ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ルーツを誇りに思うこと

私の父はユダヤ系、私の母はユダヤ系、私はユダヤ系です
2002年にパキスタンアル・カーイダに首を切断されて惨殺された『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙のジャーナリストだった故ダニエル・パール氏(1963-2002年)の今際の時の言葉です。数年前にYou Tubeで映像を見て、その言葉に深く感銘を受けました。(さすがに殺される寸前で止めましたので、その後は文章で読んだのみです。今、もう一度その映像を確認しようとしたところ、閲覧禁止状態になっていました。あの時、見ておいて正解でした。)
そして、最近亡くなった元ニューヨーク市長のエド・コッチ氏の墓標には、故ダニエル・パール氏の冒頭の言葉が刻まれたのだそうです。それを知ったのは、ダニエル・パイプス公式サイトによってですが(http://www.danielpipes.org/blog/2001/12/calling-islamism-the-enemy)、別情報を以下に転記します。

The Huffington Post http://www.huffingtonpost.com/2013/02/01/ed-koch-gravestone-daniel-pearl-last-words-jewish_n_2598783.html


Ed Koch Gravestone Carries Daniel Pearl's Last Words: 'My Father Is Jewish, My Mother Is Jewish, I Am Jewish' , 1 February 2013
by Rebecca Shapiro Posted


New York City Mayor Ed Koch, who died on Friday, inscribed American journalist Daniel Pearl's last words on his gravestone. Pearl died 11 years earlier on the same day.
Pearl was kidnapped and beheaded by terrorists in Pakistan in 2002. He was working as the South Asia bureau chief for the Wall Street Journal when he went to Pakistan for an al Qaeda-related interview. Shortly after his death, a video showing Pearl's brutal murder was released. The journalist was beheaded after he said, "My father is Jewish, my mother is Jewish, I am Jewish."
According to the Associated Press, Koch purchased his plot at the nondenominational Trinity Church Cemetery in 2008. He had his gravestone inscribed and installed shortly after. In addition to Pearl's last words, Koch inscribed the Jewish prayer in both English and Hebrew, "Hear, O Israel, the Lord our God, the Lord is One."
(h/t Poynter)

もう一つのニュース記事です。

Tablet Maghttp://www.tabletmag.com/jewish-news-and-politics/123319/how-ed-koch-honored-my-son


How Ed Koch Honored My Son, 4 February 2013
The late New York mayor told me he wanted to be remembered by my son Daniel Pearl’s final words: ‘I am Jewish.’
by Judea Pear


Most Jews have simple epitaphs on their headstones—perhaps a quote from Psalms or a passage from the Torah, or maybe a phrase proclaimed by one of the prophets. Ed Koch, the former mayor of New York, who died at 88 last Friday and is being buried today in his city, has the last words spoken by our son Daniel Pearl before he was murdered by terrorists in 2002: “My father is Jewish, my mother is Jewish, I am Jewish.”
The fact that Koch has now died on the same day as our son seems to be yad hahashgacha, the hand of providence, at work. If I were a believer, I would say: How could anyone doubt God’s existence? Instead, I am struck by what a strange, surreal coincidence this is.
I never met Koch in person, but we first corresponded in 2004, when my wife and I were working on a book of essays inspired by the last words of our son. When I first heard what Danny said in that dungeon, I knew it would strike a chord with every Jewish soul—and, in fact, that every decent human being would be moved by this expression of identity. That he declared those words—words connecting him to his people with a shared, ancient history—makes me feel he wasn’t alone, that he had many millions of hearts with him in Karachi. “Back in the town of B’nai Brak there is a street named after my great-grandfather, Chaim Pearl, who was one of the founders of the town,” Danny said, and he had the pulse of the entire Jewish history with him, from the Talmudic scholars who founded the ancient town to the city-builders of modern Israel.
The echo of Danny’s words has not subsided. Koch took the dramatic act of putting it on his tombstone, but many others carry Danny’s words and are nurtured by them, quietly. For the book, we commissioned many prominent Jews to reflect on what the phrase “I am Jewish” meant to them, and Koch was one of the 300 people we asked. Koch sent in an essay mainly expressing anger about the terrorists—how they act against civilized society, and how they should be dealt with. It was about our world and how we got into this war, and we felt it didn’t fit the theme. The theme was what does being Jewish mean to you, a very personal question, and we asked Koch if he’d be open to revising it. Koch’s answer was definitive: That’s how I feel, he said, and I can’t change it.
Maybe his Jewishness was genuinely defined by who his enemies were. Or maybe it was defined primarily by being part of a certain generation of New Yorkers who lived through the Depression—after all, he refused to leave Manhattan, even in death.I’m proud of being Jewish,” he would always proclaim, and his tombstone will never allow us to forget that fact: “He was fiercely proud of his Jewish faith,” it reads. But Koch never explained, at least publicly, what that meant beyond triumphalism and the joy of making it as a minority. Why be proud? What particular elements are there to be proud of? Surely there is more than the fact that we have survived persecution and genocides for being who we are.
Some will surely comment on the fact that Koch included how our son was murdered, and who his killers were: “Muslim terrorists.” Koch, as I said, was very angry about Islamist terror, and I think using these words was very purposeful on his part: a way of reminding us that our enemy is not 19 misguided lunatics, but a whole ideology that fosters anti-Western fanaticism and elevates itself above the norms of civilized society. In a time where political correctness was at its peak, perhaps it was productive for Ed Koch to remind New Yorkers that our real enemy is not Khalid Sheikh Mohammed, but the ideology on which he grew and that is being passed on to his children, emboldened and intensified by the hour. That is our real enemy.
When the New York Times reported that Koch had chosen Danny’s words for his headstone a few years ago, I was extremely moved, and I called to thank him. “This is how I feel,” he told me, “and this is how I want to be remembered.”
Judea Pearl, a professor of computer science at UCLA, is president of the Daniel Pearl Foundation, promoting East-West understanding through journalism, music and dialogue.

