ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

カトリック教会の左傾化

昨日の続きテーマを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)。
正直なところ、ベネディクト16世が退位されて以来、カトリック教会にもヴァチカン動向にも興味が失せてしまった。フランシスコ教皇は、「信徒達が早く離婚手続きができるように」急がせたりするなど、さすがは南米の「開放の教会」もとい「解放の神学」を実践されてきたからなのか、威厳や威信が低下し、何だか変な方向の話が多い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141025)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150102)。

(http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/savebox/sawada-fukken.html)


「カトリシズム荒廃の教訓 聖なるものの復権のために」
澤田昭夫
「魂の救済」から「社会奉仕団体」へ


・一九九○年で創立九十周年を迎える雙葉八千余名の同窓生の心に焼き付いてきたのは、修院学校の独特な厳しくも温かい雰囲気である。清貧(無一物)、貞潔(独身)、(長上への)従順という三つの修道誓願を立て、修道院祈りの共同体に属しながら、教壇と校庭で四六時中、生徒と生活を共にする修道女。修道院と学校という、この組み合わせが、他に見られない独特な人間教育の場を形成していた。床に片膝をつき、雑巾で便所掃除をするイタリア人修道女の姿に感動したのがきっかけで、自分も修道女になった日本人もいる


・父兄や同窓生は学校にいけばいつも昔の恩師に会えるし、実際彼らは高齢の修道女を訪ねては人生問題の万般について相談にのって貰ってきた。


・戦前からの、いわば修学共同体制には教育と生活、信仰と生活、礼拝(カトリックでは「典礼」)と生活、聖と俗とを触合した独特な教育環境があった。


・雙葉を経営するサン・モール(以下Mと略記)修道会の総本部で会憲が改定されたこと、その裏には現代社会の要求に応えてカトリック教会自体が第二バチカン公会議以来、「刷新され」「開かれた」教会になったことがある。


・修院がなくなったら、母校は何の特色もない普通の受験校になってしまうに違いないことに気付き、夏から秋にかけて情宣活動を展開しはじめた。


・分離推進論者の幹部シスターたちの本音は、高齢者の世話がしんどい、そしてとにかく修道院という聖域から俗界にとび出して「解放」と「自由」を体験してみたいというあたりらしいこと (彼女らは西之谷と山手の高級住宅で高価な「貧しい生活」をするようになった)。


・一ミッション・スクールの修(道)院解体の話を長々と紹介したのは他でもない、これが決して一カトリック修道院内の小さなモメ事ではなく、現代世界そして特にまた今日の日本文化の精神的荒廃と深く関わっていると考えられるからである。


・世俗的な「解放」とか「自由」のスローガンに踊らされた結果、八億の信徒を擁すると誇っていたカトリック教会は、全世界のほうぼうで荒廃、衰退のしるしを見せ始めた。


・スペイン人イエズス会士のA.ニコラス神父だった。魂の永遠の救いよりも現世的解放を大切にする、いわゆる解放神学の日本での指導者のひとりである。


・エルサルバドール人の解放神学者で『教会と貧者』の著者ソブリーノJ.Sobrinoやニュージーランド反体制、反抗運動の人類学者アーバックルG.Arbuckleの『混沌の中から─修道会の建て直し』Out of Chaos.Refounding Religious Congregations(一九八八)という新左翼的行動主義的社会分析を引用


・新しいことはよく、古いことは悪い、「将来しかない、過去は無意味」。


・修道女の「あるべき姿」とは、修院を出て街中の貧しい人々の間で暮らすことである。「だいじなのは外に出ること」。現実を理解して、「刷新」のプロセスに参加するには、保護された聖域からとび出し、社会からはみ出した「貧しい人」の中に入ること。


・「一番聖なるものは聖杯(聖餐式でキリストの御血となるブドウ酒を容れる)ではなく貧しい人」という主張


アメリカで修道女たちに説教して彼女たちを混乱させ、多くの修道会を消滅させたのは男性の神学者、特にイエズス会の政治的扇動家であったことを思い出した。


・日本のNICEは「福音宣教推進全国会議」(奇妙な英訳でNational Initiative Convention for Evangelisation。やたらに略語の好きなフィリピン人の考えそうな名称)のこと。第二バチカン公会議(一九六二年)の目ざした、「開かれた教会」、そのための「刷新」という目標をわが国で実現するために、日本カトリック司教団が一九八四年に呼びかけて作った組織である。


