ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

少子高齢化の現状について

一見、親切ガイドのようでいて、非常に変な「おひとりさま」向けサイトだ(http://ohitori.s152.coreserver.jp/)。こんなものを見ている人がいるから、変な風潮が一部に広まるのであろうか。
また、関連現象として、二十代から四十代前半までの「引き篭もり」人口220万人以上という統計もある。健康な若者が、いくら個別事情があったとはいえ、何でも親や社会のせいにして長らくブラブラし、本来なら働いて納めるべき税収入まで減っているということは、巡り巡ってこちらの現実にも関わってくることであるため、決して他人事として無関心でいられない。

本来ならば、以下のブログを書くような暇は私にはなく、また、相手にすべきでもないのだろう。だが、ある程度は昔から予想内ではあったものの、実際に起こると非常にショックだった、という事例が周囲に発生したので、その人達のためにも、自分の心得としても、予防線を貼って予備的に記しておく。

・昔から独身女性はいたものですが、その当時の独身女性というのは、あくまで自分の信念を押し通しての「おひとりさま」であったわけですが、現在の「おひとりさま」は格別の哲学を持って「おひとりさま」を貫くだけの気持ちがあるわけではありません。

←誰がこのサイトを作成して、こんな文を書いているのか知らないが、昔だって「自分の信念を押し通して」いたかどうかはわからないではないか?今の方が「自分の我を押し通して」いるのでは?

白馬の騎士があなたのもとへ黙ってやってくることはないのです。結婚は自ら行動に移し、自分から男性をつかみにいかなければならないのです。

←「男性をつかみに」って?

・80歳以上の女性になると、8割以上の女性に配偶者がいないというではありませんか。こうなりますと、女性の方は、非婚であろと[ママ]既婚であろうと、最後は、みな、おひとりさまになってしまうのです。

←でも、お子さんやお孫さんが近くに住んでいて、一時的にでも同居している場合が、現代でもあるのでは?現に私は、ご近所でそのようなケースを複数、知っている。

・現在の世相では、子どもさんがいるから老後は安心などといえる状況ではなく、それよりもいつまでも子どもの面倒を見なければならない状況のほうが多くなっているといっても良いでしょう。要は、子どもはあてにならず、夫もあてにできにくい時代なのです。

← そのような家庭にならないよう、子ども時代からよく心掛けておきましょう。

・しぶしぶだれかと同居している人もいますが、最後はやはりおひとりさまになっていくのです。

←「しぶしぶだれかと同居」って?

・おひとりでよかったと満足して死んでいけるような人生設計を今から始めましょう。

←「おひとりでよかったと満足して死んでいけるような人生設計」って??一人で生まれてきたのか?一人で大人になったのか?学校にも行かなかったのか?

・夫に早く死に別れて、「おひとりさま」になるケースがありますが、それでも子どもさんがいたら、家族が支えてくれます。

←意味不明な文章。夫と若くして死別して子どもがいたら、女手一つで子どもを育てることが、いかに大変かは、昔も今も変わらないはずだが…。「家族が支えてくれます」って、誰が「家族」なのか?

・映画鑑賞にしても美術鑑賞にしても、誰も誘わず、自分ひとりで、納得するまで観賞したいと考えているような女性は、単独行動に慣れており、「おひとりさま度」は高いといえるでしょう。

←その習性はまさに私なのだが、私は「おひとりさま」ではない。

・結婚をあえて選択しないという道も選んだ人も、しっかりした生活基盤を築いて、楽しい人生を送ってやろうという気持ちが何よりも大切です。

←「楽しい人生を送ってやろう」って?

・周りの女性たちを見ていても、「結婚生活は非常に不安定ななかで成り立っている」と感じざるを得ません。

←「周りの女性たち」って、どんな人?「不安定な」「結婚生活」を送っているのが事実ならば、早く解決の手を差し伸べては?

・とても夫婦で仲むつまじく「おまえ百まで、わしゃ九十九まで」というような微笑ましい夫婦像は想像できなくなりました。

← そのようになるよう助言されましたけど、私(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151010)。若い頃には知らなかった新たな目標ができ、元気が出てきましたが。

・人間は孤独になれば、人が恋しくなって近づいてくる人をすぐに信用してしまう傾向があり、そのために、どれだけ多くの独居老人がお金を騙し取られたことでしょう。

←確かに。でも、孤独になった挙句、誰も信用できずにお金を握りしめている事例も、昔から聞いている。

・昔は、長男の嫁が親の面倒を見るというのが常識的な考え方でしたが、今は、他人の嫁さんではなく、実の娘さんがみる傾向にあります。

←質問だが、結婚後、苗字を引き継いだはずの「長男の嫁」が役割を放棄して、(結婚していれば)苗字の変わったであろう「実の娘」が引き受けるように、いつから変化してきたのか?また、その場合、話し合いはできているのか、いないのか?嫁は「私の親じゃないから」「うちには子どもがいるから」と、面倒を見ないで自分の家族の世話だけをする主張をしたとしても、その嫁の子どもが将来、「自分はどちらの親の面倒も見たくない」と放棄し、「子どもを産んでも意味がないから」と独身を貫いたら、それも承諾するのか?

・インターネットに「相談」すれば、あなたの悩みや不安はすぐに解決します。

←インターネット情報は玉石混淆。現に、このサイトも作者不明だが、内容が支離滅裂ではないか?それに、私の周囲でも、生身の身内の経験者に相談もしないで、勝手に「インターネットで葬儀の場所を調べてください」と決めてしまった不届き者がいる。

・もし、おひとりさまの女性が、ノーメイクで一日中過ごしたとしたら、女性として終わったのも同然だといわれても仕方ありません。

←「おひとりさま」ではないが、若い頃から私は、肌への負担を考えて、化粧は最低限にとどめている。ということは、最初から「女性として終わった」まま、結婚したのか?

