いぶし銀のように
私が若い頃から一貫して取っている態度は、理解しない、理解したくない、理解できない外国人に無理に日本を理解してもらおうとは思っていないということ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131211)。好きでもなく、理解能力のない人に押しつける気は毛頭ない。そんな暇があったら、少しでも自分の方が相手についての勉強に専念するに限る。
ただし、誤解だけははっきりと正す必要があるとは思っている。残念ながら、アジア系の人々は、確かに個人としては才覚があるものの、自分達の国が日本以上に成功しているとは言い難い面があるためなのか、殊更に日本人に対して失礼なことを平気で言ってくることが、少なくはなかったと思う。私の屈折した心理は、長年、それに影響されてしまったからなのかもしれない。ビルマ人やジャワ人などは、日本文化に似た面を持っているためか、奥ゆかしくて、それほど失礼とは思わなかったが、全体として、マレーシアにしろ、シンガポールにしろ、これまでの経験からすると、どうも浅薄で一時的かつ表面的な日本人との接触や大衆文化だけで勝手に判断し、それに応じて行動し、自分達を優位に置こうとする態度が目についた。
例えば、親戚が日本に住んでいるとか、日本語が話せるとか、日本を旅行したことがあるという部分だけで、親しげに近づいてくる場合もある。申し訳ないが、それだけでは全く不充分だ。どうして日本人がそのように行動するのか、その文化原理をじっくりと研究しようとか追求しようとか、そのような方向になかなか向かわない。だから、こちらも早々にあきらめて、「じゃ、距離を置きましょう。私はリサーチ目的で滞在しているのですから」ということになる。それこそが平和共存の知恵だ。
昨日、突然のように思い立って、京都御所と銀閣寺に行ってみた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140514)。そして、もちろん面会に行ったわけではないが、案の定、ネタニヤフ氏ご夫妻が京都迎賓館でお濃茶を振る舞われて、御所から去られるタイミングと実にうまく遭遇したのだった。あ、と直感したのだが、後で調べてみたら、時間が見事に一致していた。無事に帰国されるまで秘密にしておこうと思うが、セキュリティ法として、東京とは異なって、京都もなかなか賢い工夫を採用したものだと、ちょっとだけうれしくなった。そして、一見無防備にも見える京都御所の開放性が、実は日本古来の歴史観に根付き、人々の間に自然に浸透しているのだということを、改めて確認する時となった。なんせ、関西では「あのな、天皇さんがお言葉述べてはるんや」と、仰々しい敬語なしに子どもに諭すほど(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120311)、自然に人々に浸透している。しかも、私の住む小さな町には、歴代天皇三代が別荘として愛されたという由緒ある神宮がある。それ故、勝手な思い込みでしかないが、今回、ネタニヤフ氏の表情が、日本滞在中、珍しくにこやかで柔和に見えたのは、恐らくは日本文化に対するイスラエル大使館側の事前ブリーフィングの秀逸さにもよるところが大きいであろうが、伝統的な日本に対する一種の思い入れの現れでもあるのではないか、と密かに思っている。
そういうことを、左派や昨今とみに増えたアジア系の観光客は、どこまで理解しようとしているだろうか?
4月の二週間のアメリカ滞在と、その後の五日間の東北旅行を含めてずっと考え続けている。急に御所と銀閣寺に行きたくなったのは、それを内実化させ、具体的に考えたかったからだ。
本来ならば、この時期、大量に持ち帰った資料の整理やら東北土産を添えたお礼状に専念すべきなのであろうが、ビジネスライクに済ませるには、あまりにもアメリカでの経験が私にとって重く深く印象的で、なかなか気持ちの整理がつかないからでもある。そこへ、ネタニヤフ氏ご夫妻が、遙々イスラエルから公式訪問された。天皇皇后両陛下との一時間に及ぶご懇談と、その後、日を改めての京都御所へのご訪問を思うと、自分のこれからの歩みや方向性をじっくりと考え直すには、絶好のチャンスだと思ったのだ。
具体的には、日本とイスラエルの関係、日本人とユダヤ人の関係だ。それを多方面から明に暗に強力に支え続け、影響を及ぼしてきたのが、アメリカのユダヤ系共同体だ。そして、何とこの平々凡々の私までもが、過去二年間のいわば準備期間を経て、この度、具体的に形をとって意識の明確化という機会に恵まれた。若い頃からネタニヤフ氏と直々に深く鋭く関わってきた人との公的私的関係が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)、これではっきりしたのだ。こんな僥倖は、人生の中でめったとあることではない。そして、一介の日本人としてであっても、ゆめ軽々しく取り扱ってよい人間関係ではない。(「コメント欄」の『京都新聞』報道を参照のこと。)