・「俗」を聖化するよりも、「聖」を俗化する方向に向けて教会を革命的に変革する役割を果した。新しい、手づくりの、日本的教会、日本の社会に適合した、教義や掟は気にしない、個人的社会体験中心の教会、権威構造を見直した小グループ、基礎共同体中心の民主的教会、企業の論理に抵抗して「貧しい人」、「小さい人」の側に立つ教会を目指してすべてを「刷新」する。要するに「開かれた教会」とは、民主化、世俗化、社会主義された社会変革機関を意味するのではなかろうか、と首をかしげたくなるような傾向が顕著になった。


・聖なるものの否定としての「開かれた教会」を最もドラマチックに示したのは、十一月二十三日、河原町大聖堂の地下聖堂であげられた若者たちのフォーク・ミサである。ミサというのは、本来、キリストの十字架上の死のいけにえを先取りした最後の晩餐の現在化といわれる。最後の晩餐のキリストの言葉を司祭が唱えることによってバンとブドウ酒は、形はバンとブドウ酒だが実体はキリストの肉と血に変化するという。司祭はキリストから与えられた権能によって聖変化した聖体を信徒に授ける。この聖体がキリスト者にとって最高の霊的糧となる。ユダヤ教過越の祭りとも連続するこのミサ聖祭は、したがって最も神聖にして荘厳なる儀式であるはずだが、NICEの若者たちは、当日の司式者、名古屋の相馬司教、東京の森補佐司教、札幌の地主司教らとともにこれを手づくりのイベントにすりかえてしまった。


・祈りや信心、礼拝よりも世俗界とのかかわりに忙しくて自分の独房にいることが少なくなった修道女たちの生活を描いたのは曾野綾子の小説『不在の部屋』である。文庫本(文春文庫)のカバーにはこう書かれている。「一九六二年の第二バティカン公会議以来、修道会は改革された。戒律が民主化されれば規律も秩序も乱れる。修道院はいつの間にか、生活と身分を保証された優雅で怠惰な女ばかりの下宿屋のようになってしまった」。


・改革ではなく革命的変革を試みる勢力が全世界に広がったことが、今日の諸悪の根元なのである。


カトリック教会を崩壊させるための最も有効な方法は、その典礼、礼拝、ミサ聖祭を非神聖化し、俗化し、それらへの畏敬の念を失わせることである。ミサ中、聖変化の際もひざまずかず、コーヒー・カップを片手に座って眺めていても注意されない教会、子供たちを楽しませるためにミサの最中に道化師を繰り込ませて祭壇の周りで踊りこけさせたり、カレー・ライスとワインのどんちゃん騒ぎにすりかえたりマクドナルドの制服を着用した女の子に聖体を授与させる教会など、聖祭非神聖化の例は枚挙にいとまがない。


・NICEは、正しい意味での改革の流れと、教会の根本的崩壊につらなる革命的変革の流れとの交錯点で、もみくちゃにされているのである。因みにNICEは、著名な英文学者C.S.ルイス(Lewis)の小説『あのいやらしい力』(That Hideous Strength)のなかでは、地上の楽園づくりを日ざす全体主義社会統制センターの名称「国立実験連繋研究機構」(National Institute of Coordinated Experiments)のことである。


・一九七六年の十月二十一日から三日間、デトロイトの大会議センター、コボ・ホール Cobo Holl では、NICEのオリジナル版ともいうべき「行動への招き」(Call to Action)と称するアメリカ・カトリック教会の全団大会が開かれていた。大ドームには、全米から選ばれた千三百四十人の代議員と千百人のオブザーバーとが一堂に会し、アメリカ建国二百年祝典にあわせて、アメリカの教会の「刷新」と「変革的改革」(Transformation Reform)を、論じた。


・新人類的進歩的神父たちと、「解放」されてパンタロン・スーツを着たようなかまびすしい修道女たち、それに反体制の俗人インテリだった。彼らはすでに六〇年代後半から司教達と一般信徒との間にくいこんで、教会を乗っ取っていた。そして彼らのなかのプロのマネージャーがすべてを巧妙に操っていた。


・マルクシストの無神論ヒューマニストとして著名な故ソール・アリンスキー(Saul.D.Alinsky)の『過激派の規則』(Rules for Radicals)などに沿ってなされていた。


・人民主義の原則で地方の草の根「司牧評議会」を中心に下から組織し直し、制度的教会から大衆運動団体に変質せよ。貧困や社会悪など諸悪の根源は企業の論理にあると知り、自ら加害者意識をもって体制に抵抗せよ。目標は人間化された社会主義ユートピア作り正義、平和、尊厳、開かれた教会、刷新、真実の自己実現──。


