ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ヤクザの新聞?

2015年12月21日付『毎日新聞朝刊』「くらしナビ ライフスタイル」


「退職申し出る時期は??契約期間なければいつでも可能」(東海林智)


職業選択の自由憲法22条)+「退職の自由」(民法627条)
・正社員の場合、いつ辞めたいと申し出ても構いません。
・原則、いつでも申し入れ可能です。仕事を辞める2週間前に申し出れば、2週間後には解約は成立、辞めることができます。
・長い期間を規定している場合は、退職の自由を制限しているのと同じなので無効です。
・会社に退職の原因がある場合、特定受給資格者とする制度があります。給付までに3ヵ月間の待機期間がなく、給付日数も増えます。
・特定受給資格:採用時に明示された労働条件と事実が著しく違う/上司や同僚から著しい嫌がらせ(セクハラ、パワハラ)を受けた/会社が仕事の上で法律違反をしていた
雇用保険の給付を受けるため、ハローワーク離職票を提出する際、特定受給資格に該当するか相談員に詳しく聞き、当てはまると思ったら、主張することが大事です。

(部分抜粋引用終)

20年ぶりに雇用環境が改善しているとしながら、なぜ上記のような記事が大きく掲載されているのか疑問だが、該当する人々が一定層、存在するのであろうか。

仮に私が雇い主であったとして、従業員にこのようなことを言い立てられたとしたら、つべこべ争わず、さっさと退職金でも出して辞めてもらいたいと思うだろう。どういうわけか冒頭で憲法民法がいきなり出てくるが、就職活動の際、それほど「自由」の法的な権利を意識していたのだろうか。だとしたら、私でも御免被りたい、採用したくない労働者だ。自由以前に、働くことの意味(「傍(はた)」を「楽にする」)と意義が全く理解できていないお子ちゃまだと感じられるからである。権利ばかり主張して、義務や責任を全く無視しているからである。

「正社員の場合、いつ辞めたいと申し出ても構いません」とあるが、現実には、もっと順序立てて事を運ぶであろう。それが、社会人としての心得である。後釜を探す雇用者や、突然の空きを埋めなければならない同僚の立場を考えれば、当然のことだ。
「仕事を辞める2週間前に申し出れば、2週間後には解約は成立」だとしても、形の上の話は、という条件付きである。実際には、雇用主の心証を悪くし、(もう二度と、あの周辺からは採用するものか)となるのは、当然の成り行きであろう。(後注:教授の依頼で、結婚前に幾つかの大学で非常勤講師をつとめていたが、結婚して関西に移ることがほぼ決まりかけた数ヶ月前には、(破談の可能性も含めて)恐る恐る、上司に次の半期は一身上の都合により辞退すると申し出たものである。理由が理由なので、誰もが喜んで承認してくださるが、一旦話が(留)学生達に広まると、後戻りしにくい話でもあるのでタイミングが難しく、小声でお伝えする運びとなる。ある場合には、「余人をもって代え難い」「後釜探し、難しそう」などと、お世辞を添えてくださった教授もいらした。ありがたいことではあるが、それほどまでに、仕事に就くということの責任は、重大なのである。権利や法の問題ではない。)
「退職の自由を制限しているのと同じなので無効」については、法律の字面を盾に争っているような表現である。「長い期間を規定」している理由と背景を、まず理解すべきではないか。
雇用保険の給付を受ける」ために「主張することが大事」の一文で、この記事の意図が透けて見える。要するに、いかなる個別事情があったとはいえ、お金がもらえることを希望して、権利の主張をするのだ。
学生時代に、『毎日新聞』はヤクザの新聞だと、学部の教授が研究室で私におっしゃったことがある。当時は意味がわからず、当時のこととて先生に口答えのような質問を切り返す無礼もできず、ただ黙っていたのみ。あれから三十年ほど経った今、ようやく意味がわかったような気がする。