ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

おかあさんの出番が来た!

ここまでの一連のブログを読み、内心ほくそ笑んだ人もいれば、急に不安に駆られたりした人もいれば、遠巻きに成り行きを見守る気になった人もいれば、突然、我が身を焦り出した人もいることだろう。かわいがっていた子(孫有り、職有り、遺産有り)によって自分の名が永遠に消されてしまう事態に驚いた人は、早速、エンディングノートに希望を書き込んでおこうと思ったかもしれない。(しかし、書いたからといって希望通りに実行してもらえる保証もないことに留意。私が思うに、これは核家族以前の話である。近く見積もっても、三世代前からの遺恨が底流で影響していることに加えて、文化的な新左翼思想の罠に引掛かったことが原因であろうか。それとも、単純に1970年代以降に生まれた者は、全体として、愚かで無知で恥知らずだということであろうか。)
主人と私の世代の場合、社会全体として張りがあり、努力すれば上向きになると素直に信じて頑張れた時代に生まれ育った。いつも活気と緊張感と競争感覚があったので、将来に向かって規則正しい努力を積み重ねることは、当然のことであった。
1993年以降、結婚式もジミ婚の勧めや海外挙式など、周囲を無視した勝手な新流行が喧伝されるようになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141116)。ジミ婚は見栄による虚礼廃止のようだが、考えてみよう。生まれてから育ててもらったことへの感謝の表れと独立の決意が結婚式だとすれば、勝手に若輩が節約してしまうのは、周囲に失礼だ。また、海外挙式は同伴できる人が限られてくる上、誰もが海外に憧れているはずがないので、これもまた軽薄な考えだと思う。第一、国籍もなく、住民票もなく、居住もしていない場所で、なぜ挙式するのか?何か隠したいことでも?
1997年以降は、新聞を読んでいてもたるんだ調子、テレビを見てもどこの素人が偉そうに、という雰囲気になってきたので、専門書以外に、もっともっと真面目に本を読まなければとんでもないことになる、と思った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091125)。
「今までが大変だったのだから、もうこれからはのんびり過ごしなさい」などとお説教を垂れる人も周囲にはいるが、私の場合、これからが本番だ。
邪魔しないでくださ〜い!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151010

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/1654868.html


「老後の家計簿」
井本 省吾


・2010年に公開された映画「武士の家計簿」(森田芳光監督)。加賀藩の下級藩士で御算用者(会計処理の役人)を務めた猪山家の生活と、その背景にある加賀藩の営み、幕末から明治維新にかけての歴史的変遷を描いた時代劇。
・主テーマの1つが、借財が大きくなった猪山家の債務整理だ。家財の大半を売り払ったり、質入れしたりしたうえで、収入、支払いを入払帳にきめ細かくつけて行く。
・日々の食事も一挙に質素になり、祝いの席でもタイなどの高級魚はあきらめ、安価な魚を買い、料理で味を工夫する。
・厳しい倹約生活なのに、どこかほのぼのと明るさがあり、清潔感が漂うのは、下級武士とはいえ、そろばんの才能を買われて、多少なりとも出世し、少しずつ収入がふえるからだろう。
・それ以上に大きいのは彼らの生活が分限をわきまえ質素倹約を受け入れる律儀な姿勢に貫かれているからだと思われる。
・長年、質素倹約に努めて結果、猪山家は借金完済を果たす。その束の間、母は死の床につく。
・2か月で8万部を売り上げた「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(朝日新聞出版)の著者、藤田孝典氏へのインタビュー記事がNBオンラインに掲載。
・題して「『高齢者の貧困率9割』時代へ 老後は誰しも転落の淵を歩く」。
・1980−90年代前半のバブル期に現役として年収1000万円前後稼いでいた定年者でも、病気や介護、認知症、子供が独立せずに家に居つくといった事態に陥ると、一気に生活は苦しくなる。
・いま40代前半に当たる団塊ジュニアは4割程度が非正規社員・従業員平均年収は200万〜400万円が中心で、この水準だと定年後の年金受給額は月額8万〜10万円生活保護を受給すべき最低ラインに掛かります。
・多くの人が老後、貧困の危機に直面する公算大、というわけだ。
・最大の原因は少子高齢化にある。老人の比率が少なく、人生50−60年で定年後5−10年たつと他界したころは、現役の働き手が彼らを養うことができた。
・人生80−90年へと寿命が延び、定年後の生活が20年以上にもなれば、高齢者比率が大きくなりすぎて、とても養えるものではない。
・老人自らが年金に見合って生活できるよう、「武士の家計簿」のように、質素倹約の生活に転換するしかない。藤田氏は語る。
・(貧困化を避けるには老後の病気や介護、認知症などの不測の事態の発生をもにらんで)早い時期に生活スタイルの“ダウンサイジング”を決断することです。年金の受給水準で生活するには、どうすればいいのか。50代できちんと考え、実行することです。
・「内外の旅行が好きだったのに費用が捻出できない」というのなら、歩いて日帰りの山歩きや近隣町村の名所旧跡を訪ねる、という方法もある。工夫次第でカネのかからない楽しみはたくさん見出せる。
・60−70代ではできることは限られるようだが、どっこい働いている人はたくさんいる
・大事なのは、好きなことをして収入を得られるようにすることだ。好きなことなら収入が少なくても不満は少ない。その範囲内で生活しようと思えるはずだ。
どんな境遇でも楽しんで生活する、という当たり前の結論になる。

(部分抜粋引用終)
この『武士の家計簿』は2011年1月31日付ツィッターにあるが、本の裏表紙には、町内の駅前の本屋さんで購入したことが記してある。(メモ魔の習慣は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120224)、当座も将来に及んでも、自分を支えるために非常に役立つ。実のところ、それほど自分の記憶力に自信がないから書き込んでいるだけなのだが。この習慣も、実は主人の田舎のおじいちゃんや伯父さん達とそっくりなのだという(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)。)
著者の磯田道史氏は次のように書く。

「死者は雄弁である。問いかければ死せる者は語ってくれる。」
「大きな社会変動のある時代には、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の死活をわける。かつて家柄を誇った士族たちの多くは、過去をなつかしみ、現状に不平をいい、そして将来を不安がった。彼らに未来はきていない。」
「自分の現行をなげき、社会に役立つ技術を身に付けようとした士族には、未来がきた。」
「恐れず、まっとうなことをすれば、よいのである.....。」
(p.218

これまで綴ってきたように、家計簿をこまこまつけているので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100303)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101025)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150524)、概ね、上記に沿った暮らしをしてきたとは言えよう。
今、本屋さんに立ち寄ると、経済絡みの人を煽り立てるような雑誌や本が目につく。しかし、自分は進歩派で時代についていっているとばかりに、便乗するのはいただけない。
やはり、迷った時は伝統に従う方が、無難であり、後悔が少ない。特に、マルクス主義系の出版物には、英語でも日本語でも「新」が頻出していることに注目を。不安に駆られると、ついそちらに惹かれてしまうが、足下をよく見て、分をわきまえ、余裕を見て人生を歩む心がけを繰り返し思い出すことである。
この頃、主人の母は80代にして急激に株価上昇中である。これまで、戦後の一つの風潮に引きずられ、あまりにも引っ込み過ぎ、遠慮し過ぎていたのだ。でも、これからは経験と実績が物を言う。真の育ちの良さとは、人生の不測の事態の時に現れる。
おかあさん、出番ですよ!