・ワシントン(Washington D.C.)にある強力な進歩的カトリック圧力団体でイエズス会系の「センター・オブ・コンサーン」(Center of Concern)(邦訳では「意識化促進センター」)である。このセンターの指導者であるイエズス会士ヘンリオット(Henriott)神父は、ソビエト外交政策は防衛中心で、共産圏にも人権抑圧はあるが、それは共産主義特有のものでほなく、自由諸国にも同様に見られると主張するような社会主義の煽動家。もうひとりの指導者ホランド(John Holland)はアジェンデ政権下のチリで働いていた元神父で、キリスト教的マルクシズムの推進者。


キリスト教的マルクシズムのパンフレットは『社会分析』(Social Analysis)として邦訳され、日本カトリック正義と平和協議会会長相馬司教の序文をつけて女子パウロから発行され、カトリックプロテスタントの両教会でかくれたベストセラーになっている。訳者のひとりのイエズス会土山田経三神父は、かつてセンター・オブ・コンサーンで学び、現在はその姉妹組織ともいうべきイエズス会社会司牧センター(Jesuit Social Center)の指導的人物として、三人のスペイン人イエズス会アンドレース(Andres)(日本帰化名安藤勇)、マシア(Juan Macia)、ニコラス(Adolfo Nicolas)(雙葉の修学分離の理論的指導者)とともに解放の神学の普及に努めている。


・この社会司牧センターの事務所は、東京・新宿の河田町にある。三里塚、川鉄公害、スパイ防止法、フィリピンの日本企業などの問題で、社会司牧センターの見解は日本共産党新宿地区委員会と、地理的にだけではなくイデオロギー的にも近い。


・一九八七年四月に社会司牧センターが出した報告書『手づくりの共同体をめざして』は、世界教会の伝統を離れて、日本独自の、貧しい人中心の、南米の教会小グループ(基礎共同体)に似た教会づくり提案している。


・いかにネオ・マルクシズム的イデオロギーに根ざしているか


・社会義的傾向の強い政治集会であったから、イエズス会士のミチェリ(P.Miceli)神父は、それを「教会革命への呼びかけ(Call to Revolution)」会議と名付けた。伝統をすべて否定し、闘争体験の積み重ね過程を神の啓示とみるような変革は、革命と呼はざるを得ない。因みにミチェリは、アメリカの教会の世俗化、政治化傾向に抵抗するため、一九七五年に「カトリック聖職者友愛会」(Confraternity of Catholic Clergy)を創立した。ミチェリ自身は政治的闘争家ではないから、友愛会はローマに忠実で、神学と正統信仰の防衛に尽す聖なる司祭の育成を目ざした組織である。


デトロイトのNICEは教会革命大会だったから、その三日間は狂乱の三日間だった。教会の会議というよりも、民主党共和党の党大会なみの集会だった。京都のNICEより遙かに祈りとは縁遠い、泥まみれの世俗的会合が一九七六年のデトロイトだった。


貧しい者のための社会闘争、教会権力構造の否定など、ニコラスその他の闘士が依存する精神的故郷はヨーロッパにあった。


一九六六年の十一月にオランダのノルトワイカーハウト(Noordwijkerhout)で開かれた全国司牧会議は、デトロイトよりも規模において大きく、影響においてさらに深刻である。


・オランダのNICEは六六年から七〇年十一月まで、途中中断しながら足かけ四年間にわたって開かれ、第三世界の開発、倫理問題、信仰生活、修道制、宣教とエキュメニズムキリスト教会合同一致運動)などの問題を根本的に見直す作業を行なった。


・オランダの教会はすでに一九五〇年代から「開かれた教会」を目ざしており、六二年にバティカン会議が始まると、いっそう「世界に開かれた」「新しい」教会の実現を促進する傾向が強まった。典礼、教理教育、司牧(牧会)において多様な実験が、ローマの指示などお構いなしに自由に始められた。


・「開かれた教会」の旗じるしのもとで国際情勢を研究するようになった。国民の間に広く普及していたカトリックのマスコミも「新しい教会」「新しい神学」を標榜するように。


・一九六六年には有名な『オランダ教理問答』が出版された。人間主義的、楽観主義的なこの教理問答は、ミサをいけにえよりも人間的共同会食ととらえ、真理や教義にかわって感情や体験を強調した。


