ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自分の頭で考えて....

昨日の続きです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130401)。
この昭和40年代前半の名古屋市内の住宅事情を綴りつつ、今の十代から二十代の世代の人達がどう感じるか、少し考えてみました。そういう暮らしの中でも、何とか私達、毎日ご飯を食べて学校にも通っていたんですが...。授業が終わると皆で一緒にぞろぞろと帰って来て、ランドセルを置くとすぐに、約束していた子達と公園や家の前の歩道で、鬼ごっこやかくれんぼや鉄棒やゴム跳びや縄跳びや石ころ遊びや缶蹴りやおままごとなど、飽きもせず遊び回っていました。とっても楽しかった!退屈なんて、これっぽちもなく、毎日が忙しく過ぎていった感があります。

ところで、3月上旬の学会後の懇親会で、初対面の年下の女性がまたもや勝ち誇ったように(それこそ上から目線で)私に言いました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130311)。「バブル世代の人(つまり私を指す)には、今の若者達が、結婚したくても収入が不十分で結婚できない、どんなに資格を取って頑張っても就職もできないっていう状態にあることを、もっと考えてほしいんですよね!私は国立大学の博士号も持っていて、子どもも二人いて、短大でも教えていて、恵まれているんですけど...」。
何だか、まるで私が何も考えていないかのような口ぶり。それに、申し訳ないんですが、あなたのおっしゃっていることって、朝日新聞の記事そっくりで、何ら独創性もないし、ご自分の体験に基づく考えがまるでゼロだってことが明らかじゃありませんか?
それで、私も(相手にしなければよいものを、つい)返答してしまいました。「自分達を理解してほしいと言うならば、その世代の人達にも、バブル世代が実際どうだったのか考えてほしいですね。就職も結婚もできないって言っても、多分、本当の理由はそこにはないと思いますよ」。
「本当の理由って何ですか?」
「それはご自分でお考えになることですよ」と私。立派な博士号までお持ちなんでしょう?学校で教えていらっしゃるんでしょう?他人から安易に答えを求めないでくださいな。
「え〜!そんなぁ、ひどい!」
だから、相手にしたくないんですってば、そういうタイプの人を...。
その人達は、いかに日本に女性差別があり、その点で日本がどれほど非常に遅れを取っているか、日本の女性の社会的地位は世界でもかなり低い、という話で盛り上がっていました。その原因は社会構造にある、と。いかにも、グラムシ系文化に染まっていますね!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130108
そこで、私はまたもや余計な口を開いてしまいました。「いいじゃないですか、私は意識が遅れているんですから。でも、私はハッピーですよ。若い頃、マレーシアのような途上国のムスリム圏に派遣されて仕事をしていたから、イスラーム法などと比べて、日本の民法がいかにありがたいか、涙が出るほど感謝しているんです。女性の地位が低いって言っても、世界を広く見渡せば、日本なんて本当に恵まれているし、もっと基本的な生存権が脅かされている、本当の抑圧状態にある女性達がいっぱいいますよね。私は、自分が差別されているかどうかということで文句を言うよりは、そういう人々にもっと広く関心を寄せられるような人間でありたいですね」。
呼称についても、何ら驚きもしない社民党の誰かさんのような主張が聞かれました。「私、結婚していて子どもも二人いますけど、旧姓で呼ばれたいんですよね。『ご主人』って言われるのも嫌なんですよね」。
そこで黙っていればいいものを、私は反論しました。「そういう意見は尊重しますけど、それに従いたくないという私の意見も尊重していただきたいですね。でなければ、真の平等とは言えません」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070726)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120306)。
思わず詰まっていらしたようですが...。パイプス先生から相当私も訓練されて今では怖い物なし。へ理屈にはへ理屈で返す論法です。特に、2012年3月6日付の「ユーリの部屋」で書いたことは、実はパイピシュ先生とのやり取りです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120306)。実は、他のスタッフの方は皆、少し具体的なやり取りがあればすぐに、アメリカ風に名前でメールを寄こされるので、パイピシュ先生も本当は今でも名前で呼びかけたいようなのですが、私が一貫して「親愛なるダニエル・パイプス博士」と書いているので、遠慮されているようです...。(本来は、親愛なるパイプス博士」だけで充分ですが、お父様のリチャード先生も「パイプス博士」となるので、私の中ではパイプス親子両先生に敬愛の念を込めて、区別したいのです。)
「私が旧姓を括弧付けで併記しているのは、何もフェミニズムからではありません。れっきとした理由があるんです。マレーシアみたいな多民族多宗教社会のごちゃごちゃした移民社会では、別名を使う人も多いんですね。私のリサーチは政府当局が関わっているものなので、日本語で聞けば大したことがないようでも、現地ではセンシティヴなんです。それに、最初は政府関係の仕事をしていましたから、その時の名前も記さないと別人のように思われます。私は変名で悪いことをしているんじゃありませんっていう表明と、マレーシア入国の時、今でも別名でマレーシアに来たことがあるかどうかを入管で尋ねられますから、正々堂々としていたくてこうしているだけです。でも、他の学会で、理事の先生から表記をどうするかお尋ねがあって、気を遣わせて申し訳ないなって、思いましたよ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)。

このように減らず口が叩けるのも、むしろ、名古屋市内の元自宅のご近所のことを思い浮かべるからです。何も知らず、毎日学校で給食を食べて、男の子達と一緒に元気に走り回っていましたから。学級文庫に並べてある本を片端から読んで、楽しく想像の翼を広げていましたから。学校には、女の先生達もかなりいて、男女差別だなんて、全く話に上る余地がありませんでしたから。大変に結構な時代だったと思います。
それに、冷たいようですが、理系の企業研究所に勤務する主人の話では、「新聞記事なんて、まるで当てにならんよ。うちだって、早くから優秀な学生を確保したくて、会社の方から大学を回っているもん。資格がいっぱいあって、真面目に勉強しているのに就職できないから結婚もできないという話、それ、何か他の理由があるんだよ。だって、世代交代しないといけないし、会社だって、新しい若い人を入れていかないと、世の中回っていかないしさ」。
ですよね?バブル世代と言っても、本当に贅沢三昧の女子大生だったのは、東京などの一部の人達に過ぎず、そういう人達だって、今はどこでどうしていることやら...。私の場合も、いつまでもそんな時代が続くとは到底思えず、質素倹約に励んでいました。もちろん、資格もいろいろと頑張りましたよ。昔の方が、種類も少なく、合格率も厳しかったので、単純ではありませんでした。
...ということなんですよ、実態は...。