ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

3.11の三周忌に

「2011年(平成23年)3月11日14時46分」に何をしていたか。
那覇の新原ビーチで、ボートに乗って海中の珍しい魚の群れを覗き込んでいたのでした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110323)。突然、同じボートの向かい側に座っていた若いカップルが、携帯電話のインターネットで地震情報に触れたようで、素っ頓狂な声を上げたのがきっかけ。同乗の地元のボートガイドのお兄さんが本州の私達より教科書風の標準語で、「津波が来たら、沖にいた方が安全だ」と教えてくれ、情報を確認しながら、もう岸へ戻るか、もうしばらく沖に出ているかを検討し始めました。
ホテルに戻っても、部屋でテレビをつけて呆然とするばかり。一体、この光景は何なのか、理解するまでに時間がかかりました。那覇にも津波が押し寄せるかもしれないとの報道があり、早速、ホテルの外に出ないよう、アナウンスが入りました。
この間、頭の中を流れ続けていた音は、ハチャトウリャンのヴァイオリン協奏曲D-minor(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110411)。
ところで昨夕は、東日本大震災追悼・復興祈念コンサートとして、大阪いずみホールブラームスドイツ・レクイエム(op.45)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090316)を聴いてきました。指揮は延原武春氏。NHKテレビの『こころの時代』で自伝風のお話が放映されていた他、これまでにも複数回、東梅田教会などのコンサートでお目にかかっています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110509)。ひょうひょうと淡々とした指揮ぶりで、カトリックおよびプロテスタント教会のバックあっての、氏ならではの演奏活動。
何年か前に、コードリベット・コールの担当女性からお電話で簡単にご紹介があった後は、定期的にプログラムとパンフレットが送られてきて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070805)、趣旨に賛同し、都合が合えば、出向くことにしている合唱グループ。今回は二割引のチケットを購入したので、いずみホールでは初のバルコニー席。お客の入りは一階席がほぼ9割。二階席が8割5分強でした。
普段着風の格好で来る人もいれば、ネクタイ姿や私のように新調のスーツも。ところが、ドイツ語のレクイエムなのに、ちゃんと皆さん、じっと耳を澄ませて、普段のクラシック演奏会のような変な咳さえ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100430)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100601)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121125)、ほとんどなかったのです。というよりも、むしろ私の方が、突然ほこりが片方の鼻に入ったまま喉に降りてきたかのような感覚に悩まされ、咳を止めるのに必死だったほど。
最初に、新たな使命の復活の象徴として、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲を。この後、いきなり15分の休憩が入った時には、思わず会場からどよめき。ということは、皆さん、演奏会には慣れていらっしゃるという徴。
レクイエムについては、ソプラノは、声は高く伸びていたものの、どうも私の耳にはドイツ語歌詞が違っていたように思われましたし、震災のために編成したオケなので、以前にも聴いた海外の一流のドイツ・レクイエムよりは音が揃っていない部分もありました。また、終わり頃にコーラスの女性の一人が倒れて、バリトンとソプラノのお二人が助けに入りましたが、趣旨が3.11の三周忌だということで、これ以上、何も言うことはありません。
8時45分には終了。舞台でオケの人達が握手し合っていました。ドイツの楽団みたいだと思いながら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080310)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110521)、席を立って出ていこうとしたら、何と合唱団が整列したまま、整然と深々とお辞儀をされたのには、改めて驚きました。ここが日本の日本らしき由縁だと。
会場にはドイツ人男性もいて、「上手でしたね」と上手な日本語でおっしゃっていました。
余韻に浸りながら、冷え込みの中をやっと帰宅すると、注文したばかりの五嶋みどりさんのCDが届いていました。

https://twitter.com/ituna4011
Lily2 ‏@ituna4011 11s
”Violin Sonatas by Shostakovich, Janacek, Bloch ~ Midori“(http://www.amazon.com/dp/B00EEELZ2K/ref=cm_sw_r_tw_dp_Pj-htb10FYKRR …)arrived here yesterday.

このピアニストとの組み合わせは、西宮で聴いたことがあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110622)。この頃は、まだ復興のメドが立つかどうかという時で、来日キャンセルした海外の著名な演奏家達が記憶に新しい時でした。また、大使を務めているみどりさんが早速、震災直後に国連からメッセージを寄せてくださったのも、非常にありがたいことでした(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Messenger+of+peace)。
さて、ここで現実面についての考察を。

http://blog.livedoor.jp/bokushinoto/
2014年03月12日
被災地の復興を急かすな


「昨日は、東日本大震災の記念日だった。
テレビを見ていて気になることがあった。
それは、被災地の復興が遅れていると言う報道だ。
そういうことを報道するために、荒涼とした被災地が写される。(中略)
あんなところに家が立ち並んだら、それこそ大問題だ。」


「国が支援しても五年、十年かかって当然だ。
日本人は、この国土にずっと住み続けるのだから、百年後、千年後を考えての復興でなくてはならない。
明治と昭和の大津波の経験が生かされて来なかったことが、今回の大被害の原因だから、同じ轍を踏んではならない。」

という明言なのですが、さすがは医学博士兼伝道者でいらっしゃるだけあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140207)、思考が科学的で長期的視点に立ってのご発言。我々の世代の盲点でもあります。
「痛みの記憶を風化させるな」とメディアは繰り返し教導しますが、実は、我々を妄導しているのはメディアの方では?
また、以前から気になっていたのは、同じ被災地でありながらも、いち早く立ち直って自立している共同体もあれば、まだ遅々として手作業でご老人達が動いている共同体とにはっきりと分かれていることです。冷たいようですが、どうも私の見るところ、後者の場合は、地震の前からそれが想像できたような共同体だったのではないか、と思われるのです。でも、NHK・ETVでは、あたかも我々非被災地に住む者が見捨てているかのような描き方でした。そして逆に、復興支援金が実は余っているという報道にも先日接しました。
決して忘れているわけではないものの(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120311)、だからと言って、いつまでもおめおめとしていたのでは、復興の元気づけにもなりません。たくさんいただいた海外からの励ましを読み直し、活発で元気な日本の姿を取り戻すことこそ、最大の課題だと思うのです。