ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

世間の大勢とつながる

まずは、ツィッターhttps://twitter.com/ituna4011)からの転載を。
このところ、秋篠宮家の御蔭で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%BC%C4%B5%DC%B2%C8)、ツィッターのアクセス数が二桁以上もグンと増えて、これでやっと私も世間の大勢とつながるようになったか、と。
もう一つは、普段、テレビや一般大衆雑誌と殆ど縁のない暮らしを続けている私であっても、美容院で見せられる女性週刊誌を眺めていた時の記憶が案外に役立つものだ、ということ。週刊誌の情報は、新幹線の売店で買って暇つぶしに読むという印象があるため、全般的にあまり当てにしていないが、少なくとも新聞記事にはない深さや角度や長さがあり、変なエピソードが突然、今回のように光を放つので、参考になる。

Lily2 Retweeted 自由党Love♪
ずっと前のことですよ。曖昧な記憶によれば、眞子さんが学習院で男の子を「待て〜!」と叫びながら追いかけ回していたのを知っている親御さんがいらして、御公務を始めた頃、しおらしく上品に振る舞っていらした眞子さんが笑える、という記述だったかと。新鮮だったので、何となく覚えています。


Lily2‏ @ituna4011 13 hours ago


Lily2 Retweeted 中野善夫
同感。但し、ますます学究肌の人の居場所が日本にはなくなるってことですね?


Lily2‏ @ituna4011 13 hours ago

Lily2 Retweeted みずのみこ
桂離宮、昨年辺り近くを通ったら、塀が古びて汚く老朽化していたのには驚きました。手入れされていない感じでした。


https://twitter.com/allekeine/status/907196469190418434


れい(ずっと充電中)‏ @allekeine Sep 11
知り合いのお子さん、6ヶ月過ぎても寝返りの気配ないからさすがに病院行ったらお医者さんに言われた原因が「本人にやる気がない」だったのが印象深すぎる。


Lily2 Retweeted れい(ずっと充電中)
思わず笑っちゃった。逆子で産まれた私も、そういう風にユーモラスだったら、過去半世紀は幸せ満タンだったのに。


https://twitter.com/Praises2014/status/907639554865111041


Replying to @ituna4011
ゼロからの出発、マイナスが無い



Lily2 Retweeted (((Praises2017)))
何というのか、私の世代は皆もっと人間が逞しかったと思うのですよ。戦争の生き残りのお爺さん達も頑張っていたし、焼夷弾で財産を全部なくしたおばあさん達も子供や孫世代を立派に育てようと一生懸命だった。さまざまな理由で親がいない子供も、学校で先生達がよく面倒を見ていました。希望があった。

続きを。

https://twitter.com/ituna4011


Lily2 Retweeted Lily2
先程も、本屋さんで『文藝春秋』の最新号を眺めてきたのですが、今は、全体的に精神が貧困。他人の赤ちゃんを見てあやすどころか、すぐに「発達障害」ではないかと騒ぐし、秘書を怒鳴りつけて辞任した女性議員も言い訳文章を長々と掲載しているし....。昭和時代は、まず世間体があって自己規制。


Lily2‏ @ituna4011 2 minutes ago

Lily2 Retweeted Lily2
「せっかくお百姓さんが苦労して作ってくださったのだから」と、米粒一つも残さずにきれいに食べていた。そこに、目には見えなくとも相互交流があって、存在感や価値を認め合えた。また、物を大切にして、工夫して倹約や節約に励み、少しでも財産を増やして公共や次世代に投資。が、今や政府全依存。


Lily2‏ @ituna4011 26 seconds ago
中学や高校の頃、先生方が熱心に学科を教え、部活動を指導し、校則を守ることにも厳しかった。地方出身なので、東京にはもっと優れた学校がたくさんあると知っていたが、地方なら地方において、自分の居場所を早く見つけて自活したいと、そのことを念頭に置いて一生懸命だった。鈍感とはそういう意味。

(転載終)
フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からも転載を。

Reiko Sakanoue


私は作家、音楽家で、才能と美貌に恵まれ、上流社会、別世界の人だし、日印のビジネスも手がけ、さぞ幸せで恵まれた人だと羨望される。
しかし、誰も私の悲しみ、天命、悲恋、
苦悩、孤独、試練、重圧を知らない。男に守られない、愛に飢えた私より、普通の女の方がずっと幸せだ

(転載終)
ユーリ:だから私は普通の女!
Haha


ユーリ:作品を拝読していないので、何とも言えないけれど、心の設定値が少し違うのか、と....。普通あるいは平凡な人にも平凡なりの苦しみや悲しみがあり、才能と美貌に恵まれた上流の人にも、それぞれの苦しみや悲しみがあるってことですよ。第一、平凡か上流かなんて、誰が決めるんです?


