ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

韓国系とのお付き合い

今は少しだけ昨日のブログの続きを書く(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140513)。「アメリカで出会った日本語教育を受けた世代の韓国系アメリカ人のおじさん」の話だ。
話は時系列上、少し先に進む。4月10日に無事会合が終了し、夕方5時過ぎに乗った、ニューヨーク市からハートーフォードに向かう前のニューヘイブン行きアムトラックの中のことだ。初めに隣の席に座っていた人が途中下車したために、次にひょこりと座ったのがそのおじさん。
最初は英語で話していた。話しかけてきたのはおじさんの方だった。国連の潘基文氏と少し風貌が似ている感じだったが、アジア系とアメリカで会うことの意味をちらりと考えさせられた瞬間でもあった。
英語での会話は、今では内容も覚えていないほどの他愛もない内容だったのだが(例えば「アメリカはお金を持っているのに、アムトラックのようなのろのろ運転をする電車を平気で今でも走らせている」など)、突如、「あなた、日本人ですよね?」と日本語に切り替えられたのだった。
この経験は、実は初めてではない。マレーシアで勤務していた頃、インドネシアの元留学生だった友達に会いに行くため、スラバヤへガルーダ航空で飛ぼうとしたのだが、「外国人ならファーストクラスを」と言われたために、インドネシア風ファーストクラスに乗った時のことである。隣の品の良さそうないかにも古き良きジャワ風の紳士と、最初はマレー語で話していたが、突然、「あなた日本人でしょう?マレーシアに住んでいますね?」と日本語に切り替わったのだった。
いずれも、その場合の「日本人」に、殊更嫌みも嫌悪も感じられなかったのは、さすがである。というよりも、両者共に、それなりの教育を受けた層ではあるからだった。それに、ジャワ紳士の場合、「あなたの日本語の話し方、名古屋の人だってわかりますよ。私も名古屋には出張をしていますから」とのことで、今でも覚えているのは、日本人と韓国人のインドネシア人に対する接し方の差違だった。
「日本人なら、接待ゴルフをする時でも、インドネシア人を誘ってくれるでしょう?一緒にゴルフをしてくれるでしょう?でも、韓国人はインドネシア人を苛めるんですよ」と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070825)。1990年代初め頃だったから、今は韓国人も慣れてきて対応を変えていることではあろうが、少なくとも当時はそういうことのようだったらしい。大東亜共栄圏時代から、インドネシアに対する日本の関わりには、マレー半島とは一種異なる郷愁のような文化的紐帯が深く横たわっているようなのだ。
“Kasar”とマレー語で言う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080806)。活力に満ちた華人経済移民のせいもあるだろうが、よろず控えめで謙虚さを規範とするジャワも含めた大マレー文化にとっては、お金持ちであっても礼節に欠けた人など、失礼極まりないのだ。これは政治面だけでは図りきれない人間存在の一側面であって、ジャワの優雅で控えめで繊細な文化表出が、恐らくは失われてしまったのかもしれない日本の伝統文化と重なるところが多いのだろう。だからこそ、最近のイスラーム主義の煽動によって暴力破壊行為が目に余るインドネシアではあるが、その基底には、まだあのたおやかなジャワ思想が根付いていると思いたい。
その点を、韓国人はどのように受け留めているだろうか?
