ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

深刻な意味合い

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/2033583.html


「資金は不明朗だが小室圭氏留学は万事好都合」
2018年7月6日
八幡 和郎


・小室圭氏は現在、都内の法律事務所でパラリーガルとして契約関係の書類などの英訳、お茶くみや電話応対などを担当して勤務中の身だが、今年8月から3年間、ニューヨーク州弁護士資格を取るためフォーダム大学ロースクール法科大学院)に留学することになった。


・常識的には、半年ほどの準備期間があったとみられ、週刊文春は、米国在住の立川珠里亜さんという弁護士の名を相談相手として上げている。小室氏が例の男性の援助で米国に短期留学したときに、お世話になったICUの先輩らしい。


・留学費用は、授業料(660万円)に、教材費や生活費、健康保険料などが加わり、モデルケースでは計9万ドル(約1000万円)を超える。3年間で約3000万円をアメリカでの弁護士資格取得のためにつぎ込むことになる。


・大学のものと思われる奨学金を受けて授業料は免除だそうだ。法学部出身でもなく法律の素養がない小室氏にこのような奨学金を出すというのは、どこかが裏負担したのでなければ、内親王の婚約者の留学先になるということにメリットを感じたのかもしれないと「週刊新潮」は書いている。


・生活費は、現在つとめている、奥野総合法律事務所(奥野善彦所長)が負担するのだそうだ。「資格をとったらまた戻って仕事をしたい」とのことだが、大学院を修了しても合格率は外国人の場合、40%くらいらしい。


・外国法事務弁護士制度により米国での弁護士資格があれば、日本でアメリカでの訴訟について弁護士活動ができるが、そのためには、3年以上の実務経験が必要であり、そのうち2年以上は海外実務経験でなければならない。つまり、常識的にはすべて順調でも、5年以上、米国から帰国できないはずだ。


・奥野氏が「眞子さまと互いに思いを遂げられるよう、私にも協力できることがあれば、して上げたいんです」と奥野氏は「週刊文春」の取材に応えている。


・実質上は、小室氏と眞子さまへのプレゼントだが、皇室経済法は、皇族が経済的な利益を民間人から受けることを禁じており、その趣旨からすれば、あまり筋の良い話ではない


400万円の借金を返さないまま海外留学というのは、道義的にはどうかという疑問もあろう。普通は、一生懸命働いて先に返すほうがよいに決まっている。


・この小室氏の米国行きはいろんな意味で好都合なことである。まず、小室圭氏の警備に複数の警官がついて、実質、何千万円の公費がかかるという状況はなくなる。


・小室氏も眞子様頭を冷やして冷静に考える時間を持てることになる。


・弁護士資格がとれれば、帰国を待たずに、海外で結婚生活を送られることもありえないわけでなく、日本でより、精神的にも楽かもしれない。これまでも、内親王が若い内に海外での結婚生活を楽しまれたこともいくつか例がある。


・破談になったとしても、語学力向上などで、生活力がUPすることは、内親王の元婚約者として恥ずかしくない生活をし、場合によっては、告白本などを出す誘惑の危険性を回避するのに役立つだろう。


・心配なのは、マスコミやフリーライター情報を取るために、近づいてくるだろうし、その人達は練達の手管を持っているのだから、大丈夫かということだ。

(部分抜粋引用終)

