ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

諏訪内晶子&イタマール・ゴラン

この頃、大変に忙しく、なかなか借りた本が読み終わりません。いったん返却すればよさそうなものの、誰も恐らくは借りていないだろうに、近所の図書館では、係の人から「続けて借りないでください」などと注意されてしまい、大変に不自由しています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120210)。
こういうことは、図書館法の本質を熟知していないところから来ているのだろうと思います。杓子定規に規則を当てはめようとするので、こちらも(それなら、もう図書館は利用しないで、本は買うことにしよう)と思ってしまいます。
決して私がうるさ型の利用者だと勘違いなさらないでください。例えば、先日、論文複写を依頼するのに、初めて大阪府立中央図書館のオンラインを利用したのですが、なんとご丁寧なことに、「一ページ余分に複写しましょうか。大切な関連事項が記載されていますので」とお電話がありました。つまり、係の人は、単に申込みしたページだけを機械的に複写して送ることで仕事を済ませたつもりになっているのではなく、きちんと内容まで確認した上で、申込書を処理しているという証左なのです。
これこそ、本来の図書館の役割ではないでしょうか。
忙しい理由は、マラヤ大学法学部3年生の華人女子学生から、メール・インタビューを受けており、私の研究テーマと合致するために、回答を考え中だということがあります。すぐに答えられる内容ではありますが、一見、誘導尋問風のところもあり、要注意なのです。また、22年間も調べ続けてきた内容なので、そう易々と、若い方達にわかってもらうのもなぁ、といった躊躇もあります。
ただ、このようにして、競争ではなく協調体制でリサーチが進められるならば、というのが、私の手法です。
また、一つ、短い原稿の締め切りが迫っていますし、ヌンシオが決まらないためにペンディング中の原稿もあります。後者に関しては、私の責任だとは言えず、困っています。
何が忙しくさせているか、といえば、3月下旬から、米国のある方のご依頼にお応えしているからなのですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120407)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120415)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120419)、何しろ、膨大な仕事量に加えて、仕事の早いこと早いこと、これでは、ムスリムが文句を言ったり脅したりするのも、やむを得ないなあ、と...。いえ、それは必ずしもムスリムに同情しているのではなく、結局のところ、何世紀もの間に、これほど大きな差ができてしまっているという知的ギャップが歴然としているからなのです。
仕事のペースそのものは、私の気質に本来的には近い面もあるので、大変に気持ちがいいのですが、それにしても、提出後にマイナー・ミスが見つかったり、一貫性を整えるのに、多少は時間を置く必要があったりで、なかなか気が抜けません。それでもお引き受けしたのは、いろいろと勉強になるのと、何かと刺激があって、私の今後の歩みの上でも、絶対にプラスになる面が大きいと考えたからでもあります。しかし、機械的に数だけ量産するならばまだしも、後に残る上、全世界に公表する以上は、少しでも丁寧に内実を整えたいと願う場合、かなりの下調べが必要です。訳語一つとっても、「人」が入るか入らないかで、イデオロギー的立場が全く異なることもあるからです。
まずは、依頼者の思想的立場とその来歴を充分に把握することですが、それには、膨大な文字資料だけでなく、視聴覚資料も検討する必要があり、私にとっては2ヶ月かかりました。先方にとっては、(もうこの辺でいいでしょう?早く仕事にかかってね)ということだろうとは承知の上で、それでも、最初に丁寧にコミュニケーションを取らなければ、後で問題が大きくなっては取り返しがつかない、と初めから想定していたので、申し訳ないことでしたが、こちらの「主導権」に忍耐していただきました。
もっとも、一度でも面識があれば、話はもっと楽だったのでしょう。米国はトップダウンですから、向こうの組織におさまって課題をこなすならば、当然、先方に合わせます。しかし、場所は日本で、日本向けに仕事をするという役割なのに、30分足らずの面接のために「じゃ、明日、ちょっと米国東海岸まで行ってくるわね」というわけにもいかず、こういう方法しか、やむを得なかったのです。
そして、予測通り、一つの初期段階を経た後に、こちらから自発的分析をデータ処理してお送りしたところ、「自分が期待していたのとは確かに違う」という返答。でしょう?これが日本なんですってば。だから、それを示唆するためにも、2ヶ月が必要だったんです、少なくとも、私の側にとっては。
さて、前置きがすっかり長くなってしまいましたが、昨日の「コメント欄」に書いた演奏会の記録を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120421)、ここに留めたいと思います。(そういえば、2月の児玉姉妹の演奏会記録も、未完成のままです。メモは残してありますので、必ず書きたいと思います。今しばらくお待ちください!)