さて、冒頭のアムトラックの韓国系の男性の話に戻る。日本語と言っても、最近の若者の大衆日本語ではない。1990年初頭までは確かに耳にすることの多かった、教育を受けた層の日本語である。「失礼ですが、日本語で教育を受けられたのですか?」と尋ねると、「えぇ、私は韓国系アメリカ人ですが、小学校は韓国で日本語の学校へ行きました」。
「どう思われます?その時代の日本支配のことを」と問うと、「戦争が終わって考え方が変わると、『あの時代は悪かった』という判断になりますがね、私達の時には、皆が日本語の小学校に行っていたんですから、それが当たり前でね、悪いもいいもわかりませんでしたね」と。これは、台湾育ちのシンガポール人の牧師だった先生からも、似たような話を聞いたことがある。建前では、「日帝時代はよろしくなかった」と否定面を前面に出さなければ社会の通りが悪いのだが、隣国からの扱いや、その前後の時代を比較するならばば、「日本支配は悪いことばかりだったわけではない」というのが本音でもある人々も確かに存在するのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131125)。
この辺りの微妙なところは、それこそ肺活量というのか、鼻息の荒さ程度の問題でもあろうか。しかし、人間は嘘を塗り固めて生き通せるものでもあるまい。本音に触れても、あえて表に出さない、出せない、出さない方がよいことは、人間社会に数多く存する。だからといって、無視して知らぬ存ぜぬを貫き通すばかりが能とも言えないアヤというものがあるのだ。
さて、ここまでは話はよかった。ところが、日帝時代に話が振り向けられたから気が緩んだのであろうか、つい踏み込み過ぎの発言へとおじさんは向かってしまった。
「しかし安倍さんは、一国の宰相として、いかがなもんですかねぇ」と来たのだ。あれ?反日記事を平気で書いている日本人がいるという『ニューヨークタイムズ』紙を鵜呑みにされているのかしら?それにしても、日帝時代という両国の民族全体に関わる一般的な歴史の話から、なぜいきなり、一人の政治家の話に飛ぶのだろうか?「日本は民主主義の国でしょう?あんな、一般国民の言うことも聞かないで、一方的に何でも決めてしまっていいものですかねぇ?それは独裁ってもんじゃないですか」
は?その路線で世論を誘導しているのは、共産党と『朝日新聞』では?私、一応は納税者で選挙権を持つ日本国民の端くれなんですけど。日本語、一応わかります。新聞も読んでいます。もちろん、政治のことは分からない点も多いですけど、一般国民としての責務として、自由な社会に暮らす者として、こうやってブログでも好き勝手に意見や経験談を書いていますが。何ら隠し事はないつもりですけど。
そりゃ、安倍氏の奥様の一種解せないように見える言動や、安倍氏の女性の活用と少子化対策の矛盾だとか、移民は受け入れないと言いつつ、家事労働者を外国から一定条件で迎えようという変な懇談だとか、私だって、全面的に盲目的に賛同してるわけじゃありませんよ。でも、それはそれ、国内問題であって....。
「いかがですかな?いや、初めて会った人にこういう話をするのも...」「そうですねぇ」と一応は相づちだけは打ちながら、(しかし何ておじさんなの?)という不快さが皆無だったとは言えない。
その路線で言えば、韓国の今の女性大統領はいかがなんですか?いいお家の出のご令嬢で、西洋教育を受けた才女であっても、どうにもこうにも、日本の意図を殊更に無視しようとされているじゃないですか?
でも、私は黙っていた。あと数分で駅に到着という、黄昏た夕刻には、初対面の見知らぬ人とそういう話に持って行くのは、「政治と宗教の話は避けること」がエチケットの西洋社会では、まるで場違いである。
もっとも、下車した時には、重たいスーツケースをホームまで運んでくれ、それなりに親切そうではあった。しかし、ハートフォード行きの最終電車には、結局乗り遅れてしまった。ニューヘイブンの大学に勤めていた知り合いが病気になったので、お見舞いに行くとのことでアムトラックに乗ったらしいのだが、地理に詳しいはずの韓国系アメリカ人であっても、乗り継ぎのホームがどちらかのか、わかっていなかったらしい。それならば、なぜ、安倍総理が独裁者などと、とんでもない飛躍へ話を進めたのだろうか?