・男性を魅了し続けてやろうという気持ちはいるものです。この気持ちがある限り、色気のある女性を演出でき、男性も近づきたいと思うものです。

←あれ?「おひとりさま」指南だったのでは?

・加齢とともに失われるものがあっても、人生をリセットしたり、リフォームすれば、新たな一歩を踏み出すことができ、それには、新しい知識を吸収したり、自分を磨くことによって、自分の心をリフォームすることです。

←支離滅裂なサイト文章だ。「リセット」「リフォーム」しなければならない人生の出発点こそが問題だったのでは?過去の積み重ねの上に現在があり、その延長線上に将来がある。老人詐欺に注意!

・いろいろと飛び交っている無数の情報から自分の興味のある情報だけを取捨選択できる能力が働くようになり、脳が活性化してきます。

←活性化ではなく、自己中心の傾向が何乗にもなっていくだけでは?

・得意の書道を子供たちに教えてもいいでしょう。あるいは囲碁や将棋を習ってコミュニティを広げるのもいいでしょう。あるいは四季の彩を感じながら、近くを散歩するのもいいでしょう。

←このようなタイプだったら、最初から「おひとりさま」にはならなかったのでは?

・「おひとりさま」の生き方もさまざまであり、社会の常識に合わせる必要などさらさらありません。

←このようなタイプだから、最初から「おひとりさま」コースだったのでは?

・嫌いな人間と調子を合わせたり、お茶を飲んだりして、人間関係を維持する必要などまったくなく、あくまで、自分が好きな人間かどうかを自分勝手に判断して、自分が一番楽な暮らした方というか生き方を選択すればいいだけなのです。

←だから、「おひとりさま」人口が上昇したのでは?

・人の価値観に流されることなく、自分として充実した生き方かどうかだけ判断材料にしたらいいのです。わがまま人生を貫きましょう。

← こういうタイプが年を取ると、施設でも一番困るのでは?

・「おひとりさま」になれば、少しでも人が話しかけてみたいと思うような人になりたいものです。

←誰も話しかけたいなんて思わないよ。そんなに魅力があったなら、なぜ「おひとりさま」に?

・「扶養家族がいないから、お金の心配はいらない」なんて思っていてはダメです。養う義務がないということは、「自分のめんどうは自分で見る」ということでもあることを認識しましょう。現在の年齢によっては、65歳から開始されるとは限りませんし、生活に十分な額がもらえる保証もありません。

←こういうサイトに影響される単純な人口が増えたから、そういう事態になったことがわかっていない。

・見直しがより厳しい方向へ下方修正されることや、人口見通しや経済環境が悪くなっていくという先行きの不透明感が増大し、現行の年金制度のままでは乗り切れないのではないかという制度に対する不信、不安も増幅しています。

←そうならないように手を打たなければならないのに、不安ばかり煽っていないか?

・シングルで扶養家族がいなければ、死亡保障は誰にも迷惑がかからない程度、葬儀代として500万円くらいを用意しておけば良いでしょう。

←最近では、裕福で、家族どころか孫やひ孫までいても、葬式代は150万円以下に格安で抑えてしまう失礼な風潮がある。結局は、お金の問題ではなく、気持ちや人間性の問題ということだ。

・年金には、極端なことを言えば、全国民の生活がかかっているわけですから、政府が存在する以上、年金がゼロになることはないと思うほうが常識ではないでしょうか。

←書いている人が複数なのか、ページによって記述が支離滅裂で論旨が一貫していない。

・おひとりさまの老後を支えるのは、足腰の強い体力と、日々の生活に必要な「お金」であるのは誰しも否定できないでしょう。社会的な信用度においても、いくらお金があるといっても、安定した家を持っていなければ、信用度は相当低くなるのが現実です。

←「安定した家」って?転勤族はどうなるのか?家はいわば箱物。箱だけで人の信用度を決められるなら、それまでの話だ。

・シングルの人こそ、できるだけ若い時代に家を買うか、マンションを買って、生活の基盤をしっかりさせることこそが、楽しいシングルライフを送る秘訣ではないでしょうか。

←この助言は、私が二十代半ばのバブル全盛期にもあった話だ。そして、三十路を超えた職場の先輩が私に言ったことだが、助言に乗ってマンションを早々と買ってしまったものの、仕事で海外に居住することになり、そのマンションは無駄になったとも聞いた。

・設備の整った場所に、患者や高齢者を一箇所に集めてめんどうをみるのは、看護や介護をする人の都合で、本人の思惑ではありません。多くの高齢者にとっては、施設に入ったら二度と出られない場所なのです。どんなに汚くても、どんなに不便でも、住み慣れた自分の家のほうがずっと良いに決まっています。家族のいない「おひとりさま」なら、自分の家があれば、だれに遠慮することなく、堂々と大手を振って家に帰ることができます。

←結局のところ、このサイトの作成者は、頭が分裂しているのではないだろうか。家族を持っても施設に入れられて二度と出られない。家族なしの単身者ならば、自分の家で伸び伸びと暮らせる。単純過ぎないか?新左翼工作員が妄動をかけようとして、下手に作っているのか?

