「体操ニッポン」の時代
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
1984 Olympic Games
(https://www.youtube.com/watch?v=Kp65QzyDNOY)
この映像と曲はよく覚えている。
1985 Montreal
(https://www.youtube.com/watch?v=ImXmuJCt-so)
森尾麻衣子さん。懐かしい「体操ニッポン」時代。
1987 American Cup
(https://www.youtube.com/watch?v=pdZNbVtsnjY)
高校時代に、体育科の先生が「ある大会で森尾麻衣子の審査をしたことがある」と、授業中におっしゃった。正確には、別の選手の審査中、目の前を小柄で可憐な森尾麻衣子さんがちょろちょろ走って行ったので、充分に審査ができなかった、ということらしい。
私は森尾麻衣子さんのファンだった。脇目も振らず、健気に真っ直ぐ体操に打ち込む姿が、とてもまぶしかった。短いポニーテールに大きなリボンをつけて、名前を呼ばれると、背を反らして大きく片手を上げて「はい!」という場面が最も好きだった。勿論、華麗で大胆なムーンライトも。演技終了後のホッとしたような笑顔も大好きだった。
インタビューでは、常にコーチを立てて遠慮がちに話し、余計なことを言わなかった点も、とても好感が持てた。競技が終わった後、控え室に行き、コーチなどに頭を下げている礼節も、大変好きだった。(https://ranrun.jp/people/mentor-160617)
大きな目は当時のまま。優れた指導者....
・授業は一番前の席で受けるようにしていた。
・遅発性脳内出血で入院することになり、オリンピックは諦めようと思っていたが、周囲の動きは違った。宙返りに伴う頭痛を我慢し、他の部位を傷めないように気を使いながらの参加となった。
・経験を積む中で試合の怖さを知り、メンタルの大切さとタイミングを読む力がついた
・リーダーにならなければならない時もあります。そのために色々な経験をしておくことが大切
・自分が何をして何をしていないかを把握できます。自信のあることも欠点もわかったうえで、社会に出て欲しいです。
(部分抜粋引用終)(http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/feature/CO010151/20141022-OYTAT50068.html)
弱音を吐くと、母の平手が飛んできた。「自分で決めた道でしょう。続けないのは許しません」。(引用終)
← この時代はこんな感じだった。今なら「虐待」扱い。そして日本は弱体化した。「競技生活が終わった後に何にでも通じる『基本』がないと、スポーツ界自身が成り立たなくなる。知育、体育、徳育を養うことに重きを置いています」
(部分抜粋引用終)
秋篠宮家のご慶事に関する一般国民からの異議申し立ては、宮内庁への電話や葉書やメール等で、相当な数に上がるらしい。私はしていないが、インターネット上でコメントを瞥見の限りでは、起こるべくして起こった事態のような気もするし、ある意味で、普段は水面下に潜んでいた謂わば常識的な反応が表面化したとも言えよう。
国民統合の象徴と現日本国憲法で規定されている御一家のこと故、皇族のことだからと黙っていないで、国民がしっかりと見張っていることが最も重要だと考える。ここで「降嫁して民間人になるのだから」と諦めたら、内外からなし崩しに国の型が崩壊していくことだろう。
また、今回のことは、いきなり眞子内親王に発生したことではなく、ご両親の婚姻に至るあり方から肯んずることができる面も少なくない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170816)。それに、マスメディア報道が宮内庁発表に先行するという逆転構造にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170523)、相当な問題が含まれている。
上がそういう風だと、本当に意欲が萎えてしまう。
そういうわけで、昨日は本を読む傍ら、昭和50年代から60年代初期に印象的だったテレビ番組として、女子体操の演技をyou tubeのクリッピングで見ていた。
昔からテレビはあまり見ない方だったが、公立の学校しか通っていなかったので、クラスの友達と話を合わせるためにも、時間を区切って見ることはしていた。