・スヒレベーク(E.Schillebeeckx)やキュンク(H.Küng)などが発展させた新しい信仰観の中心になるのは、体験と感情である。真理とは教会の権威を媒介に与えられ、伝えられてきたものではなく、世俗世界での奉仕のなかでひとりひとりの人間が体験するもの、とされる。


・正統教義(orthodoxy)が何かというのは、このような信仰観では大切でなくなり、それよりも大切なのは正しい実践(orthopraxis)ということになる。社会のための奉仕活動、教会共同体を世俗社会に近づける活動こそが信仰であり、啓示である、ということになるのだ。


・「刷新」され、「開かれた教会」は急速に味を失い魅力を失い出した。司牧会議の最終答申を読んだプロテスタントのブロンクホルスト(Bronkhorst)教授は、その答申の神学的な浅薄さにあきれはてて、まるでサッカー・クラブの規約からの抜萃のようだと評した。


・教会でのミサの参加率が、一九六〇年の七五パーセントから一九七七年の二十パーセントに低下したのも不思議ではない。四千三百人の修道女、修道士が退会し、二千人の司祭が還俗したというが、これも不思議ではない。


アムステルダムでは、市内十八のカトリック教会が今後七年間に閉鎖される予定だという。その大部分は取りこわされる。


・「教会に人が寄りつかなくなったのは神父のミサの立て方のためです。もし典礼がバティカンの指示通りに、深く霊的なし方でとり行なわれていたら、人々は必ずやってきます」。信仰の神秘的次元が忘れられたときに、教会は魅力を失う。霊的活力がなくなるから魅力もなくなるのである


デトロイトでは市の百七の教会のうち、間もなく四十二が閉鎖されるという。フランスでは中世初期ロマネスク様式の教会がレストラン、ガレージ、体育館になっている。ナント(Nantes)では十七世紀のサン・ヴァンサン(St.Vincent)教会がレストランに、バリ北のサンリ(Senlis)の町のサン・テニヤン(St.Aignan)教会が映画館、そしてその後文化センターになった。「開かれた教会」の行末はこれである。


・貧しいものへの社会奉仕に重点を置くように会憲を改正した。修院学校で教えるよりも貧民街や第三世界で社会奉仕に従事させたい。


過去を無定見に否定してただ未来のビジョンを漠然と夢見るような修道会に若者は魅力を感じない。


アメリカでは一九六六年から七六年の間に約五万人の修道会退会者があった。そして多くの修道会では新しい入会者がほとんどない。そのひとつの大きな理由は、少数の頑迷な冒険主義者が修道生活の由緒ある規律を破壊したことにある。


ミルウォーキー(Milwaukee)の伝統あるドイツ系修道会に聖フランシス教育修道女会(The School Sisters of St.Francis)があった。三千人の修道女を擁して中西部からニューヨーク、コスタリカにまで及ぶ大教育修道会だった。一九六六年の総会で総長に選ばれたシスター・フランシス・ボルジア(Sister Francis Borgia)は「バティカン会議の精神」をかたって、新しい冒険主義の実験を始めた。話しあいの小グループが組織され、〔院長──臣下〕の古い関係は廃され、個人が最高の権威になった。ベトナム反戦運動の闘士であるイエズス会のベリガン(Berrigan)神父を招いて「革命の世界」という講演をして貰った。規律がなくなり、すべて個人の自由になるにつれ、今まで見られなかった憎悪感情が共同体を分断するようになった。


・共同生活を捨てて個人主義自由主義の極端に走った聖フランシス教育修道女会にはローマからの査察官が送られ、祈りを忘れた世俗化、共同体内部の分裂、制服の廃止と贅沢な私服の着用、学校教育職の放棄、ローマへの不服従、修道会長上への不従順、不安定な一時入会制、高齢者のめんどう見の欠如、以上八点についての警告文が総長に渡されたが、シスター・ボルジアはそれを無視して冒険路線を追求し続けた。


・一九六六年から七六年までの十年間で聖フランシス学校修道会の会員は三分の一に減少した。


アメリカ人修道女が「完全な愛徳連盟」(Consortium Perfectae Caritatis)を結成したのは一九七一年のことだった。


・「誤った自由主義神学が日本の修道女共同体の間に浸透し始めている、と聞くのはまことに悲しい。合衆国で私たちは、過去三十年にわたり、愚かな実験のためにまさに悪夢を体験しました。ある修道会ほ[ママ]完全に消滅しました。内部分裂した修道会もあります。ある修道会では一部の修道女が脱会して、会を建て直しました。どうか、こういう断末魔の苦しみを日本のよき修道女たちが味わわないですませるようにしてあげて下さい」(シスター・エリーゼ(Elise))