・パラサイトは、とりあえず家の心配やマンションを買う心配をしなくていいでしょう。娘さんが30歳までに結婚できず、そして40歳になっても結婚できなかった場合、親もすでに老後の域に入っていることが多いので、「このまま結婚しなくてもいいのではないか」と考え始め、自分たちの老後の面倒を見てくれることを期待するようになるものです。親が亡くなったとなれば、いくらあなたが親の介護をあなたのお金で真摯に世話をしていたとしても、話しは全く違ってきます。まずは、たとえ長男や長女などと疎遠になっていても、遺産相続の問題が持ち上がってきて、あなたが親の遺産や、住んでいる家をそのまま譲り受ける保証など一つもないのです。

←パラサイトが住む場所の「心配をしなくてもいい」というのは、おかしい。だから寄生虫なのに。そして、同居と介護と相続の問題については、これまた法律以上に、元の家族関係と人間性の問題である。

・おひとりさまは、そんなにお金もないし、彼氏もいないのが普通ですから、今こそ、おひとりさまが団結するチャンスです。

←変な助言だ。このような夢想は、せいぜい、二十代前半までで終わりにしたい。

・マンションなどを買うと、女性の気持ちは安定して落ち着き、その落着きがかえって魅力となって、草食系の男子を呼び寄せるのです。

←ますます変な助言だ。このような夢想は、せいぜい、二十代前半までで終わりにしたい。

・一度会社を辞めるということは、一度離婚をするのと同じで、次の勤務条件はだんだんと悪くなるのが普通で、二度目の結婚でも、相手に求める条件を落としていかないとうまくまとまらないようなものです。

←ケース・バイ・ケースでは?

・①リストラされて会社を辞めざるを得なくなり、次の就職先を探していたが、自分の気に入った会社が見つかず、派遣で食いつないでいた結果、そのまま派遣で働いてしまった。②職場の人間関係から逃れたいために、気が楽でストレスのたまりにくい派遣という形で働いている。③派遣のほうが自分の能力、技術を自由に生かせる。④できるなら、中小企業の正社員でもいいから働きたいと考えている、今の不景気なご時勢、正社員として就職するのは難しいので、やむなく派遣で働いている。

←これも、現在三十代から四十代頃までの、都市部の中流家庭の子女だった大卒女性の一部に時々見られる現象だ。最初から、人生に対する構えが甘過ぎるのだが、私の身近にも、主に③の理由で一流企業の正社員を辞めて派遣を選び、「私にはこの方が合っている」と、自己をガンと主張して止まなかった事例がある。私には、どこからそんなべらぼうな自信が出てくるのかと、圧倒される思いで聞いていたが、当時のことを今でもほろ苦く思い出す。今では相当、後悔しているに違いない。

・田舎の実家に帰れば、年老いたお母さんやお父さんが喜んで迎えてくれるはずです。親の介護が必要になってから実家にもどるのではなく、まだ、あなたも両親も元気なうちに実家にもどり、新しい仕事を始めるのです。実家に帰れば、仕事の収入にこだわらなければ、いくらでも仕事はあるものです。自分のアイディアしだいでいくらでも稼げる時代であり、これからは、なにも都会にいなくても、いい生活ができる可能性はあります。

←これも支離滅裂な思いつきの文でしかない。田舎の実家がない人はどうするのか?何の保証もないのに、断定調で書くのは、いかがなものか?

・ネットワークは、ふだんから親しくしている必要がありますので、できるだけ少人数とし、コミュニケーションを図るため、食事会をしたり、カラオケに行くなど、日ごろから親密になっておきましょう。

←そんなことができるなら、最初から「おひとりさま」にはなっていないのでは?

・たとえあなたが死んでも火葬場で世話になるのです。最後に頼れるのは、親しい近所の人で、つまり隣人やマンションの住人なのです。遠くの親戚より、近くの仲間こそがあなたを助けてくれるのです。

←だから、そういう関係から詐欺行為が生まれるんだって…。

・学生時代からの友だちで、心から信頼できるのなら良いのですが、腐れ縁でつながっているケースが多いものです。また、おひとりさまを決意した以上、あなたは強い人間に変身しており、昔のあなたでは決してないはずです。今の自分を理解してくれるのは、過去を知らないまっさらな友だちではないでしょうか。

←繰り返すが、だから、そういう関係から詐欺行為が生まれるんだって…。

・いくら仲の良い家族でも、いずれは去っていきます。それだけでなく、仕事にしても仕事仲間にしても同様ですが、最後に残るのは、大切な友だちではないでしょうか。

←もう一度繰り返すが、だから、そういう関係から詐欺行為が生まれるんだって…。

・ケータイやインターネットでのメール送信なら、世界のどの地域へも時差に関係なく、遠慮なく送信することができます。メールを受けた人は、すぐに返す必要もなく、また、何回もメールの内容を見返すこともできてしっかりと確認することができます。

←いい加減、目を覚ませ。そういう関係から詐欺行為が生まれるんだって…。

・最近ではプライバシーをやかましくいうようになってから、「隣は何をする人ぞ」という傾向が強くなり、近所の人と道ですれ違っても、ろくに挨拶もしない風潮が強くなってきているようです。

←ここは同意。

・年末年始だけは、たとえ相手からお呼ばれがあったとしても、他人の家に無神経にあがってお餅や雑煮を食べるわけにはいかないでしょう。おひとりさまになれば、早くから年末年始対策を考えておくことです。

←う〜ん。

・公的な制度として、認知症高齢者、知的障害者精神障害者等の判断能力が不十分な人が地域において自立した生活が送れて、社会的な不利益をこうむらないようにサポートする制度があります。一つは、日常生活自立支援事業、もう一つは成年後見制度です。相談の窓口業務は、利用者の利便性を考慮し、都道府県社会福祉協議会又は指定都市社会福祉協議会から委託を受けた市区町村社会福祉協議会等(基幹的社協)が実施しています。

←この制度は、なかったら大変だが、あればあったで大変な問題を含んでいる。つい、高度福祉社会の北欧の悲しい事例を次々と思い浮かべてしまうのは、私だけだろうか。

・将来の判断能力が不十分になった場合に備えて、あらかじめ自分が選んだ代理人(任意後見人という)に財産管理の代理権を与える契約を公正証書で結んでおき、必要が生じたときに必要な支援・保護を受ける制度です。支援活動については、家庭裁判所が監督しています。受けられるサービスには「財産管理」と「身上監護」の二つがあります。