その諏訪内晶子さんですが、これまでに彼女について書いた記述は、「ユーリの部屋」の過去記録をご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070908)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080410)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080527)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100601)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110307)。
こうやって遊んでいるかのようですが、実は、上記の依頼された仕事と、間接的に関係がないわけでもないのです。優秀な日本人演奏家達が、世界に羽ばたいた時、ユダヤ系の伴奏者と共に演奏旅行をして、演奏を録音して世に送り出すことで、いかに「反ユダヤ主義」「陰謀論」なるものの空しさが実証できるかという雄弁な事実ともなり得るからです。そもそも、クラシック音楽に幼少期から親しんでいなければ、今の自分が成り立たなかったのですから...。
今、これを書きながら聴いているのが、昨日、びわ湖ホールで買い求めた、4年ぶりだという諏訪内さんの新譜『エモーション』。ピアノ伴奏は、昨日と同じ、イタマール・ゴラン氏。2012年1月半ば頃にパリの教会で録音されたものだそうです。買った理由は、せっかくの記念なのでサインが欲しかったのと、ホールで聴いた演奏曲目で知らなかったものが入っていたから。(記憶がもし正しければ)諏訪内さん以外に、このエネスコのヴァイオリン・ソナタ第3番「ルーマニアの民俗様式で」を生で聴いたことがなかったので、ということです。
話が前後しますが、諏訪内さんについては、これまで特にファンでもなく、何やら東京の裕福で優秀な家のお嬢様で、しかも美貌に恵まれ、同じ日本人という以外、私とは雲泥の差以上の、接点が何もない女性、という印象しかありませんでした。
その上、2006年頃の結婚騒動だとか、その後の出産および離婚騒ぎにまつわる何やら不穏な(噂?)話なども含めて、ますます私とは関係が無いわ、という...。新聞記事によれば、昨年は税金が未納だったかなどもあり、(美人で有名になると、人生が複雑化するんだわ)と、勝手に一人でほっとしていたものです。
ただ、今回は行ってよかったと思います。オケとの協奏曲ではなく、リサイタルだったので、彼女の音楽性にまっすぐ触れることができたと実感できたからです。それに、ピアニストが、これまた数回おなじみの、イタマール・ゴラン氏でしたから、より安心感がありました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100623)。(注:昨日も「数回おなじみの」みたいなことを書いてしまいましたが、実はイタマール・ゴラン氏におめもじしたのは、今回が二度目。CDを持っていたのと、テレビ録画で何度も見ていたので、つい、間違えてしまいました。)
ゴラン氏は、舞台上は、本当にふてぶてしい感じで、腰が痛いのか疲れているのか、あまり頭を下げずに、会場をじろじろ見渡すような風貌なのですが、サインをいただいた時には、灰色のTシャツのようなものを着たラフな感じで、丁寧にお名前を黒のマジックで書いた後、にこっと笑ってくださり、実は親しみやすそうな方だと思いました。こちらも英語で‘Thank you very much.’と。