八幡和郎氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C8%AC%C8%A8%CF%C2%CF%BA)が提起するこの問題は、単なる週刊誌レベルの話題ではなく、日本の根幹をなす深刻な意味合いを含んでいると考えている。
「告白本などを出す誘惑」とは、卑近なところでは小保方氏のStap細胞を巡る事件を指しているのだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BE%AE%CA%DD%CA%FD)。
昨日は大雨の七夕だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170707)。「笹の葉さらさら 軒端に揺れる お星様きらきら 金銀砂子〜」という童謡の歌詞の素朴さと洗練を思い出すところである。久しぶりに阪大に行き、十数年前には論文を出したこともある研究会(の応用発展版)に参加した。
主眼はエスペラントに関する発表で、大叔父がエスペランティストだった関係から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150217)、何か「ルーツ辿り」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)で参考になることでもあれば、と思ってのことだった。
その言語関連の研究会では、若い頃、かなり真剣に勉強もし、知り合いもいた。そもそも、バブル経済の崩壊直前の頃、大学院推薦で派遣されたマレーシアは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070801)、現実問題として多言語社会である上、主流人口で政治権力を持っているはずのマレー語話者が圧倒的に劣勢にあるという複雑な様相を呈していたので、帰国後は、そのような研究会にも属して活動すれば、何とかやっていけるのかもしれないと思っていたのだった。
エスペランティストとは言え、大叔父は言語関連で食べていたのではない。眼科学の専攻で、東京帝国大学を卒業し、戦後は国立大学の医学部教授となり、学長も務めた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)。今では何でもないが、当時としては日本初の試みも眼科学の業績として挙げられている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)。
但し、エスペラントに関して、亡父も含めた親戚の評判は芳しくはなかった。
だから、思想的にリベラル左派だとか、反体制派だとか、勝手に決めつけられるような、あるいは先入観で思い込まれるような、そんな雰囲気は断固お断りだ。第一、大正生まれで帝国大学に進学した社会階層は、現在の塾通いの末の院進学や、「就職できなかったから院に来た」人々とは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)、良し悪しは別として、背景そのものが異なる。つまり、比較不能なのだ。
ともかく、しばらくするうちに、今や教授におさまっている人々のイデオロギー路線についていけず、中心核の研究者の姿勢に疑問を感じたこともあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070823)、研究会からは長らく遠ざかっていた。
二十代後半から三十代半ばまでは、研究仲間として、懇親会等で共通の話題で話が弾むことは確かだった。女性の中には、「(結婚相手として)いい人を学会で探す」みたいな思惑を抱いて研究活動に勤しんでいた人もいた。今回も、半オクターブぐらい高めの声でにこやかに話し、フレアーやレースのついた可愛らしい服装で頑張っていた若い女性が近くにいたが、さまざまな感慨を呼び起こすところではある。
先日の高円宮家の絢子女王殿下のご婚約で思い出すのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180702)、学校や職場等で結婚相手と出会うことは、私の世代ではむしろトレンディだとして推進されていた風潮があったことである。今の皇后陛下も「テニスコートの出会い」設定だったと報道された上(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170728)、雅子妃もスペイン王女の歓迎会で「皇太子に見初められて」求婚されたという話だったし、その前の秋篠宮ご夫妻に至っては「キャンパスの恋」と騒がれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170708)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170821)。当時からメディアや皇室ジャーナリズムが一様に礼讃していたので、そういうものなのかと国民も思わされたのだが、今から振り返ると、場合によっては無理があるケースが含まれたのではないか。
つまり、現憲法下で認められている「本人同士の意志」のみが先行してしまうと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170521)、お互いの本音や属性はどうであれ、家と家の釣り合わせや周囲の違和感や反対意見を押し倒して前に進んでしまう破壊性を含むからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170408)。早速子供が生まれれば、その存在をダシにして、皆を黙らせて何でもできてしまう。
その反面、なぜ私の世代では「個の尊重」「主体性」が殊更に強調されていたかと言えば、家と家の結婚というものが、封建的というよりは、時に政略的であったり、本人不在のまま親や親族同士が勝手に話を進めてしまう形骸化の弊害が散見されていたからである。
だが、似た者同士で周囲の同意や祝福を得られた結婚の方が、長い目で見て、落ち着いていてうまくいく確率が高いことは否めない。
話を研究会に戻すと、今ではインターネットで情報検索が可能であり、低迷した日本社会の「失われた二十年」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160310)ないしは「平成時代の失われた三十年」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170820)が続いて、研究者層も世代交替しつつある。だが、出席してみると、情報としては新鮮だが基本的には相変わらずという路線だった。しかしながら、世相を反映してか、あるいは研究者が白髪頭で年を取ったからもあってか、やや正直な心情もちらほら垣間見えたのが興味深かった。
結局のところ、全体としてはマルクス主義思想が無意識のうちに浸透しており、その中での言語現象研究のために、「権利」「差別」「平等」「サービスとサポート」等というキーワードが飛び散るものの、現実として世の中の大勢が同意し難いために、堂々巡りを繰り返しているのだった。「理念なきエスペラント学習」「理念なき日本語教育」という指摘もなされていたが、人間なら誰もが用いている言語というものについて、私の学生時代には、結構、勝手なことをいい加減に本に書いて、若い世代を振り回していたはた迷惑な学者もいたことを改めて思い出す。
先進国顔をしていた日本の大学も、今や研究成果としては世界の中で遅れを取っており、水準も低下して、特に文系不要の叫び声がある。
根本的には、月並みではあるが、戦前の皇国思想と、その反動である戦後思想をもう一度振り返り、何が問題だったのかを明確にすることが必要だろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161209)。私の世代について言えば、世相として、平等という名の下、あまりにも○✕式の単純化社会主義的な輪切り競争を強いられていた。その結果、先日、同時処刑されたオウム真理教に惹かれる若者が出現したのであり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170112)、一方で、その反動としての高学歴者への忌避ないしは揶揄があった。
風潮としては、巡り巡って、その次の世代が昨今の秋篠宮家の問題に一部具現化されていて、東宮家その他に対する国民の反応とも連動しているのではないだろうかと愚考する。
最後に、目に留まった点を。
1.阪大構内では、環境に配慮するということで、歩けば廊下の電灯が点灯するものの、その後は暗く消灯する仕組みだった。また、健康のため、省エネのために、エレベーターはできる限り使わないように、という貼り紙もあった。今時、珍しいことではないが、昨日のように雨模様で暗がりの建物で、かつ週末に行われる自由参加の研究会となれば、治安上、問題である。しかも、学内で暴力犯罪が発生したらしき注意書きの看板が立て掛けてあった。そのような観点からは、エネルギー資源の節約志向も考えものである。特に、若いうちから、明るくない建物の中で引き算感覚を育てるのは、心理面でどのような影響を与えるのだろうか。エレベーターについては、まるで幼稚園の指示のようで、いただけない。想像するに、恐らくは私の母校でも似たような貼り紙があるに違いない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141019)。
2.豊中の広大なキャンパスの門近くには小さな仏教寺があり、そばに動物葬や樹木葬等の安価な広告が貼ってあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)。これは、どういう意図を示しているのだろうか。
3.阪急の宝塚線は高級住宅街の路線だと昔聞いたことがあったが、車内では、脛毛むき出しの短パンに靴下なしのズック靴姿の男性を何人か見かけた。世代としては、私の年齢前後であろうか。これは、どういう感覚なのか、説明を求む。