳)『私は、スターリンの通訳だった。:第二次世界大戦秘話』同朋舎出版(1995年6月)(原題:“AT STALIN’S SIDE:His Interpreter's Memoirs From the October Revolution to the Fall of the Dictator's Empire
かいつまんで略述すると、1980年代初期のある時、ボストン近くのウェルズリー大学での国際シンポジウムに招かれたベレズホフ氏は、米ソ関係フォーラムの討論会でリチャード・パイプス教授の論敵として対面した。招待者は、パイプス教授からイワン雷帝に関する講義を受けたことがあったニーナ・トゥマーキン教授だったという。
討論会後の夕食の席で、ベレズホフ氏は、パイプス夫人つまり、奥様のアイリーンさんと隣り合わせになった。そこで、アイリーンさんが、「ソ連について、夫の手厳しい言葉を申し訳なく思っています」と言い、「あのような場では、私はいつも嫌な気分になるのです」と告白されたという。そして、「私はいつだって赤軍に感謝しています。1939年に私と身内の命を救ってくれたんですから」と述べたらしい。一家は、赤軍部隊が支配するピンスク地域に辿り着き、将兵が避難民を丁重に扱ってくれたことを一生忘れない、ワルシャワのゲットーに残った身内は全員ナチスに殺されたのだ、という。
強硬な反ソビエト・ロシアで高名なリチャード・パイプス教授の奥様が、まさかそのような打ち明け話をスターリンの通訳だったベレズホフ氏にされたばかりか、ベレズホフ氏自身がそのエピソードを本に書き記し、それがまた日本語訳されて私の手元に来たとは!
この話は、家庭内でのご夫妻の見解の相違というレベルにしては、衝撃的かつ新鮮だった。
直ぐに私は、以前のようにご長男のダニエル・パイプス博士にメールで本件を伝えた。通常なら遅くとも翌日には返信があるのに、三日たった今でも音信不通ということは、触れられたくない家庭内秘話なのかもしれない、と私は独自解釈をしている。
リチャード・パイプス名誉教授に関する過去ブログのリストは、以下を。
https://itunalily.hatenablog.com/search?q=リチャード・パイプス&page=1426345200
https://itunalily.hatenablog.com/search?q=リチャード・パイプス&page_before=1426345199
特に、リチャード先生が奥様のアイリーンさんに言及されている箇所を綴ったブログは、以下を。
https://itunalily.hatenablog.com/entry/20130629
https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180601
ダニエル・パイプス博士によるお母様の追悼文は、以下を。(邦訳はないが、今では人工知能や自動翻訳機もあるので、私の拙い作業はもはや不要であろう。)
https://www.danielpipes.org/21862/irene-pipes-1924-2023
(以 上)