ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

批判思考のアラブ人

1.

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緊急報告シリーズ
Special Dispatch Series No 6330    Mar/2/2016


ルネッサンスをもたらしたヨーロッパの戦争との比較は無意味―今日のアラブの戦争は性質が違うとみるエジプトの知識人―」



ロンドン発行紙Al-Hayatで、エジプトの知識人アブダル・ナセル(Walid Mahmoud ‘Abd-Al-Nasser) がアラブ世界で通説化しつつあるアラブ近代化論に反論した。その近代化論によると、ヨーロッパの場合、百年戦争が中世に終止符を打ち、科学・技術の時代をもたらしたので、このような戦争のみがアラブを今日の悲劇的状況から救いだせるとする。


アブダル・ナセルは、次の四点を論拠として、この主張に反論する。


1.随分前にヨーロッパで生起したことが、現代のアラブ世界で起きるとは限らない。何の保証もない。今日みるような情報技術など状況、環境がまるで違う。
2.ヨーロッパの百年戦争がヨーロッパ内で起きて、その領域内の諸要素がからんだだけであったのに対し、現在アラブ世界で発生しているさまざまな戦争は、地域のみならず国際的な諸要素を有している。
3.過去の経験から判断すると、アラブ世界が前向きの結果になると予想した時ですら、ネガティブな結果に終るのが現実であった。
4.このアラブ近代化論者は、実際には“混沌の造成、促進”を唱えていることに等しい。アラブにとって“良き前兆”になることはない。


アブダル・ナセルは、この近代化論を無視するようアラブに呼びかけている。アラブにはアラブの夢があり、その夢が消えたわけではなく、その夢から生まれた現実的な原則もある。それに立脚した思考と行動を通して、今日の混迷から脱却せよ、という。以下本人の主張である※1。


今日アラブ世界では、意気盛んな青年達と知識人達及び専門家の双方が同じような議論をしている…つまり、今日の破滅的状況から抜け出すためには、方法はひとつしかないというのである。それによると、ヨーロッパで生起した百年戦争(1337−1453)に類似した経験を経るのが、道筋である。この論法に従うと、悲観的環境の行きつくところを待つわけで、これからもっと悪いことが起きることも予想されるということである。


この近代化論の背景にある論法は、次の通りである。即ち、ヨーロッパの百年戦争は、前向きのポジティブな現象を引き起した。それは、ヨーロッパの歴史に質的な転換をもたらし、暗黒時代から、新世界の偉大なる発見の時代へと進んだ。科学・技術時代の徴候が見え、それはルネッサンス産業革命に至る。そしてヨーロッパは、封建主義の時代から資本主義の時代へ進む。ヨーロッパは、別の面でも百年戦争の終焉から新しい時代への転換を、経験した。これが世界で優越する地位を与えた。この(転換)時代に、兵器の質的大発展があり、民族意識が固まって、やがてヨーロッパに国民国家が誕生する。


この戦争は、別の役割も果している。ヨーロッパに新しい政治文化の構成要素が生まれたが、この戦争が、いしずえを築くうえで一役かっている…この政治文化は後年大いに発展し、強力になっていく。反面この戦争は、敗者だけでなく勝者にも壊滅的打撃を与えた…そしてその触媒作用で、ヨーロッパに平和支持戦争反対の新しい社会的流れがつくりだされる…。


以上が論旨であるが、 全く逆に、このアラブ近代化論を論駁する要素がいくつもある。以下その内のいくつかを紹介する。


1.(アラブ世界における)紛争と戦争の悪循環が…続き或いは悪化しても、百年戦争に続いてヨーロッパに起きたことがアラブ世界でも自動的に発生するという保証は、どこにもない歴史は繰返すという確言に、我々は慎重でなければならない。それには二つ理由がある。第一、歴史は繰返すという歴史解釈は、如何に真面目な論であっても、歴史が全く同じことを繰返すといっているわけではない。ずっと複雑で更に進んだレベルで起きているといっているのである。
第二、二つの地域は、地勢が違えば時代も違う。それを比較する場合、我々は、環境上の相違と有力な変動要因を考慮に入れなければならない。例えば…中世ヨーロッパと比較すれば、現代世界では情報技術が比較にならぬほど格段に発達している…。


