ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシアの日系銀行の問題

マレーシアの日系銀行とのやり取りは、昔からそうだったが、非常に効率が悪く、イライラさせられる。
日本の大手銀行のクアラルンプール支店であり、マレーシア政府の要請に応じた業務のために開いた、日本人顧客のための口座なのに、担当者がまるで自分の位置づけと仕事内容を理解していない。
余計な説明をダラダラと早口で喋ったかと思うと、こちらの問いに「ここはマレーシアです」「マレーシアの法律があります」と、話をずらして別の言い訳をする。
問題はそこにはないのだ。あなたの余分な説明が鬱陶しいから、「それはどういう意味ですか」と突いたのだ。いい加減な返答をするな!
既に亡くなったが、かつて国会議員を務めた長年の華人の知り合いも、私の愚痴に同意して怒ってくれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071220)。
「そりゃ、教育がなっとらん。ビジネスは顧客優先だ。良いサービスを提供することで、自分も益を得るのだ。日系銀行で日本人顧客に対してそんな横柄な態度など、自分だったら簡単だ。まず、そいつの名前を尋ね、その銀行のトップに報告しろ。即座に目の前で全額引き下ろしてやれ。新聞に投稿して、問題を公知せよ。なんなら、付き添ってやろうか?」
付き添いは丁重に断ったが、その助言からもわかるように、これは差別でも文化の差異でもなく、単純に当事者の勤労意識の問題なのである。

しばらく前から、単身の現地採用なのか国際結婚組なのかどうかは知らないが、表向き日本名を使っている日本人女性がマレーシアの日系銀行の口座事務を担当している。(「表向き」というのは、もしマレー人と結婚してムスリム名を持っていたとしても、日本に住む日本人相手には、ムスリム名あるいはマレーシア名を隠す可能性が考えられるからである。)その人は、連絡事項に関して、一見、長々と説明を繰り返して丁重そうに振る舞うものの、文化基準が限りなくマレーシア化しており、何も役に立っていない。時間を浪費させるのだ。
はっきり言って、その人の日本語が無駄である。以前も説明したことを再度繰り返して尋ね、しかもゆっくり喋り、自分の非に関してはダラダラと言い訳に終始する。こちらが苦情を申し立てると、「上司に報告した」等と、顧客を脅すような馬鹿げた文面を送ってくる。ベクトルが逆なのだ。
今回の場合、メールと海外書留郵便の両方を使って同じ書類が送られてきたため、提出期限日が混乱しており、ただでさえ忙しく、煩雑なメール通信が、さらに輪を掛けて混乱した。
1.まず、重要書類を送るとのことで、最初にマレーシアから電話があった。マレー語は大丈夫かと問われたので、マレー語でも問題ないと答えたのに、英語とマレー語の両面二言語の書類が書留で送付されてきた。つまり、こちらは両方で答えなければならないという無駄がある。
2.いつもの習慣で、返信用封筒も含めて書類を全部複写し、原本を郵便局から国際郵便書留で返送した。日付も時間も記録されたレシートが手元にある。
3.銀行用の自宅ファイルに、複写物と郵便局のレシート全部をファイリングして保存した。しばらくすると、「まだ書類が届いていない」と、先方よりメールが来た。すぐに、「何月何日に郵便局から書留で送った」と返答すると、その翌日に「届きました」とメール。これが余分なのだ。後先を考えずに相手に気楽に連絡をするので、二重に時間のロスである。
4.忘れた頃になって、今度はメールで「書類に一部不備があったので、再度送ります」とたくさんの添付書類付メールがどっさりと送られてきた。パスワードのメールまで続いて送られる。一応、目を通すと、以前に送られてきたものと同じ説明書の添付なのだ。不備なら不備の箇所だけ注意すれば済む。余計なことをするな!
5.その箇所を修正した新たな書類を作り、再び全部複写の上、もう一度郵送した。すると、またもや「書類が届いていない」と、先方よりメールが来たのである。案の定、その翌日に「届きました」とメール。一体全体、国際郵便なのに、たった一日を待てないのか?
6.実は、メールで催促しておきながら、その後、何と再び国際郵便書留で、締切日を別の日に変えただけの全く同じ書類が送られてきたのである。しかも、提示されたその締切日を遥かに過ぎてから届いているにも関わらず、「締切日までに返送せよ」と指示がある。そんな馬鹿げた話はない!
7.以前に送った(一箇所の修正版も含めた)書類の複写をもう一度作り、「copy」印を押して、マレーシア宛に送り返した。この意味は、「確かに返送しているのに、そちらがわざわざ無駄な作業をして、皆の時間を浪費しているのだぞ!」という顧客からの警告である。
8.結局また、「届きました」と一日遅れてメールが来る。しかも、ダラダラと不要な言い訳がついている。