このところ、アイデンティティ問題について考えています。私自身のことではなく、「民族が異なる場合にアイデンティティ上、どのように共存できるか」という深刻な課題と同時に、「置かれた社会における位置づけの相違について、どのように折り合いをつけるべきなのか」という非常に困難な問題です。

実は、イスラミストによる西洋人攻撃には日本人も西側諸国の一員として含まれていることを、先月末、ダニエル・パイプス先生から個人的にわざわざ指摘されました。

明らかに、日本文化は欧州文化とは大幅に違っている。でも、あなた方は名誉ある西洋人じゃないの?故五十嵐一氏が‘西側’でイスラミストに暗殺されたリストに含まれているでしょう

そして、全般的な指摘と同時に、「非西洋人として、私は以前よりも先生のお仕事と現況にずっと接近しているように今感じています」と記した私個人には、このように書いて来られました。

この短信には非常に喜んでいるよ」。

五十嵐一先生に関しては、以前にも短く言及しました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071128)。それはともかく、「名誉ある西洋人」で想起されるのが、南アのアパルトヘイト国家時代の日本人別扱い枠でしたので、私としては非常に複雑な気分。誤解なきよう、その日のうちに、パイプス先生にもう一度書きました。

えぇ、故五十嵐一氏(1947-1991年)は、『悪魔の詩』の日本語翻訳者で、筑波大学で何者かによってひどく殺害されましたが、東洋思想としてのイスラームのよき学徒でした。イスラーム革命の前に3年間、イランで研究していらしたので、警護のための周囲の警告を気にせず、かなり楽天的でした。私は、五十嵐氏が訳した『悪魔の詩』を一冊持っています。今でも、この小説があるムスリムにとってどうしてそれほど問題があるのか、良く理解できないのですが」。


先生にはまた、サルマン・ラシュディの小説に関する以前の分析的なお仕事のことで、私は感謝しています。最初、私は『ラシュディ事件:小説とアヤトッラーと西洋』と題するような本を出版されたと知って、なんて大胆で勇気があるのかと非常に驚きました。でも、徐々に私は、当時、先生が抱かれたかもしれない個人的な不安を超えたところでの、その重大さと重要性を悟るようになりました。真の学者はそうでなければなりません」。


『あなた方は名誉ある西洋人じゃないの?』について。私は一度も自分自身に関してそのようなことを考えたことはありません。いわば、私がバナナだってことを意味していらっしゃるのですか?申し訳ありませんが、それは思い違いです」。

悪魔の詩』を巡っては、著作の題名に一部相違が見られますが、パイプス先生ご自身による紹介(http://www.danielpipes.org/books/rushdie.php)と拙訳(http://www.danielpipes.org/10908/)および過去のブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080414)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120112)をご参照ください。
翌日のお返事には、こうありました。

時には追求するに興味深いトピックだよね...

そこで、一日置いてよく考えてから、再度お返事を申し上げました。

興味深いトピックなんかじゃなくて、私達の両方にとってセンシティブなものです。先生は誇り高いユダヤアメリカ人で、私は単純に日本人であることに満足しています。それ以上でも、それ以下でもありません。


1.時々私が不思議に思うのは、なぜ西洋で歴史的に反セム主義が広く行き渡っていたのに、先生は西洋を賞賛されるのかということです。


2.先生の私宛メールは、古めかしい『和魂洋才』という言葉を思い出させます。『西洋から学び、日本精神と組み合わせること』という意味です。しかしながら私は、文化起源に関わりなく、どこからでも先進的なものは何でも学びたいと思っています。


ところで、数年前にYou Tubeで、パキスタンで殺害された故ダニエル・パール氏の最後の言葉を聞いた時、私は深く感銘を受けました。


『私の父はユダヤ系、私の母はユダヤ系、私はユダヤ系です』。それこそが、私達自身のアイデンティティを考える時、最も重要な側面です。『名誉ある』何とかあるいは否かは、私にとって全く関係がありません」。