一時間十五分ほど、広々とした御所の敷地を歩き回り、これまで知らなかった所へも足を踏み入れ、解説に目を通し、写真を撮り、思いを巡らしていた。東京遷都の後数年、しばらくは荒廃していた御所だったらしいが、見事に上からのお声で整備が進み、今では一般開放の地となっている。高い城壁が周囲を取り囲んでいるのでもなく、入るに際して、厳しいセキュリティ・チェックがあるわけでもない。御所敷地の周りを流れる小さな水路は、ゴミもなく、せいぜい落ち葉が少し浮かんでいる程度である。行事のない時期はまるで静かで、一般市民が思い思いに、犬猫を散歩させたり、写生をしたり、昼寝をしたり、安心しきって悠久の時空に身を任せている。これが日本の古都の中心だ。実に平和な光景だ。こういう場を意識せずに作り上げ、それを空気のように当たり前のことと思っているのが、我々日本人だ。その精神性をいち早く見抜き、高く評価してくださったのが、西洋の優れた日本研究者だった。そして、その工夫の中心に天皇制が存すると断言される学者が、実は少なくはない。イスラエルにも、そういう学者がいらっしゃる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)。
京都人の誇り高さ、静かな矜恃といったものは、そこにある。私のような部外人には到底入り込めない、入り込ませてもらえない境地だ。しかし、だからこそ、よその者として敬意を払いたく願うものである。
京都御所内の、小さなお宮さまや古い木造の小さな家屋について、外国人はどこまで理解を進めようとされるだろうか。これは、ほとんど当事者のセンスの問題である。
その後、地下鉄で京都駅に戻り、市バスで銀閣寺まで景色を眺めながら行くという、何とも贅沢な時間に浸った。金閣寺よりも銀閣寺の方が、子ども時代から好きだった。特に高校生の時から、古典や日本史の授業で「わび、さび、幽玄の美」について学ぶと、試験のための暗記勉強など打っちゃっておき、わけもわからず雰囲気そのものに自由に想い巡らしてぼんやりと浸る時間がとにかく好きだった。それこそが、日本人として生まれ育った日本人足る由縁なのだろう。暑くも寒くもなく、どんよりと曇り空だったのも、ちょうどよかった。そして、哲学の道から歩いて4時20分に銀閣寺に到着し、閉門時間の5時ちょうどに、外に出ることができた。
世界遺産に登録された時点で、正直なところ、世界中から人がより集まるようにはなったが、その価値の真髄も薄れてしまったように思われる。昔来た時の雰囲気と、建物は変わっていないのに、自分も周囲も、確かに何かが異なっている。日本の物だけを集中して見ていた高校生時代までとは違い、限られてはいるものの、外国で壮大な歴史的な建築物を見てしまった今では、木だけで作られた寺を静かに取り囲む樹木と水の織りなす遙かな空間といったもの、そこで一時、幽愁の時の流れに身を置いてみることから、一体、何を哲学的に思想的に深め、感じ取れるだろうか。
これを味わうためには、日本史全般の概観が基礎となり、前時代を理解した上で、その後の時代および現代とのコントラストが必須である。そして、銀閣寺を取り巻く古典文学の素養が不可欠である。これら全てを包括した上で、恐らくは意義が理解できるのであろう。自分に、どこまでそれができたか?また、今後できる日が来るだろうか?
というのは、非常に目立つ中国語や英語を話すアジア系観光客のマナーが、殊更に我々とは異なっていたからだ。触るべきではなく、少し離れて身動きもできず、遠慮がちに眺めている本国人の私をよそに、さっさと手で触り尽くしている人々。静寂を由とすべき銀閣寺で、大きな声で話し続ける人々。写真を撮るために、なかなか動こうとしない人々。それも、一言の挨拶も会釈もないままだ。まるで我が物顔に、これから作り替えていくべき自分の庭でもあるかのように、まるで天真爛漫だ。
だから、時間の制約もあり、一周したらさっさと出てきて、後日改めて来ましょう、という気になってしまったのもやむを得ない。
この「自分の国なのに自分の国じゃなくなっていく」という違和感、「自分の大切なものが削り取られていく」という感覚に似た経験は、昨年3月の靖国神社でもあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)。明らかに中国人らしき男性二人が、鋭い目つきをして、パール博士の像辺りや展示館を嫌そうに眺め、ひそひそと話していたのだった。日本語がかなり読めるからでもあろう、ことさらに嫌そうだった。もし、私が彼らの立場だったら、と想像してみよう。確かに、自分が国で注入されてきた思想教育とは異なる日本式の歴史解釈が展示されているのだから、快いはずはないであろう。しかし、マレーシアやシンガポールで日本軍がどれほどひどいことをしてきたか、という展示や教科書や新聞記事に遭遇した際、私はむしろ、直視したいと思った。自分の感情はさておき、何がともあれ、事実として知っておく必要があると思ったからである。そして、その後ゆっくりと資料で検証しつつ、相互の良好な関係へとつなげていきたかったのだ。
しかし、そのような一種柔軟な私の態度を、「優柔不断だ」「何を考えているかわからない」「御しやすい奴だ」「やっぱり日本人は皮膚の厚さだけの近代化だ」「論理性に欠ける」「情緒だけだ」と思う人がいたとしたら、よろしい、思わせておこう。あなたのその態度こそが、澱みの根源なのだ、と。