ユーリ:一度、坂の上雫さんからフェイスブック上のメッセージで会合のお誘いをいただいたことがありますが、そこがちょっと気になっていたので、お断りしました。正解だったと思います。


ユーリ:どういうわけか、フェイスブック上でつながったのだけれど、雰囲気としては、女子高生の頃、読んだエッセイ本の話にどこか似ている。美貌に恵まれて頭も良くて、ご両親も裕福で立派な方で、社会的にも非常に恵まれているのに、どこか満たされないものを抱えている薄幸な女性という...。都心のカウンセリング・ルームでも時々、そういう女性が現れると聞いた。


ユーリ:自分の分に応じて務めをしっかりと果たし、知足で生きることですよ。どの人生にも光と影があり、表をひっくり返せば裏があるのが自然なの。どちらに重きを置いて生きていくか、ですね。年下の作家先生に対して、出過ぎたことを申しまして、大変失礼いたしました。

(転載終)

ところで、本日受信した致知出版社の《人間力メルマガ》には、学校での「平和教育」の問題点がインタビュー形式で浮き彫りにされている。
致知』2017年10月号【創刊記念号】連載「日本の教育を取り戻す」(p.130)から、中村学園大学教授の占部賢志氏の発言を以下に。

少し戦後の平和教育の実態に触れておきましょう。学校現場では、長年にわたって「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンのもと、手を替え品を替えて様々な材料が教室に持ち込まれ、「平和教育」「反戦教育」が繰り返されてきました。
私が過ごした昭和40年代前半の高校時代には、とりわけヴェトナム戦争と『きけわだつみのこえ』が頻繁に取り上げられていたのを覚えています。この本はいまだに現場教師にとって「平和教育」のバイブルと言ってよいでしょう。
私が問題にしたいのは、この本に収録されている戦没学徒の文章ではありません。その編集意図です。
これは文芸評論家の小林秀雄さんの本で知ったのですが、戦時下の若者の心情に対して、あの本の編集者たちはあまりに一面的な取り扱いをしたのですよ。
戦争に疑念を抱き、最期まで戦争を呪って死んでいった学生の手記は採用されたが、祖国の危急に臨んで決然と出陣し散華した学生の手記はボツとされたのです。
当時、「歴史的記録を世に発表したい」との呼びかけに応えて遺族から寄せられた遺稿は309人分にのぼったといいます。その中から取捨選択され75人分が一本にまとめられて刊行されることになったのですが、そこには意図的な区分けが施されていたというわけです。
ですから、本書が刊行されるや、特攻隊員として散華した子を持つ遺族の一人が、このような編集に対して厳しく異議を唱えたのです。「真にわだつみのこえと題するならば全部の遺墨の中からそれぞれ異なれる性格思想或いは戦争観或いは死生観を網羅して編集してこそ『きけわだつみのこえ』でなければならないのである」「斯る事は……幾百万の戦死者の霊と其の遺族に対する侮辱にして剰え社会の良識を誤らしむる残酷行為と言わざるを得ない」
この問題で最も鋭い指摘をしたのは小林さんでした。

(部分抜粋引用終)
小林秀雄氏がそのような指摘をされていたとは、全く知らなかった。但し、御遺族や読者からの批判に答えて追加編集された『わだつみ』続編も、後に発行されたのではなかっただろうか。
また図書館で資料を渉猟してこよう。
きけわだつみのこえ』に関しては、過去ブログをどうぞ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070722)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228)。
このブログは10年ほど前に書いたものだが、当時の心境としては正直に綴ったと思う。だが、その数年後、あまりにもアメリカ批判と自民党政権批判が強烈だった割には、その代替案が具体的でなかったことに疑問を抱いた。
なお、1990年代のマレーシアでの私の経験は投稿として掲載していただき、読者の中には賛同してくださる声もあったが(思想やイデオロギーではなく、あくまで事実に基づいた実体験を書けば、誰も否定はできまい)、その後が続かなかったので、自然消滅という形で退会した。特に送金継続の催促もない。
但し、当時から、若い人達を引きつけることに失敗しているという先行きの不安が、繰り返し会報では語られていた。
一つ正直な感想を述べると、『きけわだつみのこえ』に掲載されている文章は、エリート知識階級が中心である。今読んでも若い年齢に驚くが、執筆者の出身家庭を見れば、知的成熟度は当然のこととも言える。つまり、1970年代以降の大衆化により大学の価値や水準がかなり下がった今、大卒院卒だから自分はエリート中流階級だと自負している人達よりも、遥かに上の指導者階層の子弟が筆者だったということだ。
換言すれば、貴重な人材をむざむざ戦争のために亡くしたということの喪失感、無意味感が貫かれているということである。そこだけは、強調しておきたい。