三世代後に本質が現れる
『ニューズウィーク』(http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2015/08/post-3838.php)
ひそかに進む日本社会の「階層化」
文化活動を媒介にした親から子への地位の再生産は日本でも起きている
2015年8月11日
舞田敏彦
・フランスの社会学者ピエール・ブルデューは『ディスタンクシオン』(「差異」の意味)という著書の中で、社会階層によって趣味や嗜好が異なることを明らかにしている。たとえば購読雑誌の傾向をみると、知識階層は文芸誌、労働者階層は大衆誌を好んで読む。絵画、映画、スポーツなどについても、何を好むかは階層によって違ってくる。
・統計によると、その「差異」は実は日本でも見られる。
・ホワイトカラー層は美術鑑賞、ブルーカラー層はパチンコの実施率が高い。クラシック音楽の鑑賞やテレビゲームなど、他の項目も合わせて考えると、ホワイトカラー層は芸術趣味、ブルーカラー層は娯楽趣味を好む傾向が見える。日本でも、趣味と社会階層はある程度結びついていると言えるだろう。
・学校で教えられる抽象的な知識に親しみやすいのは、どんな家庭の子どもか。
・家庭では、美術品や蔵書などが相対的に多くあり、それに囲まれて育った子どもは、学校の抽象的な学習内容への親和性も高いはずだ。結果として学校で良い成績を収め、親の「高い」社会的地位を継承しやすくなる。このような文化資本を媒介とした、親から子への地位の再生産過程を、ブルデューは「文化的再生産」と呼んでいる。
・知見や視野を広げる「文化的な」体験をする子どもの割合も、階層によって異なっている。
(部分抜粋引用終・後略)
ブルデューについては、二十代の頃、フランスで学位を取得された知り合いの教授が訳者だとのことで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071128)、お手紙で紹介されたことがあるが、難解そうだったので敬遠していた。
だが、上記の記事は、わざわざ書かれなくても、ある程度、経験的に誰もが知っていることではないだろうか。
問題は、父方母方の家系の間で、言いくるめられた結婚などによって、文化的な釣り合いが取れない家庭から生まれた子どもの事例である。どちらの血を引くかによって、子どもの間でも好みが分かれるどころか、対立する場合もある。
また、本当に文化を享受しているのではなく、あくまで外面的な見栄から、無理に美術館に行ったり、わかっていないのにクラシック音楽を聴いているふりをしている場合もあろう。その際、正直な子どもは反抗することもあるのではないだろうか。
家系の本質は、結婚して子どもが生まれれば済むというものではなく、本当は三世代後に現れることが多いので、恐ろしいと思う。親や祖父母のエゴで子どもや孫に強制することもあるだろうし、あるいは逆に自由放任にさせたあまり、家の文化継承が消滅したり歪んだりする時、誰の責任になるのだろうか。
格差や階層化はあってはならないものという前提から始まると、没個性的な地均し化政策が行われる。だが、人間社会はどこを見ても、古今東西、平等で均質であるはずがないのであって、違いが役割を与え、持ちつ持たれつの相互協力を生み出すという観点が抜け落ちている。