←同上。私の知っている人で、何年も前から早々とこれを実践して、周囲に迷惑を撒き散らしているケースがある。その人の場合、あくまで自分はしっかりしており、「誰にも迷惑を掛けないよう」、自分の人生は自分で責任を負っているつもりなのである。もともと生い立ちに情緒面の問題があり、自分が血を分けた家族を誰一人として信用できないという病弊を抱えていた。だから、家族ではなく、赤の他人の公的機関の方が信頼性が高いと考えるのだ。こういうタイプは案外に多く、新左翼の文化宣伝工作に引っかかって、潜在的に増加していくのではないだろうか。

介護保険適用年齢の65歳になったら、地域包括センターや自治体の介護保険課などに行き、地域で受けられるサービスメニューに関する情報を手に入れておきましょう。昼食を届けてくれる配食サービスから、おひとりさまの話し相手になってくれるボランティアなど、多彩なおひとりさまをサポートするメニューが揃っている自治体多いはずです。

←「はずです」と自信たっぷりな文だが、だから政府は「輝く女性」とおだてた政策を打ち立て、介護職に就く外国移民を募集しているのだろう。これでは、予見できる困難をわざわざ作っているようなものだ。

・たいていの人は、健康管理第一と考え、わき目もふらず、ただひたすら両手をしっかり前後に振りながら、ひたすら歩いているのに気がつくはずです。周囲に迷惑をかけまいと一生懸命に体の健康管理に努めることも大切ですが、あなたの心にストレスを溜めないことのほうがもっと大事です。

←ご近所を散歩していると、時々、わき目もふらないで、会話もなく、早足運動をしている白髪夫婦を見かける。大抵、意に反して病気になるのは、このケースだろう。

・いろいろのサービスを家族のように見守り、自立のためのサポートを幅広く提供しているのが、「みまもり家族制度」であります。これは公益財団法人「日本ライフ協会」による制度で、サービスメニューは多岐にわたり、家族の立場になって行う生活支援のほか、人生の最期も自分で締めくくりたいと言う人のために、死後の葬儀、納骨など、終身にわたるメニューも用意されています。この「日本ライフ協会」は平成14年6月に創立され、現在、東京・大阪・名古屋・福岡・仙台をはじめ、全国各地で事務所を展開しています。事務所が最寄りにない地域でもサービスは受けられます。連絡先 0120−137−165

←やはりそうだったのか。「サービス」「メニュー」という言葉を使うところに、不自然さが現れている。唯物史観そのものだ。

・人間の存在価値の根本が脳から消え去ってしまうのですから、認知症は恐ろしいです。最近は、病院で認知症のテストをしてくれるそうですが、それでも本人に自覚がなければ普通は行ったりしないものです。認知症になる確率は65歳以上で5パーセント程度であり、みんながなるわけではないので、過度の心配をする必要はなく、75歳ぐらいになって心配しても遅くはないでしょう。そのときには、任意後見人を見つけておくのも手です。

← 最近、若いスタッフばかりの美容院に行ったら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141231)、「認知症バッチ」を胸につけて仕事をしていた。認知症予防の手当をすべく、香り刺激などのセラピーを受講すると、町から認証バッチをもらえるのだそうだ。「まだお若いのに…」と応答しつつも、だからこそ若い世代の負担にならないよう、我々一人一人が心掛けなければと誓った次第。ちなみに、八十代になる主人の母は、しばらく前に病院で「呆けテスト」なるものをしたところ、「成績優秀」だったとの由。親孝行のみならず、子ども孝行を心掛けたい。

・詐欺商法、あるいは悪質商法としては、キャッチセールス- キャンペーン商法、求人商法、教材販売、教育商法、ケータイ出会い系サイト、訪問販売、通信販売、資格商法マルチ商法、自己開発セミナー、開運商法、霊感商法、ツボ売り、エステ、結婚情報サービス、そして、利殖商法リフォーム詐欺、和牛商法(安愚楽牧場)、ワンクリック契約などがあり、数え上げたらキリがありません。高齢者がいつも不安に思っているお金の問題、健康の問題、あるいは孤独感などにつけ入って、巧みにだまそうとしているのが詐欺や悪徳商法です。オレオレ詐欺でお分かりのように、だましのプロにかかったら、ひとり暮らしの高齢者などを騙すのはイチコロなのです。訪問販売員が高齢者の孤独感につけ入り、高齢者の悩みや世間話を親切に聞くなどして、高齢者の歓心を買い、そして、契約に持ち込むケースも増えています。健康に不安を持つ高齢者の心理をたくみにつき、健康食品から電気治療器、あるいは健康マクラや健康ぶとんなどを購入させる手口も山のようにあります。

← 同意。

・田畑を持っている大地主が、自分の田にマンションを建てて、小遣い稼ぎをしようとする人がいましたが、大概は失敗して借金だけが残ったという話を耳にしたものです。貸室用のマンションを買って、後の支払いは入居の家賃で30年間程度まかない、そして最後は自分のものになると考えての投資だと思いますが、これはまったく商売感覚のない人がする錯覚なのです。ズブの素人がマンションなどに手を出すべきではありません。おひとりさまの老後のために、少しでも儲けたいとか利益を得たいと考えているなら、自分のこれまで歩んできたキャリアを活かして仕事をするべきです

← これも同意。不動産に関しては、周囲にも似た事例があるので、怖いと思っている。

・雑誌などに掲載されている資金計画は、現在の経済情勢をもとにして計画されていますが、将来を見通せば悪いほうに下方修正をしなければならないこと想定されます。歳をとると生活にお金がかからなくなるから、「お金のことはあまり心配しなくていい」というのは幻想です。健康状態も変わってきますし、住まい方も変わってきます。お孫さんの誕生日や入学祝にはそれなりの出費も必要でしょう。

←あれ?「おひとりさま」用指南だったはずなのに、いつの間にか「お孫さんの誕生日や入学祝」?

