南メソディスト大学パーキンス神学部のロバート・ハント先生(参照:「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110930)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111013)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)など)のフェイスブックに、「ヴォーゲル教授の中国と日本に関する話」とあったので、(これはエズラ・ヴォーゲル教授のことかしら?)と直感。『ジャパン・アズ・ナンバー1』に対する、私の当初からの冷ややかな反応(注:最初から私とは無関係でした)と「現在では既に時代遅れです」をコメントとして出しておきました。無言のままですが、これはどう解釈すればよいのでしょうか?
ともかく、日本のように資源もない小国(と、中学の頃までは、学校で口を酸っぱくして、先生達が繰り返していました)は、人材こそが資源であり、そのためには教育こそが投資であり、常に前と上を見てがんばらなければならない、と(義務教育では)叱咤激励されていました。
実は私、この歳になっても、本当にそう思っています。もっとも、世界には、日本よりも国土面積の小さいシンガポールや香港やイスラエルのような国もあることを承知しているので、「小国」と言いにくくはなりましたが、それでも、アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシアなど、国土面積の巨大な国々が、絶えず日本に影響を与え続けているのは事実ですから、気を緩めることなく、人生を謳歌する暇があったら、勤勉に他者から学び続ける努力を積み重ねるしか、生きていく方法はないのだと、信じています。
今日のドイツ語勉強。通称シーボルト、フィリップ・フランツ・フォン・ズィーボルト(1796-1866)の『日本』の一節です。
...und die Versammelten stellen ihre Fragen, welche oft eine ausgebreitete Kenntniss in den Natur-und Heilwissenschaften und in der Astronomie an den Tag legen. Der Eifer, womit viele dieser Leute für unsere Wissenschaften beseelt sind, verdient Lob im reichsten Masse; ihre Fortschritte aber wahre Bewunderung, wenn man berücksichtigtet, wie schwach oft die Hülfsmittel sind, die ihnen dabei zu Gebot stehen.
(Aus: Philipp Franz von Siebold: Reise nach dem Hofe des Sjogun zu Jedo im Jahre 1826. In: Nippon: Archiv zur Beschreibung von Japan und dessen Neben-und Schutzländern Jezo mit den südlichen Kurilen, Sachalin, Korea und den Liukiu-Inseln, Band.Ⅱ, Land-und Seereisen, Leyden, 1832.)
他の国々や人々から、たとえいくらお世辞を言われようとも、また、海外に出た時、日本と比べてがっかりするようなことが仮にあったとしても、平然として、いつも向上心を持って、前へ進まなければ、この時代の「熱意」「進歩」に顔向けできないのではないでしょうか。一言でも慢心した瞬間に、堕落への一歩を向かっているのだと、気を引き締めたいと思います。