そのお返事はどうでしたでしょうか。さすがは、察しが早く感受性に優れた方だけあって、「興味深いトピックなんかじゃなくて、私達の両方にとってセンシティブなものです」を引用された上で、短くこのように書き送って来られました。

それでは、そのままにしておこう」。

ふうっ。気を遣いますねぇ、このような話題は...。

この話題については、主人とも話し合いをしました。「それは、ちょっと...『名誉白人』のことだよね?下手すると、それも差別用語じゃないか?」「でも、あの先生、負けず嫌いだから、自分が負けたと思ったら、黙ってるか返事をしないよ。だけど、ユーリのことは褒めているつもりなのに、(別の角度から)反論してきたから、それも一理あると思って認めて、『じゃあ、止めようか』と返事が来たんじゃないかい?」
私の場合、いつの場合でも誰からも、直後には褒められたという実感がなく、誰もが厳しい目で常に批判的に見ていると思っているので、なぜパイプス先生がそれほどまでに、私などのような者に目をかけてくださるのか今でも訝っているところがあるのですが、しかし、よく考えてみたら、確かにぶっきらぼうで唐突なようでも、最大限、必ずと言ってよいほど、お褒めくださっているのですね。
この後、一週間ぐらい合間を置いて、一気に6本の訳文(追加訳文および修正訳文を含む)を送ったところ、さすがに気にされていたのか、直後に丁寧なお返事が届いたぐらいですから。
とりわけ、パリでの(ちょっとアメリカなまりのある)フランス語による10分ほどのパイプス先生のスピーチ解説について、仏語から邦訳した私のメールを取り出して、「これら全ての訳文を見られて、何て素晴らしいんだろう。どうもありがとうね」と、丁重に言葉を添えられていました。気を遣っていらっしゃるのですね。
恐らくは、パイプス文脈は「イスラームと対峙する西洋」ということなのだろうと愚考します。最近、日本人がアルジェリアでも狙われたということは、『悪魔の詩』の邦訳とも兼ね合わせて、「立派に過激派ムスリムの攻撃対象に含まれているね」と後輩を気遣う一種の仲間意識だったのかもしれません。一方、日本という国は実際には曖昧な位置づけで、ムスリム諸国を植民地化したことがない(というのは嘘で、マラヤもシンガポールインドネシアも‘立派に’(←皮肉です)占領した)という建前になっているため、あのアルジェリアの事件でも「アメリカと日本が同盟関係にあるからターゲットになったのだ。今後は、親日的なイスラーム諸国との関係を重視すべきだ」という投書が某新聞に掲載されたり、挙げ句の果てには何を血迷ったのか、「日本国のパスポートには、関係諸国に所持者である邦人の保護を要請する」と書いてあるのだから、自衛隊を出すのではなく、アルジェリア政府が入国させた邦人を保護してくれるはずだ、などという、何ともおめでたい投書まで掲載されていました。
閑話休題
西洋と言っても、先進的で素晴らしい面が多い反面、奇妙な破壊的な思想が生まれるような土壌もあるため、何でもかんでも西洋がよいとは思っていません。東洋思想にも叡智が含まれていますし、後発なだけに、先輩の失敗を繰り返さないで済む利点もあります。(もしかして「西洋かぶれ」だと勘違いされているのかしら?シャネルのバッグなどブランド品を背伸びして身につけている「無教養な日本女性」だと思われているのかしら?だったら嫌ですよ!)と思っていたので、上記のようなやり取りになったのですが...。

確かに、マレーシア経験のおかげで、一般の無責任な批判とは違って、私にとってはパイプス言説の真意が迫るように理解できるのは事実。その上、非常に幅と奥行きのある大量の話題についても、単に機械的に訳出するのではなく、提示されている関係者の本も取り寄せて、「今、読んでいるところです」と逐一報告しているので、当初の予想以上に頑張っているとは認めていただいているかとは思います。とにかく、私にとっては、テーマの深刻さと複雑さもさることながら、訳業をきっかけに、いろいろと自分なりに広く勉強できる点が、最もうれしいことなのです。
恐らく、囚われなく柔軟な好奇心に充ち満ちて、優れたものと悪しきものをしっかりと峻別した上で、いつも他者から学び吸収しつつも、土着の固有文化とうまく併存ないしは混交させて独自性を保とうとする基本的な態度こそが、先祖伝来の私の「日本人アイデンティティ」なのでしょう。日本の歴史そのものが、まさにそのような経過を辿ってきたのですから。故ダニエル・パール氏から示唆を受けたように、私自身もルーツを誇りに思います。
PS:故ダニエル・パール氏については、(http://pub.ne.jp/itunalily/?monthly_id=201303)の2013年3月10日付の3本をお聴きください。