・自己破産をすると、信用情報機関ブラックリストに登録されてしまいます。期間はおよそ5〜10年で、ブラックリストに載ると、その期間は銀行やサラ金からの借金はできないし、クレジット会社からカードの発行も受けられませんので、注意が必要です。

←同意。

生活保護水準以下で暮らす家庭は、日本の全世帯のおよそ10分の1の400万世帯とも、それ以上とも言われています。2014年2月時点で、被保護実人員は216万人、被保護世帯は160万人で、生活保護を受けている世帯は年々増えています。

生活保護を受けることは恥ずかしいという意識を、幼い時からしっかりと身につけることが肝要。

・仕事一筋の人は、身体の疲れも無視して仕事に励む結果、結果的に脳梗塞になったり、心筋梗塞などで倒れることとなって、要介護の状態になることがあります。良い介護を受けるためには、見栄などはる必要はなく、自分のできることと、できないことをしっかり相手に伝えることが大切です。早期発見・早期治療は、自分だけでなく周囲の人にとっても、結局は安いコストにつながるのです。

←同意。

・元気なときは、だれを敵に回しても、気の強い人なら問題はないかもしれませんが、介護される側になれば、お金を出したからといって、親身になった介護が受けられるわけではありません。やはり、そこは、介護される人と介護士とのコミュニケーションの問題であり、コミュニケーションがうまく取れていれば、満足のいく介護が受けられる可能性は高いのです。家族にだって嫌がられるだけの人になりますよ。

←同意。

介護士さんを必要以上期待して、話し相手になってもらったり、悩みの相談相手になってもらうことがあるようですが、公私混同は避けるべきであることを知っておきましょう。相手からいくら世話になったとしても、相手はプロの仕事士として任務を果たしているのであって、人生相談の相手ではありません。介護は介護、家族は家族、友だちは友だちというスタンスを忘れないようにしましょう。

←同意。

・実際には、病院を追い出され、引き取り手のない人や、一般に特養(特別養護老人ホーム)と呼ばれている施設の入所待ちをする待機者が多くいます。老健の入所の対象が、介護認定を取った要介護の高齢者だということです。実際には、介護度の高い人(身寄りのないおひとりさまは、やや軽度でも)が優先で、とくに都市部では入所待ちの待機者が多いため、入るのは難しいといわれています。2008年5月から「介護療養型老人保健施設」(新型老健)という新しい形の施設がスタートしました。これは厚生労働省が医療費を抑制するために社会的入院」が多かった病院の「療養病床」の大削減を2005年から始めるにあたって、考え出された新施設です。この大削減で、長期入院者は「家に戻るか、介護施設に入りなさい」と言われたものの、老健などの介護施設では医療のケアが弱いし、家に戻っても在宅医療・看護の体制は十分に整ってはいません。そこで、廃止された病院の療養病床を転用し、病院の療養病床と老健の中間にある施設を作ることになったわけです。「介護療養型老人保健施設」では、病院より少ないが旧型老健や特養よりも多い医師と、24時間体制の看護士を配置し、「看取りまでできる施設」を目指すことになっています。ただ、介護報酬が従来の療養病床に比べて2割程度安くなるため、病院側からは「収入が減る」の大ブーイングも出て、先行きに暗雲が漂っているようです。

←こういうことがあるから、先々のことを考えて、親の葬儀を勝手にお安く済ませて、墓石も建てず、遺産分けも孫資金も、早い者勝ちで掴み取る事例が、私の周辺でも実際に起こったのだ。もちろん、私には一銭もない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151113)。「何事も自己責任。遺産が欲しかったら、最初からおとなしく、こっちの言う通りにせよ」ということなのだろう。果たして、そのように用意周到な人生が幸せなのかどうか、よく考える必要がある。

・「認知症対応型共同生活介護」として介護保険サービスの対象となっているのが「グループホーム」です。これは認知症の高齢者が、介護スタッフとともに少人数で共同生活をする住宅です。家庭的な雰囲気のなかで共同生活をすることで、認知症の進行をゆるやかにし、問題行動をやわらげるとされていますグループホームの定員は、5〜9人。原則として個室で、共用部分として食堂や居間を設けています。費用はトータルで月10万円〜15万円前後。入居金が必要なところもあるようです。

←これもご時世だが、社会動向によって、いつ何時何が起こるかわかったものではない。

・たとえ入居金にうん千万円払ったとしても、入居後、3〜15年で全額償却され、それ以降は戻ってきません
①自立している人が老後を楽しむために入る「健康型有料老人ホーム」(介護が必要になると退去の可能性も) ②次に介護が必要になったときでも、訪問介護などを利用しながら、そこに住むことのできる「住宅型老人ホーム」③そして介護が必要になったときには、介護を受けながら、そこで生活できる「介護付き有料老人ホーム」の3種類。
①掃除が行き届いているか ②館内にトイレの臭いがしないか ③介護スタッフの表情が明るいか ④趣味やレクリエーションのプログラムが充実しているか ⑤部屋にはちゃんと介護コールの設備があるか ⑥トイレは使いやすいか

←これもご時世。心の準備としては、過去ブログに私の経験を書いた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090213)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151113)。

・大声、暴力、徘徊などで利用者に迷惑をかけたり、介護の重度化を理由に退去を求められることもあるので、どういう状態になったらホームを出なければならないのかなども、あらかじめ聞いておくことも大切です。老人ホームの入居に向かないタイプの人:「共同生活が苦手な人」「他人から干渉されるのが嫌いな人」「医療への依存度の強い人」