だから、移民社会は嫌なのだ。大手を振って誰も彼もが受け入れられているようでありながら、実は少しずつ情報の受け留め方がずれてくる。認知の隙間が大き過ぎるというのか、理解度の差違が凸凹しているというのか。ひいてはそれが、個人間の軋轢のみならず、国と国との大衝突にまで発展しかねないきわどさがあるからだ。
韓国系アメリカ人や韓国人留学生が、昨今元気がなくて内向きの日本と比して、日本を小馬鹿にしつつ、あることないことを言いふらしながら、日本を凌駕するかのような活発な言論活躍を展開しているらしいと聞く。確かに、そういう側面もあるのだろうが、今回の短い一時の訪問で私がまず察したには、アメリカで、韓国人は日本人よりも、背伸びして気を張っているらしいことだった。また、英語が流暢かどうかという点ではなく、全体として、西洋人との接触経験が相対的に日本より浅いようだということも感じた。それに、どういう経緯で韓国を出てアメリカに居住されているのかわからないが、どこか落ち着きなく、そわそわしたり、目つきや表情が険しそうな初老のご夫婦も見かけた。アメリカ人から見て、すぐに判別できるかどうかはさておき、私などには、すぐに分かってしまう。(あ、この人韓国系だ)と。サムソンなどのスマホを忙しく指で動かしながら、盛んにハングルと英語で連絡を取っていたおばさんとも出会った。ジョン・F・ケネディ国際空港からニューヨーク市内のホテルまで雨の中を向かうバスの中でである。(リムジンやタクシーの乗り場を間違えたためのバスであったが、これが人種の坩堝を観察するには、よい時でもあった。)皆一様に、反応はすばしっこいのだが、理解の深さや幅にどこか制約がかかっているような態度に見えた。ハングルが今でも何とか読めてしまう自分が、こんな時に役立つんだな、などと変なことをぼんやり考えながら、じっと「アジアの中の日本」なのか「アジアと日本」なのかを思い巡らしていた。
クラシックの演奏家達を見ていてもわかる。韓国系のサラ・チャンなどは、最近はどうしているのか、昔から、これ見よがしの闘争心剥き出しの演奏をしていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070731)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070919)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070929)。小さい頃から妙齢にさしかかるまでは才媛だったが、どうも舞台上で歩く姿が下品で、けばけばしい厚化粧と派手なドレスで、何とも趣味が合わなかった。曲の解釈も、器用なだけで深みや哲学的思考に欠ける嫌いがある。N響のヴァイオリン奏者のN先生にその旨率直なところをお尋ねしたことがあるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130408)、「大陸の人達は生存競争が激しいので、そのようなパフォーマンスになるのでしょう」と、あっさりしたお返事だった。
そうなのだ。生存競争をかけた大陸系DNAの末裔ならば、最初から島国で調和を志向して暮らしてきた我々とは違うのだ。だから、多文化主義ではなく、日本は日本らしくあるべきなのが筋だ。それは、差別でも偏見でもない。むしろ、下手にすり寄ったとしたら、かえってその方が奇妙だろうし、本心を疑われてしまう。
その点で、昨日のイスラエル発の記事は、なかなかいい点を突いていたと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140513)。違うから理解できないのではなく、違うからこそ、それぞれの立場や役割を相互補充しつつ、高め合っていけるのだろうと考える。
今回のネタニヤフ氏の公式訪問に際し、イスラエルアメリカのユダヤ系共同体の内部では、それぞれ内情を知るだけに、さまざまな憶測やら批判が飛び交っているようでもある。しかしそれは、お迎えした日本側や私の知ったことではない。いや、知っておく必要はあろうが、私まで一緒になってコメントする必要性は全くないのだ。国と国との関係なのだから。その代表としての来日なのであるから。
それにしても、天皇制を有する国のありがたみを、この度もう一度、映像で確認することとなった(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=official+visit+to+Japan+)。トップ政治家同士や高級官僚同士の談話、経済人同士の交流ももちろんだが、忙しく緊張する公式訪問の合間に、まったく異なった側面から、古来より日本を支え続けてきた文化的祭司制度の頂点とお会いする一時は、儀礼とはいえ、重要であろう。そこが日本なのだ。そのような文化に連ならせていただける一国民であることを、本当に誇らしく、ありがたく思う。
アメリカでも韓国本土でも、韓国人はその点、どのようにお考えなのでしょうか?