ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

便利な日本語表現

若い頃は、知っていたとしても到底使えなかったものの、今ぐらいの年齢になると、ちょっと使ってみても滑稽ではないだろうという、便利な日本語表現があります。
「そこを何とか、ご理解いただけませんでしょうか」
「ひとつよろしく、お願い申し上げます」
「ここはひとつ、こちらにお任せください」
こう言われてしまうと、相手はいくら腹が立っていたとしても、ぐうの音も出ないってところでしょうか。
ただし、ビジネス表現のようにも聞こえるので、女性はあまり使えないかもしれません。
繰り返すようで恐縮ですが、実は最近、将来起こりうるかもしれない誤解や対立を予め回避する(一種の言質を取る)ために、前もって2ヶ月間、粘りに粘って続けた英語での交渉の中で、(こちらの意図として)何度も使ってみました(参照:2012年3月29日・3月30日・3月31日・4月1日・4月2日付「ユーリの部屋」)。
「貴国と日本は、状況が異なるのです。そこを何とか、ご理解いただければと存じます」
「確かにおっしゃることはよくわかります。ただ、こちらの立場としましては、こういうことに長年、従事してきた以上、このような人間関係があるのは、ごく自然なことなのです。ひとつよろしく、お願い申し上げます」
「例えば、父方の大叔父は国立大学の医学部教授で、首都圏近郊の国立大学の学長になりました。別の例では、弟はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に留学し、今は京大工学部系の専任です。主人も、私がマレーシアで仕事をしていた同じ頃、マサチューセッツ工科大学で研究しておりました。大学関係者が近親者にいるからといって、それは我々が左派だということを意味してはおりません。誰も左翼ではないのです。ここはひとつ、こちらにお任せください」
「何か新しい、チャレンジングなことを始める時、前もって周囲の関係者にお話をすることは、私達のやり方なんです。考え方や立場の異なる人達であっても、私達は大抵、話に耳を傾けます。それは、左翼に親近感を持っているからではなく、自分の思考や思想に刺激を与えるためであり、よりよい決断をするためなのです。冷戦時代でさえ、我々はそうしていたのです。その辺を何とか、ご理解くださいませんでしょうか」
何だか書いているうちに、我ながら笑えてしまったのですが、こういう基本的なコミュニケーションを、初めのうちに丁寧に交わしておくことの重要性を覚えます。機能的に形式だけ依頼されたことをすれば、確かにお金は入ってくるでしょうし、煩わしさもなく、ビジネスライクで気楽でしょう。でも、私自身は、先方の社会的地位、世界中に及ぼしているさまざまな影響力などに無知ではなかったため、慎重に、あらゆる角度から検討を試みました。こちらのことも、後で誤解されてはならないと思って、少しずつ自己紹介のようなことをしました。超多忙のスケジュールの中、緊張したり疲労がたまっていたこともあって、多少はうるさがられたでしょうが、それを承知の上で、「すぐにお返事がなくても結構です。ただ、ご連絡と報告だけは、こちらから迅速にさせていただきます」と書き添えて、こまめに通信しました。
その結果、これを書いていたちょうど今、先方からのメールが届きました。

よく理解できるよ。こちらも、あの時は疲れてしまっていたんだ。議論はどんどん広がっていくのに、ちっとも本来の依頼が形になってこない。だから、何も始まっていないけれど、やめようかと提案したんだ。でも、いろいろと考えてくれて本当にありがとう。頼み事を引き受けてくれて、とてもうれしいし、光栄だよ。これで、こちらのこと、基本はわかってくれたよね。これからの進展を楽しみにしているよ

やったぁ!粘ったかいがありました。これぞ、東洋人の根気と静謐さ、でしょうか?日本に生まれ育ったことを、心より誇りに思います。先方が、米国生まれの米国育ちであることを、大変に誇りにしているように。何だか、負けるとわかっていながら、硫黄島で粘りと根性で抵抗し抜こうとした、栗林中将のことを思い出しますね(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070722)。栗林氏の態度については、後に米国人も感嘆したのだそうです。