←結局のところ、老いも若きも生きる点では同じだ。自分のことは自分でできるように。

・遺骨の処理について、こうして欲しいという希望があるなら、親しい人に伝えておきましょう。あまり無理な希望は、他人に迷惑をかけますので、留意しましょう。葬式については、あまり突拍子もない方法については、任された人も困るので辞めましょう。お墓についてのこだわりがある人なら、生前に墓地とお墓を用意しておくのが良いでしょう。あまりこだわったやり方とか、社会常識を超えるような要望は、他人に迷惑をかけますので、どうしてもこだわりがあるのなら、生前に十分打ち合わせておきましょう。最後に、自分の要望を他人にかなえてもらうためには、それなりの費用もかかるわけですから、謝礼と実費については、十分用意しておきましょう。

←実は、早々とこれを実践した人が身近にいる。しかも、はた迷惑なことに、周囲にも勧めているのだ。私の原則は常に同じ。迷った時には伝統に従い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151128)、勝手に自分の希望を出すな。

・法律では、遺言がない場合、だれが相続できるのか、その範囲、順位、相続分を定めています。① 第一順位は配偶者と子ども ② 配偶者と子どもがいない場合は、第二順位として自分の両親 ③ 配偶者、子ども、両親がいない場合は、第三順位として自分の兄弟姉妹。兄弟が亡くなっていれば、姪や甥が相続することになります。

←これは法律上の話で、私の経験では拘束力はないに等しい。争いを防ぐための遺言書だと言われるが、ない方が法に従える余地もある。もし、遺言書に「○○に一存する」と強制的にでも書かされていれば、その紙切れを振り回して何とでもできてしまうのが実態。「本人の意志」の尊重とは、本来の意味を離れて、周囲がどうにでも活用できる身勝手な思想だ。但し、表面上はそうであっても、過去の来歴や普段の行動や性格などの社会常識と照らし合わせれば、おかしなケースは感づかれるものでもある。問題は、声を上げて権利侵害を公に主張するか、みっともないからと密かに犠牲になったまま黙してしまうか、の違いだ。また、権利が侵害されたことを主張したとしても、それが認められるまでのエネルギーや時間の喪失を考えると、それほど公平なものでもない。その上、その後、従来あったはずの人間関係が破壊されることは、言うまでもない。

・自発的な尊厳死を用意する「事前宣言書(リビング・ウィル)」として知られるもので、この書類は、アメリカや英国だけでなく、日本でも会員が増加していると聞いています。遺言書に対して「エンディングノート」と呼ばれるものです。もちろん、遺言と異なり法的効力を有する性格の文書ではありませんが、存命中や死後の家族の負担を減らすことを目的としています。連絡して欲しい人とか、子どもの連絡先なども記載しておく必要があるでしょう。

←これも、三十代頃から知っていた話だが、現実には、ほとんど意味がないとも知った。いくら「本人の意志」と事前に準備しておいたつもりでも、周囲が勝手に省略してしまったり、ひどい場合には破棄してしまう事例が、この私の周辺で起こったからだ。(主人の家の側ではない、念のため。)幼い頃に世の中の厳しさを諭され、人を安易にアテにしないよう、きちんと躾けられたことを、この頃もいろいろと思い出すのだが、当時を思うと、四十年以上も経った今、本当に信じられない事態だ。あれほど、老後にお世話になることも考えて、若い者達には律儀にお祝いなども渡していたのに、晩年は施設に送られ、裕福なのに葬儀も格安で済まされてしまったケースが身近にある。世代が変わると、こうも変わるのか、と驚くばかりだ。せめて自分の子を味方につけようと、いろいろ画策していたことも、今となっては合点がいく。私の父の場合、長年、交流があった方々の名簿を丁寧に自筆で書き記していたのだが、全て消されてしまった。ご連絡をしたくても、どこに行ったのか、わからないのだ。つまり、自分がいくらしっかりと準備していたつもりでも、その時の周囲の思惑で勝手に消去されてしまう。ここでも、人間性が肝心である。人間関係が大切だとはいえ、身勝手で嘘つきで、結婚の挨拶もできないような(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)、あるいは戸籍改竄のような犯罪歴のある親戚(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151212)とは付き合えないと思うのは、こういうことがあるからである。自分のした行為が周囲にどれほど迷惑になるのか、本当に公私の立場を認識していただきたい。

・手元にあったものを大幅に整理して身軽になっておくことが大切です。モノを死蔵しないことです。「立つ鳥、あとを濁さず」という言葉もあるように、高齢者といわれる年代になれば、身辺に余計なものは溜め込まないようにしましょう。自分が所持している手紙やはがきを年賀状を書く時期には、いつも見直してみて、本当に大事なものだけを残して、あとは申し訳ないと思いながらも、燃やすなどして処分してしまうのがよいでしょう

←というのだが、これも人によりけりだ。後に残る者への負担にならないようにと、早々と整理されてしまって、かえって寂しく、困ることもある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141208)。むしろ、健在なのかと錯覚するほどそのまま残っていた方が、ゆっくりとお別れする心の準備につながる場合もある。私の経験だが、誕生してから中学入学以前まで住んでいた家がいつの間にか処分され、駐車場に変わっていたのを見た時には、自分の基盤と記憶の根幹が消されたような思いがした。今風の流行り言葉を借用すれば、忙しい生活の若年者の負担にならないようにと、早々と処理したのだろうが、感謝どころか喪失感しかない。人の根っこを軽々しく扱い過ぎなのだ。