自分の属する国の歴史文化に無意識ながらも深く愛着を持ち、そこにいつでも帰って行けることが、どれほどまでに重要でありがたいことか。だからこそ、日本が調和志向で、安定した穏やかな社会を基調とするのだ。安定して信頼感が社会に満ちていれば、経済もうまく回り、自ずと発展していく。急に成金になるのではない。外交においても、一時の例外を除いて、基本的にあからさまな差違を設けない全方位外交を基軸とするのは、それが古代文化から綿綿と根付いている日本の伝統精神に依拠するところが大きいというのが、私なりの考えである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131216)。万葉集の編纂過程を見てみよ。7世紀末から8世紀末の作品であるが、その幅と調和を見よ。それが単なる古典ではなく、現在でも学び続けられ、読み継がれている文学であることを見よ。いくら理屈やイデオロギーで消滅を願おうとも、所詮、血肉化して受け継がれてきたものには、適わぬ夢なのだ。
いぶし銀のように、一つ一つの小さな気持ちを重ね塗りしつつ、時の変遷に流されず、繰り返し行きつ戻りつしていきたい。
最後に、ニューヨークでお招きに預かり、晴れて双方の家族公認の「友達」になった人(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)へのお土産を探していた三月中旬のエピソードを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)。京都の錦市場にある小さなお扇子屋さんで、昨日銀閣寺前のお土産物屋さんでも確認した、いわゆる「高級扇子」と呼ばれる細かな造りのお扇子だ。蜻蛉一羽をさりげなく下方に黒い墨であしらった竹細工である。奥様には、桜の花びらを一部に細かく散らしたものを。蜻蛉は「勝ち虫」と呼ばれ、古代文学にも登場し、武士達の意匠にも使われていたと教えられた。また、一年中通用するとも言われた。(後で調べると、エミール・ガレがジャポニズムの影響で、自分の作品にも蜻蛉を使っていたらしいと知った(https://www.google.co.jp/search?q=Dragonfly%2C+emile+galle%2C+japonism&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP558JP558&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=Y2p0U-fFJcfzlAW30YDwAg&ved=0CCgQsAQ&biw=1371&bih=680)。)そこで、知的闘士としての戦いの中で、中東情勢や政治動向で意気消沈したり悲嘆にくれたりした際、このお扇子が励ましになるように、そして、公職業でも私生活においても、勝利を約束する蜻蛉が、最終的にその実現を手助けしてくれるように、との願いを込めてお渡しした。
最初は、中を開けてすぐに「まだ暑くないけど、蒸し暑くなったら仰ぐのに使うよ」などと、よろず機能的なアメリカ人らしく、平気で伝えてきた。ところが、驚いた私が、ちょうど一ヶ月前のことになるメールで「いえいえ、それは暑さよけではなくて、飾り物なんです」と、由来と意味を説明すると、もちろん、その深い意味を喜ばれたのは言うまでもない。「ありがとね。置く場所を考えているよ。家族や友達にも説明するんだ」と、早速意気込んでいる様子だった。
その開けっぴろげな率直さがおもしろいとは思ったが、やはり人間、素直さが肝要である。話はお扇子屋さんに戻るが、どのお扇子にしようかと品定めしていた時、「あの、こう言っちゃ悪いですけど、アジア系の、ほら、特に中国の人達って、派手な色使いを高級だと思って買って行くんですよね。でも、それは、私達から見たら低い価値なんですよ。アメリカやヨーロッパの、日本文化がわかっている人や、ちゃんとわかろうとする人は、選び方が違いますからね。こういう渋さや、さり気ない意匠の中に、意味を汲み取ろうとしてくれますからね」と。思わず、ドキッとしたが、これもそれも勉強である。私だって、知らないことは数限りなくある。恥をかきながら、誰からも日々勉強だ。
でも、お店の人のように、観光客に慣れ切った京都人にとっては、適度に対応しながらも、かえって客の程度を品定めをされているのであろう。怖いことだが、非京都人として、あきらめるしかない。
茶道にしてもそうだ。日本で育ちながら、「どうしてお茶をあんなに難しくして形式にこだわるのだろう」と言ってのける人がいるが、その一言でもう、何もかもがガタガタと内面から崩されていくようで、今後一切をお断りしたいぐらいだった。何でもないところのように見える面に深い意味を込める日本文化や日本人の精神性を、分かろうともしない人が平気でずかずかと土足で否定してくるからだ。それほどまでに価値のない日本ならば、火をつけてさっさと燃やしたらいい。
上記の銀閣寺でもそうだと思った。「なんだ、たったのこれだけか」と、言ってのけられているような感覚だった。