・若者を引きつける修道会の特徴は次の六つだという。
一、祈りを大切にし、伝統的規律を守る
二、内的統一があり、分裂していない
三、修道服を召命の見える証として着用している。
四、信仰教義と教会の正当な権威への服従を示している。
五、修道生括についての健全な神学的理解がある。
六、世俗的職業的野心を持たず、本来の修道生活に専心する。


北米大陸で最も盛んだといわれる教会が、トロント市西南の貧民街パークデール(Parkdale)にある。オラトリオ会の修道院付属の聖家族教会(Holy Family Church)である。ここの教会には貧しい移住労働者、学生、教授、サラリーマンと、あらゆる階層の人々がくる。誰もが、ここでは他で得られなくなった霊的活力、聖なるものとの接触を体験できると感じているからである。


・毎日曜日の荘厳ミサはどこの国籍の人もわかる共通語ラテン語グレゴリオ聖歌「ミサ・デ・アンジェリス」(Missa de Angelis)が共唱される。


・物質的に豊かな彼らにはそれなりに多くの心の悩みがある。


・人々の霊的ニーズは積り積って増大しているから、オラトリオ会の教会は満杯になるのである。


・オラトリオ会というのは、十六世紀のローマでフィリッポ・ネリ(Filippo Neri)という人が作った、割に自由な、司祭の修道グループである。司祭の修道会ではあるが、俗人をも対象に、祈りと秘跡典礼生活を強調する。典礼音楽の強調から生まれたのがいわゆるオラトリオという音楽のジャンルである。オラトリオ会の究極目標は音楽、学問、そして万事を通して聖性を涵養するという、これまた他では容易に見られなくなった目標である。


・近代日本カトリック史上最大の使徒的学者神父といえる、岩下壮一によって日本にもたらされた。今日でも輝きを失っていない名著『信仰の遺産』(岩波書店、一九八二年第五版)の著者岩下は、一九三五年私財を投じて東京信濃町駅前に聖フィリッポ寮と称する学生向きの知的、霊的センターを作った。これが今日もそこにある真生会館の前身である。ただし、真生会館はこの約二十年来、解放神学の一拠点になっている。


解放神学は、よく考えて見れば二つの意味で隷属哲学であるといえる。第一に、それは人を俗なるものに拘束して聖なるものへの志向を妨げるからである。貧しい者のためと称して、同じミサでも、なるべくみじめでうす汚い居間のテーブルで、よごれたなりをして、ありあわせの皿や茶碗で捧げるのが解放神学のやり方である。これは、次第に聖なるものの尊さとそれへの畏敬を忘れさせる、非神聖化の手段であり、瀆聖であると同時に貧しい者への侮辱でもあろう。


解放神学は個人的罪を否定し、罪としては社会的罪すなわち資本主義(そして天皇制)しか認めず、赦しと救いは社会主義にしか認めない。神による救いの道は閉ざされるわけである。


・第二に、彼らの信奉する社会主義は貧困の解決を不可能にするものであり、現に社会主義で貧困が解決された例は皆無なのだから、解放神学は極めて無責任な、貧困恒久化の隷属哲学なのである。宗教者が無責任なしかたで貧困問題にかかわって、自分と他人の眼を天に向けることを妨げているのを見ると「貧困は宗教の阿片である」といいたくなるてはないか[ママ]。


・人間を越える偉大な、聖なるものへの道を開いている限り、全体主義的民主主義は生まれてこない。その道を閉ざしたとたん、人は自力で社会を自由に操縦できると思い上る。


・日本を含めた先進工業国の中でオカルトや悪魔崇拝が燎原の火のごとく広まりつつあるが、これは聖なるものの変態形での復権要求といえる。


天皇制への愚かな攻撃を始めた日本のカトリック教会についても十年おくれで言えるだろう。


・伝承を犠牲にした刷新を推進する日本の「開かれた教会」は、俗なるものと左翼には開かれながら、聖なるものと中道には閉ざされた教会になりつつある。少数の左翼教会テクノクラートの影響の下におかれた司教会議や多くのカトリック出版物諸組織は、その左傾化のテンポを早めつつある。このような世俗化、左傾化という意味での日本の教会の荒廃は、日本の教会が良識ある国民多数から孤立すること、そして今日本が必要としている真の精神的復興、魂の文化への目ざめの中で教会が果すべき役割を自ら放棄することを意味する。