・「死んだら、葬式なんかいらないから、骨は適当に野原にでもまいてくれればいいよ」などと暢気なことを言ったりしますが、日本には埋葬法という法律があり、遺骨や遺灰をその辺に適当にばらまくわけにはいかない決まりになっています。毎月2千〜3千円程度を積み立てておき、必要なセレモニー時に使う「互助会」の会員になっておく方法もあります。直葬でも経費はゼロではないので、昔からいうように「葬式代」はちゃんと残しておくようにするのが、責任ある人生の締めくくり方といえましょう。締めくくり費用は、死亡診断書の費用、お清め代、火葬場までの運搬費、火葬代など、トータルで30万円から、というところでしょう。日本の法律では、葬儀をすることは義務付けられてはいませんが、火葬にすることは義務付けられており、火葬後の遺骨、遺灰を勝手にまいたり捨てたりすることは禁じられています
◇「NPO法人 葬送の自由をすすめる会」(電話03−5684−2671)
◇海洋自然葬・青空自然葬などを扱う「オリジン研究所」(電話048−430−3508)
樹木葬なら、「千の風みらい園」(電話0120−056−048)にご相談するのも良いでしょう。ここは東京都で初めて認可を受けた樹木葬専用のガーデン墓園で、樹木葬は墓石を使わず、かわりに墓碑として「樹木」を使用する埋葬方法です。

←気軽に書いているが、この「多様化した葬儀・埋葬のあり方」の背景にある新左翼思想を見抜く感覚と知性を磨け。過去ブログを参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151212)。取り返しのつかないことを、無責任にも平気でする風潮が広がっているのだ。ちなみに、私の住む北摂地域では、一時流行った家族葬などの弊害がむしろ目立つようになったため、従来の伝統的なやり方に回帰してきた、というチラシ広告が新聞に織り込まれている。

・ともだちネットワークのない人は、行政との関係を強めておきましょう。いまや「孤独死ゼロ」は地域社会の合言葉にまでなっているぐらいです。市区町村の高齢者に対する「見守り」や「配食」をはじめ、いろんな支援サービス・プログラムが用意されています。地域の民生委員や市区町村役場のケースワーカーが、どこにどんなにおひとりさまの高齢者がいるかを、きめ細かくチェックしている地域も増えてきています。日本の行政は、高齢者でも家族のある人には冷たいけれど、身寄りのない高齢者のおひとりさまには、さまざまなサービスを設けています

←「日本の行政は、高齢者でも家族のある人には冷たい」のではない。逆である。この文を書いた人は、多分、勘違いしているか、意図的に誘導しているのであろう。

・市区町村役場の高齢者・福祉関係の窓口や、地域包括支援センターに連絡すれば、自分の住む地域にどんな支援サービスがあるかがわかります。自分の生き方としておひとりさまを選択した人は、自分の人生哲学をしっかり持っていると思われますので、けっして孤独死などして、他人に迷惑だけはかけないようにしましょう

←この「おひとりさま」は、一人で生まれてきたのだろうか?本当に、どこを探しても天涯孤独なのだろうか。迷惑をかけながら生きているという自覚があるからこそ、日頃の礼儀や常識を尊重するのが人生なのだ。この文の傲慢さに気づけ。

・おひとりさまは、もともと家族縁が薄かったり、夫婦縁の薄い人が多いため、財産を残すとしても、普段からつき合いのないような甥とか姪に行ってしまう可能性が高いといえます。遺言は生きているあいだに書くもので、遺言は死ぬためにではなく、生きている自分のために書くものです。それだけに、生きている限り、自分の気持ちは揺れ動くものであり、今日は、この人に残したいと思っていても、明日には変わっているかもしれません。だから遺言には日付が必要で、日付の新しいもののほうが古いものより有効という決まりがあります。「虎は死して皮を残す」といいますが、人間は死んで名誉を残すのではなく、自分の意志を継ぐ人を残すことのほうがそれ以上に大切なことのように思えます。

←「生きている自分のために書くもの」ではない。残された遺族に意志を伝えるために書くものだ。「日付の新しいもののほうが古いものより有効という決まり」があったとしても、新しければ本音に近くて確かだという保証は、どこにもない。この「決まり」を知っている「おひとりさまネットワーク」(あるいは家族や親族)の誰かが、徐々に入れ知恵をして、「気持ち」が「揺れ動く」よう仕向けるかもしれないのだ。また、病気(特に認知症)や事故で判断力が落ちたとしたら、昔の方がまともなことを書いていて、死が近づくにつれて、おかしなことを平気で口走るようになり、それも「本人の意志」だと解されるようになるとしたら、どうなのか。これも、実際に身近で私が経験したことだ。

老齢や病気で筆跡が変わったりすると、偽造の疑いがもたれて、争いのもとになることもありますし、遺言者が亡くなったあと、家庭裁判所で検認してもらわないと、遺言は実現できないことも知っておきましょう。不動産の登記簿謄本に記載されているとおり書くこと。<所在地・不動産の種類(土地か家)・面積などを具体的に記載><預金なら、「○○銀行○○支店普通口座123456」と記載>それともう一つ、遺言執行人の名前に加え、住所と生年月日もその人を特定するためにしっかりと書いておきましょう。本人が亡くなる前に、遺言執行人が亡くなってしまっても大丈夫です。その場合は、家庭裁判所が遺言執行者を選任してくれるでしょう。

←これもあっさりと書いているが、現実はそれほど甘くはない。筆跡が変わるのはその通りで、だからこそ昔の手紙などが証拠にもなるのだ。友達などにも、あまり手紙を書いて送らない方がいいと、昔からよく言われるのは、このような時に利用される可能性があるからだ。その路線で、年賀状も注意せよ、という。家庭裁判所って、そこまで暇だったのか?