実は、この一連のやり取りの間、結婚二十周年を記念して、主人が10月に計画した奄美大島への二泊三日の旅行が入っており、その前後にも、十数年ぶりの軽い外耳炎のために耳鼻科通いが何度かあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)。(耳鼻科は、症状は軽かったのですぐに終わると思っていたが、診察は一分ほどなのに、細菌やカビ菌の検査も伴ったので、何度か通院するはめになった。眼科や歯科は手際よくあっさり進むが、パソコンの予約制であっても、耳鼻科は患者数が小さい子も含めて圧倒的に多く、結局はどうしても一時間半ぐらい待たされることになり、しかも大変に疲れる。)
従って、当初は余裕を見てスケジュールを考えて9月中旬に入れておいた11月中旬の一連の仕事が、結局は次々と目白押しに遅れてしまった。隙間時間を見つけて必死に頑張ったが、その件に関しては大変に申し訳ないことであったと反省している。
だが、もしもマレーシアの日系銀行が最初から効率よく無駄なく連絡してきていたならば、複写を取ったり、郵便局へ出掛けて書留手続きをしたり、メールの添付をいちいちこじ開けたりする暇は、相当に省略できたはずである。
特に、「copy」印を押して警告郵便を作成していた時間は、本来ならば、第四期の「国宝」展を見に行くのに当てられていたはずであり、結局、一時間半も無駄にしてしまった。せっかく、我が町から二点も「国宝」が展示されたので、二十年前からお馴染みの晴れ姿を見に、計三度も京都の国立博物館へ出掛けることになったのだが、毎回、物凄い人出。まるで押しくら饅頭をしているかのように誰もが陳列めがけて集中するため、どのセクションも相当に混雑。従って、最後の日には、雅なはずの京都市内や広々とした博物館の門から入り口まで、暇さえあれば場違いにも全力疾走して、少しでも時間を捻出するはめになった。
ところで、11月23日の勤労感謝の日には、主人の勤務先が家族訪問の行事を催してくださった。私にとっては、過去二十年間、お世話になりっ放しで頭の上がらない会社なので、お礼かたがた出掛けて行った。職場の内部に入れていただき、会社説明のビデオを見て、給食も一緒にいただき、製品のデモ説明をうかがい、記念写真を撮って、お土産までいただいて帰って来た。
プログラムは一見、淡々としていて簡潔かつ効率的なのだが、実は相当前から準備されていることを聞いていたので、水面下の会議で、さまざまな検討や細やかな指示と工夫が積み重ねられていたのだろうと感じた。
振り返れば、二十年前の結婚披露宴の時、自由歓談の時間になった途端、主人側の会社関係の参列者がさっと立ち上がったかと思うと、祝杯としてビール瓶を抱えて見事に一列に並び、一人一人御挨拶をしに来てくださった光景を思い出す。それまで私がいた幾つかの大学とは、全く人的な質が異なることを思い、深く感銘を受けた。
つまるところ、これこそがかつての日本企業の強みだったのだ。嫌な仕事も上下関係の難しさもライバル意識もあって、会社勤めは何かと大変なのだが、その一方で、同期はお互いに協力するのがほぼ当然であり、社員の家族込みで保障や面倒まで見ていただける同胞意識の一体感があった。私が学生だった頃、終身雇用や年功序列の弊害ばかり強調して、大学やマスコミは「甘えの構造」等と言い立てていたが、昨今のバラバラになってしまったが故の非効率やミス多発や不祥事その他の凋落を見れば、かつての日本独自の創意工夫がいかに貴重だったかがうかがえよう。
昔は、主人の父が亡くなった時でも、同期の方達が斎場まで来てくださったという。だが、今では多忙と個人情報保護を理由に、皆がまとまって冠婚葬祭を共にする機会が減ってきたようである。
冒頭のマレーシアの日系銀行に話を戻すと、1990年4月からずっと口座を持ち、何度も窓口へ行っているので、勤務状況はよくわかるのである。
行員は、何らかの資格を取って、求人に応募し、採用されたら、自分の席で目の前のことだけを片付けていく。お役所でも大学でもそうだったが、マレーシアは書類のファイルだけは膨大に作り、机の上に次々と書類の山を積み上げていく。確かにそれなりに肩書を持ち、仕事はしている(つもりな)のだが、業務全体の流れ、横や縦の部署の位置づけ、果たすべき有形無形の自分の役割、相手の事情等を全く考慮しないで、単純に自分の用件だけをこなすので、自分の担当以外は知らぬ存ぜぬ。基本的に欧米式のトップダウンだが、無責任といえば無責任体制である。従って、たった一つの単純な用事をこなすにも、こちらはたらい回しにされて、二度手間はおろか、三度以上の手間がかかり、無駄なこと極まりない。
かつての日本企業は、強大でしっかりとしていた。従業員が一体感と誇りを持って、それぞれが自分の持ち場に専念すると同時に、相手や周囲のことを慮り、いざとなればさっと補完し合っていた。人間関係上の気疲れもあるが、全体としてミスを防止し、損失を減らすことによって収益や成長につながると思えば、乗り越えるべき試練でもあった。
今は、「輝く女性の社会進出」政策に伴って(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171109)、表面的でどうでもいいことにやたらと拘って、異文化の人や違う世代の人に舐められ、利用される傾向にあるのではないだろうか。
自分自身に戒めてきたことでもあるが、女性が外で働くのならば、男性社会が長い時間をかけて築き上げてきた体制を変えたり壊したりする主張をすべきではないと思う。むしろ、それまでになかった細やかさと気配りで体制を補うことによって、業務がより強化され、もっと完全な方向に向かうように働くべきなのだ。
マレーシアが好きだから関わってきたのではない。赴任直後から続いてきた問題意識があるから、関わらざるを得ないのだ。
そんなことを、やっと一息ついた昨日の午後辺りから、しみじみ考えている。