また、自分が運動音痴だったので、少しでも良い刺激を受けたくて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161226)、音楽と共にある床運動に興味を持ち、新聞のテレビ欄をチェック。地元の名古屋で競技大会が開かれると知ると、ペンで囲んで、目覚まし時計をセット。午後の一時間ぐらいを、一人で夢中になって見ていた。
見た後は、(あ、遊んじゃった)と自分で反省していたのだが、中高生の頃は、試験勉強やピアノの練習の合間に、自分にとっての刺激になればと思いながら、体操選手を眺めていた。
あの頃、体操で華々しかったのは、アメリカは別としても、やはりソ連やルーマニアの選手。金髪で白い肌で手足も長く、美少女が多かった。それに、演技が終わるとなぜか皆で抱擁とキスをし合っていたので、(社会主義国って、ライバルのはずなのに、そんなに皆、仲がいいのかしら?)と、不思議な気がしたことも、はっきりと覚えている。今から考えれば、親も(選手も)ピオネールよろしく共産党員だったのだろうし、何より生活(命)がかかっていたので、選りすぐりの管理社会の下で、日本に来れば必死の演技だったのだろう。
それに比べると、日本選手は顔立ちもモンゴロイド系が目立ち、手足も概ね短く、体型としては不利が目に見えていた。しかし、当時もそう思ったが、今映像を見直してみても、日本精神というのか、堂々たる根性が小さな体から発散されていて、姿勢がいい。審査員やコーチへの礼儀作法もきちんとしていて、ルーマニアやロシアの選手団の見え透いた同志愛よりも、ずっと素直さと真剣さとひたむきさに溢れた姿が印象的である。
だが、あの頃のインタビュー記事を新聞で読んだ限りでは、今につながる路線でもあるが、「日本選手はスパルタ根性論が先立ち、伸びやかさに欠け、楽しそうではない」「インタビューでも個性がない」などと書かれていた。
果たして、そうだろうか。
昨日、冒頭のようにフェイスブックで並べた森尾麻衣子(現:佐藤麻衣子)選手だが、インタビューでは「何も考えず、先生から言われた通りに、自分の演技ができるように頑張ります」みたいな発言を常に繰り返していた記憶がある。「何も考えず」という点に、一瞬、新聞記事が書いているように(コーチの操り人形なのかしら)とも感じたことがあるが、本意は、無心あるいは精神統一ということだったのだろうし、現在のように、下手に個性を発揮して「自分らしく」ベラベラと喋っていたら、スポーツ新聞等で何と書かれるか、たまったものではない。
そのように厳しくコーチからも指導され、素直に従っていらしたのだろう。
体操選手と言えば、他のスポーツよりも現役選手でいられる寿命が短く、女子ならば12歳ぐらいから20歳ぐらいまでがせいぜいだと聞いていた。その育ち盛りの微妙な思春期に、学校に通う傍ら、ショッピングや男女交際はご法度で、日々の厳しい訓練と練習のみならず、食事制限が際立っていると聞いた。管理栄養士が計算したカロリーが予め決められていて、自分の好物ではなく、メニュー通りの食事以外は許されないということだった。毎日を時間に追われながら、始終、空腹や睡魔と戦っていた私など、中学生の頃にクラスメートからその話を聞いて、(ひやぁ!)と大真面目に思ったものである。
とにかく、地理的にソ連や東欧諸国に近かった日本故、クラシック音楽のように、体操にもソヴィエトの影響が及んでいたのであろうか、とかく日本選手の生真面目で抑制的なストイック体質を批判的に綴っていた文章を、大手の全国版新聞紙上で時々目にした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170410)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170529)。
絶対に、あれを鵜呑みにしてはならなかった。だが、学生時代には、(バランスを取るためにも、自分にとって嫌な部分から目を背けてはならない)等と自分に言い聞かせながら、大真面目に目を通していた。
ここ25年ほどの日本の社会水準の低迷の萌芽は、既にこの当たりにも垣間見られたのであろう。
(2019年8月13日追記)
曲名を知りたいと思っている。どなたかご教示を。
(2021年12月16日追記)
冒頭の映像が禁止されたため、同じ曲目の床運動の演技がある、1982年中日カップの映像に差し替えます。
(https://www.bing.com/videos/search?q=YOU+TUBE+%e6%a3%ae%e5%b0%be%e9%ba%bb%e8%a1%a3%e5%ad%90&docid=608019274540875741&mid=76B214961F63F5D2E24076B214961F63F5D2E240&view=detail&FORM=VIRE)
(追記終)