2.百年戦争はヨーロッパ諸勢力が―殆んどはイギリスとフランス間で―ヨーロッパ大陸で戦われた。非ヨーロッパ勢力の参加や介入がなかったのである。現代では、アラブ世界の紛争と戦争は…アラブ間で展開しているだけではない。さまざまな地域勢力が直接間接に関与し、更に国際社会の諸勢力が関与している。それもアラブに対する愛情によるのではなく、自己の権益のためである。アラブ諸勢力は非アラブ勢力や国際プレイヤーから支援を得てアラブ同士がアラブの地で戦っているのが、現実である。


3.アラブの地域で展開中の紛争は百年戦争の場合と同じくアラブにとって何か良い結果を“必然的”にもたらすという信念については…悪しき時代の後には良き時代が来るということであるが、アラブのウンマイスラム共同体)の広汎な経験によると、過去数十年の間にポジティブな結果が“必然的”に生起している筈であった…この一連の経験の大半は…ネガティブなそして何度もアラブに壊滅的結果をもたらしたのである…。


4.より良き状況に到達するため、アラブは百年戦争に類似した経験を経なければならぬと考えている者は、アラブの状況改善の地ならしをしているわけではない。彼等は行きつくところ迄行ってしまえというわけで、“混沌の造成、促進”に手を貸しているだけである。アラブにとって良き前兆になることはない。今日我々は、我々の国民国家の存続を願っており、かつて幾多のアラブの心をかきたてたアラブ統一の夢を語ることすら、避けている。これが今日の我々である。


今日のアラブウンマの混沌をヨーロッパの百年戦争と同列において比較する。我々はそれに反対しているわけだが、四つのエレメントだけでは、恐らく意を尽さず、すべての理由の説明にはならないだろう…しかし、主な点は指摘している。今日の悲劇的な状況からより良き状況へ進めるために求められるのは、まだ消滅していないアラブの夢に由来する現実的な基盤にたって、深い洞察力を以て真剣に行動していくことである。


※1 2016年1月15日付Al-Hayat(ロンドン)。

2.

http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP633616


Special Dispatch Series No 6336    Mar/9/2016


「世界の進歩に取り残されるアラブ―ヨルダン知識人の自己批判―」

ヨルダン紙Al-Ghadは、2016年1月6日付紙面で、「注意せよ、その車には逆走ギアがかかっている」と題する記事を掲載した。筆者はヨルダンの知識人で政治評論家アル・マンシ(Jihad Al-Mansi)。科学、文化、人権、女性の権利、腐敗撲滅戦争のいずれでもアラブは後塵を拝し、世界ランキングで底辺に位置するとし、世界がどんどん進歩しているのに、アラブ社会は停滞し、今や数世紀恐らく10世紀は遅れてしまった、と主張した。


ル・マンシは、アラブよ目を覚ませ、自分達のおかれた状況の責任を自覚せよ、自分達の問題を他人のせいにして非難することをやめよ、と呼びかける。そして、現世代の矯正は最早不可能であるから、次の世代に仕事を託せ。その世代を育てるため、資金と人材を投入せよ、と呼びかけた。次に紹介するのは、その記事内容である※1。


思想、哲学、科学、社会、教育、文化、創造活動の面で、世界は日々進歩している。後進的な男女差別の思考からも解放されようとしている…。


これは、アラブ地域から離れた諸国で起きている。そこでは彼等は科学、文化を発展させ、人文、科学、芸術等でトップをめざして競いあっている。一方我々は、この面のすべてにおいて底辺で停滞しているのである。いくつかの国では、このような活動が全然見られない。


平和、医学、生理化学、物理、経済及び文学のノーベル賞受賞者を生み出すのは、前述の諸国であり、アラブは殆んどいない。授賞式では聴衆席にいるか、テレビで見るだけである


我々は、かつての栄光を思い出して、我々自身を慰めるだけである。かつてはムスリムに研究者や思想家がいた。例えば、アル・ラジ※2、アル・ファラビ※3、イブン・シーナー※4、アル・キンディ※5、イブン・ルシュド※6、イブン・ハルドゥーン※7などがいた。我々が誇りに思うそのような錚々たる人物の大半は、非アラブ人であったし、礫打ちの刑で殺され或いは投獄され、著書を焼かれ、或いは異端として非難された。それでも我々は人文及び文化上の理由から彼等を誇りに思う…。