これまでは庄司紗矢香さんとペアを組んでいて、彼女の若さと見た目の幼さから、(手引きをしてあげよう)みたいな感じだったのでしょうが、紗矢香さんの方は、自分が実は誘導しているかのようにインタビューでは発言していたのが、今から思うと、何だかおかしいですね。
それがわかったのも、さすがは諏訪内さん、40歳を迎えられて、ゴラン氏とはいろいろな意味で同格同然。舞台上は、特にくっつくでもなく、適度な距離を保ち、丁々発止のやり取り。しかも、舞台袖に帰る時には、二人並んでというのではなく、気品豊かな王女様のように、諏訪内さんの方がさっさと先に歩いて行く、という感じだったのです。ここから、(はぁ、そういうわけだったんですね)と。
で、サインの話に戻りますと、アンコール2曲を含めて5時5分ぐらいに演奏が終了した後、ロビーには長蛇の列。大変失礼ながらも、2月26日の児玉姉妹の時とは全く違う雰囲気でした。例えるならば、西宮の兵庫県立芸術文化センター同様。5時20分に、列から拍手が起こり、体のラインにぴたりとして背中の大きく開いた濃紺ドレスに銀靴から、白っぽい春のスプリングコート・スーツ風のスカート姿と黒のブーツに着替えた諏訪内さんおよびゴラン氏のご登場。それまでは、静かに並んだ長い人々に向けて、「写真撮影と握手はご遠慮ください」というアナウンスさえ、会場係から出たほどでした。
私がサインをいただけたのは、5時35分。諏訪内さんも、サインの後は、他の演奏家達と同じく、じっとこちらをまっすぐ見据えるタイプでした。ただ、非常に残念だったのが、銀色のペンが生乾きのまま、並んで座っているゴラン氏のページに移ったので、彼女のモノトーン写真の上に、サインのにじみが写ってしまったのです。ま、いいか。ヒラリー・ハーンの時も、ロシア出身の女性ピアニストのリシッツァが間違えてサインしてしまったことがあり(参照:2009年1月13日付「ユーリの部屋」)、たかがサイン、されどサインで、何だかいつも、予期せぬハプニングが起こります。

さて、今回は3時の開演でしたが、2時25分過ぎに到着。JRは人身事故がよく起きるので、時間に遅れがちですが、それさえなければ、自宅からは非常に便利です。私が住んでいる地は、京都、大阪、西宮、びわ湖と、(関西水準では)いいホールへ比較的楽に到着できるのが、最大の魅力です。
ホールは、児玉姉妹の時と同じ、中ホール(804席)。1月中旬にはチケットが届いていましたが、前回は舞台の真正面の最前列というすごい席だったものの、今回は、左側の中央寄りの前から三列目で、ヴァイオリンとピアノのリサイタルならば、ちょうどよい席だと思いました。メモを取るのは、当然、演奏者の迷惑にならないように気をつけてはいますが、この間の児玉姉妹の場合、お姉様の麻里さんが、私の膝上のメモ用紙をめざとく見て、ちょっと気にされているようでした。(が、サインをいただく際には、(あ、そういうことだったのね?)みたいな気さくな雰囲気でした。)難しいところです。メモを取らないと、私の場合、感動が記憶から飛んで行ってしまうのです。
天候も、先回は凍えるほど寒く、びわ湖の水面から寒風が吹きさぶようでした。今回も、決していいお天気ではなく、比叡山あたりには、低く灰色の厚い雲が(まるでリストの曲みたいに)垂れ込めて、風も吹いて肌寒かったことは確かです。
お客の入りは、虫食いのような空席がちらほら見えた以外は、ほぼ満席。ただし、若いファンというよりは、中高年が中心だったように思います。また、このホールのいい点は、アットホームな雰囲気を醸し出しているところと、滋賀県立で、どこかの助成があるのか、チケットがお安めなことです。これは大変にありがたいシステムで、できる限りお続けくださいますよう、願っております。
3時からということでしたが、遅れてきたお客さんを待ってなのか、実際には3時5分から。譜面立てがあり、お二人とも楽譜を見ながらの演奏。