・こういう結果にならないように、「私の面倒をよくみてくれる昌子には、私の居住している土地と建物を相続させる」など、余分に遺贈する不動産や金額を具体的に書いた遺言書を父親に書いてもらっておくことです。

←私の限られた経験では、このような私情を交えた遺言書を見たことなどない。もっと事務的で淡々としたものである。また、本来、余程の資産家か、余程お金に困った家庭以外、遺言書はなくても特に揉めないケースが普通の家庭である。結局のところ、少なくとも三代に及ぶ家系の人間関係が子孫に影響し、この種の問題を起こす元だというのが、私の結論である。また、もう一つの経験値として言えることは、法的に情的に誰が見ても客観的に理不尽な立場に置かれた人を黙らせるために「このことで争うのは、亡くなった方の望むところではないはずです」と言う手法があるが、そもそも、こういう発言をする方こそ、バレたら困る事情を抱えていることが多いので、要注意。

・銀行や郵便局などの金融機関の窓口は、名義人が亡くなったのが分かるとすぐに閉鎖され、引き出しはもちろんのこと、口座振替などもできなくなるからです。それを知らずに葬儀社への支払いをしようと銀行に行ったら門前払いを食ってしまったということになるのです。

←そういうケースもあるかもしれないが、私の知る限り、葬儀に関しては、死亡診断書などの公的書類があれば、別扱いになるはずである。葬儀社も、すぐに支払えと脅すようなことは、ビジネス慣例からもないはずだ。あれば、ブラック企業である。

・あとで法定相続人から、あらぬ疑いをかけられないように、口座から引き下ろした金額と葬儀にかかった費用の全明細を保存し、明確にしておきましょう。生命保険の保険金は、請求すれば1週間、長くても1ヶ月ほどで支払われるようですので、あなたが保険金の受取人になっているのであれば、相続人の了解を得る必要はなく、あなたが遠慮なく勝手に使えます。

←「あらぬ疑い」「遠慮なく勝手に」で、状況がわかる。

寄与分の要件
民法では、寄与分が認められる要件として、以下の3つを挙げています(民法904の2)。1)被相続人の商売を手伝うなど労働力を提供するか、お金などの財産を提供した場合 2)被相続人の療養や看護をした場合 3)その他の方法により被相続人の財産の維持、増加について特別の寄与をした場合

← 嫁が介護した場合、いくら姑舅に尽くしても遺産の分け前がなく、お世話もお見舞いもしなかった実子に渡るという民法の矛盾を補うものだ。私の知っている事例では、その場合でさえ、(いれば)自分の子を味方につけておくという段取りだ。つまり、直系の孫に行く分を、家の中で、嫁なる人(母親)に後で子として渡すことができるからだ。介護がいかに大変だったかを、亡くなってかなり経っても繰り返すのは、お見舞い回数が足りなかった実子に遺産が行くのは不公平だという不満からくる、嫁の感情である。気持ちはわかるが、寄与分の考慮があれば、無関係の私に話すという愚は犯さなかったであろう。また、残念ながら、私はメモを取る癖が子ども時代からあり、電話の会話の要旨も家計簿か備忘録に記録してある。それを参照すると、嫁なる人の発言は、過去の記憶と照らし合わせて、客観的に見て事実関係に矛盾があることにも気づいている。

・遺産の評価額を算定後、相続人が集まって話し合う遺産分割協議を行います。相続人の間で合意ができれば、それに基づき、無事に財産が分配されます。話し合いがまとまらなければ、家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てることとなります。なお、遺言書があればそれに基づいて分配されます。

←このように麗々しく書かれているが、実際には一般家庭の場合、分割協議などあってないものである。「相続人の間で合意ができれば」とあるが、実際には、「あそこは進行性難病患者で、子どももいないしね」の一言で、全てが通ってしまう。孫資金で将来に賭けた方が有効な遺産の使い方だからと、打算的に即物的に考えるからだ。印鑑証明書も期間限定があるとはいえ、やり方によっては、コピーの使い回しも可能だったのであろう。私など、父から「ユーリのとこは大変だから、悪いようにはしない」と2008年に言われていたのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/201412124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)、その後の連絡を一切断ち切られてしまい、遺言書には何も書かれていないからという理由で、一銭も受け取っていないのだ。つまり、遺産相続とは、民法以前に、何もかも周囲の思惑で決まってしまうものである。

・故人は立派な家に住んでいて一見裕福な人のように見えていても、内情は火の車ということも往々にしてあります。確かに家は故人の名義ではあったが、家路のローンの返済がなく、それだけではなく、見栄を張るためにいろいろな金融機関から借金をしていたということもあります。遺言に「全ての財産を妻に相続させる」とあったとしても、相続をするかしないかは、妻が自分の意思で決めることができます。相続人となったことを自分が知ったときから3ヶ月以内となっています。この期間に家庭裁判所相続放棄申述書を提出しないと相続放棄はできないことになります。相続放棄をするとその相続人は、初めから相続人とならなかったとみなされ、相続権は次の順位の相続人に移っていきます。

←父の場合は、借金も愛人もないが、貯金はしっかりとあり、本来は何も問題の発生しなかった事例であった。しかし、周囲が(私に何も言わずに)勝手に決めてしまったのだ。私が繰り返したいのは、そこである。ご挨拶をしたのに都合よく十八年も疎遠にされて、あらぬ事実無根の噂みたいなもので、「あの人はああだから、こうに違いない」と痛くもない腹を探られ、ありもしない話で全てが進んでしまったのだ。
以前も書いたように、このブログは父も読んでいて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、読むように言われていた者達もいたのに、途中で勝手に止めてしまい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080831)、何事も私のせいにされて、事が進んでしまったのだ。
もちろん、ブログは何の証拠にもならないし、法的効力もない。所詮、私の主観に過ぎないと言ってしまえば、それまでである。それを充分に承知の上でなおかつ、如何ともし難く、腹立たしいことこの上ないのである。

(終)