我々の問題は、ノーベル賞をとれないことにとどまらない。思想の自由、人権、メディア、ジェンダー、環境、水、腐敗撲滅戦争等の面で尊敬すべき地位にない。問題はそこにある。すべての分野で我方諸国は最後尾に位置する


オリンピックに出場すれば、我方諸国は、〝参加すること(だけに)意義あり〟の状態で、メダルを狙う段になると、自前の選手に期待できないので、他国の有望選手に国籍を与えて、出場させることになる。我々の代表になったコモロ島の選手が、 金メダルをとれば、あたかも彼がエルサレムを解放したかのように、大騒ぎする(注、コロモはイスラム連邦)。ケニヤ、ギニア、或いはシエラレオネは、アラブ諸国が束になっても敵わない。22ヶ国がメダルひとつで大騒ぎするのに、彼等はその10倍はとり、更にその上をめざす。経済力からいえば全然比較にならない。いくつかの国―多分すべてのアラブが―ケニヤ、シエラレオネ等より収入が多いだろう。しかし何十億何百億という金は、スポーツクラブなどに浪費され、人材育成に投資されることはない。


我々は、前進する代りにすべての分野で逆走している。スポーツで劣り、芸術では誰もいない。政治の分野では人質同様、列強の言いなりである。動きを期待されれば動き、沈黙を要求されれば黙る。経済面でみると、我々は福祉国家ではないイデオロギー面では我々が影響されることがあっても、影響力を及ぼすことはない。人道面では我々は他者を受入れず、拒否する。我々は、我々と考えの違う者を不信心者として非難する我々は常に正しく、世界が我々を打倒するため、陰謀を企てているとし、物事を論理的に考えようとしない。論理的帰結を受入れず、避ける。我々は、我々を互いに傷つけ殺し合っているのは我々自身であることを、認めることができない。互いに殺し合い血を流すのは、先祖の遺産を口実にしている。かれこれ1500年程になろうか。さまざまな流れと宗派間に民族的宗教的紛争の種をまく意図ありという口実である…。


諸君、我々の車はギアが逆走状態になっているので、前へ進めない。この間世界はどんどん進んだ。もう数世紀、恐らくは10世紀も我々は遅れている。我々は現世代のための船に乗り遅れている。現世代を矯正することはできない。手遅れである。我々は目をはっきり覚まして、資金と人材を次世代のために投資しなければならない。そうできるか。それが問題である。


※1 2016年1月6日付 Al-Ghad(ヨルダン)
※2 アル・ラジ(Abu Bakr Al-Razi 865-92)はペルシアの哲学者。アラビア語で執筆し、ムスリム世界の卓越した医者のひとり。
※3 アル・ファラビ(Abu Nasr Al-Farabi 872-950)ムスリムの数学者、科学者、医者、哲学者で、心理学、社会学宇宙論、論理学、音楽、の諸分野で貢献があった。知識においてアリストテレスに次ぐ人物といわれ、第二の師として知られた。
※4 イブン・シーナー(Abu `Ali Hussein Ibn Al-Sina 980-1035)。ペルシアの医者、哲学者、科学者。科学史家G・サートンは、「史上最高の思想家で、医学者のひとり」と評している。
※5 アル・キンディ(Abu Yousuf Al-Kindi 801-873)。アラブ・ムスリムの哲学者、数学者、音楽家、医師。「アラブの哲学者」と呼ばれ、アラブ・イスラム哲学の父と考えられた。
※6 イブン・ルシュド(Abu Al-Walid Ibn Rushd 1126-1198)。ムスリムの医者、哲学者。スペインのコルドバに生まれ育ち、そこで仕事をした。中世ヨーロッパ哲学に大きい影響を与えた。
※7 イブン・ハルドゥーン(`Abu Al-Rahman Ibn Khaldun 1332-1406)。著名なアラブ人歴家、史料編纂者。史料編纂、社会学、及び経済学研究の父祖のひとりと考えられる。

(引用終)