・いつの時代でも世を変革するのは聖人であって、政治家まがいの聖職者や聖職者まがいの革命的ジャーナリストではない。


カトリック者としてローマに中心を置く教会に忠誠を誓うことは、天皇制をはじめとする日本の先祖伝来の良風美俗や伝統的制度をただ否定することではなく、福音の幹に日本文化の善き枝を接ぎ木することである。


澤田昭夫著『革新的保守主義のすすめ─進歩史観の終焉PHPより

(部分引用終)

C.S.ルイス」に関しては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)を参照のこと。
「アリンスキー」については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140610)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20141026)に言及がある。
「マシア」については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110516)を。
「真生会館」については、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110329)。
もう少し一般向けの別ブログ記載によると、上記テーマは以下のように描写される。

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20090122/1232557823


・日本のカトリック中央協議会の公式に発表する文書が新左翼な色が濃くなり、新左翼的な政治的スタンスにバックアップされた活動団体の名前がカトリック教会内で眼に触れることも多くなってきた。


・若い頃、馴染んでいたカトリック教会と異なる、俗っぽいような騒々しさが蔓延するようになった。とはいえ、共同体が左傾化したわけではなく、相変わらず、聖職者にも信徒にも左派も右派もいる。ただ中央にいて言論を吐く司教や団体が目立つ為に、かき回されているという印象である。


・まぁ新左翼思想成分率はかなり高い。しかし人権問題を考える場において新左派思想の人々が集まるのは自然ではある。また活動上、扱うものの性質が性質なだけに、教会外の団体と協力する場合、どうしても新左翼思想団体と関わることも多いだろう。


・ただ、多くの日本人が過去の左翼過激派の活動体験から、「左翼によるオルグ」を懸念するのも無理はない。


労働組合を完全にオルグし、異なる思想の持ち主の社員を糾弾する、退職に追いやる等、なかなかすごい話が載っている。JR東日本は完全に革マル派に掌握されたという記事を載せた文春


正平協そのものが左翼政治集団というよりは、現時点で左翼団体に利用されている


司教自らが行脚する「九条の会の活動などはまさにそれである。


・よく聞く言葉が「司教様を批判するなんて」とか「司教様の仰ることに従わないなんて」というシロモノである。そんな第二バチカン公会議前のような発想がまだ信徒には存在していたりするのには困ったものだ。


・ここ十数年の間に左翼思想でないとクリスチャンではないというような雰囲気が蔓延するようになりました。大阪教区の社会活動委員会がシナピスに洗脳され、知らず知らずのウチに左翼思想を植えつけられ、何も知らないでただの平和運動と思って左翼活動をやらされる羽目になっていってます。


・はっきり言って「解放の神学」がわざしてるのではないでしょうか?


・それとグローバルスタンダードはリベラルである。リベラルは左翼であると信じ込んでる進歩的文化人と称するドアホが多すぎるのではないかと思うのです。

(部分引用終)
キリスト教カトリック教会の文脈を離れたところで、左翼思想の持つ不穏な影響については、池内恵氏が以下のように書いていらっしゃる。

http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-298.html


週刊エコノミスト』の読書日記(10)不寛容への寛容はあるのかーーキムリッカ『多文化時代の市民権』を読み直す
2015/04/02


フランスの「現代思想家」の、少なくともそれまで知識人の間の流行の先端にいた人たちが、国力の低下とともに(あるいはマルクス主義の失墜とともに)、世界を主導する責任感を失っていった(要するにスネちゃった)ことと対照的だ。フランスの知識人は普遍主義を掲げながら、反米なら非リベラルな思想も造反有理で歓迎、という方向にしばしば流れてしまう。世界に普遍的に出てくるアンチ・グローバリズムの尻馬に乗ってそこで指導性を発揮しようとするという意味での「普遍性」にしばしば堕している。英米が支える「欧米」の優位な地位にはただ乗りしながら、「反米」で第三世界にもウケようとするところがなんとも嫌な感じである。まあそういうところがイスラーム主義過激派などからも見透かされて、今やアメリカ以上に敵にされてしまっているわけだが・・・

(部分引用終)
末尾の一箇所が同意し難いが、概ねそんなところだろうか、と思う。何と言っても、フランス革命の国ですからね。抽象的な思考を得意とするフランス知識人ですからね。
そうすると、ジル・ケペルはどうなるんですか、池内先生?(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150320