ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

この時期に思うこと

ここ数年、徐々に花粉症がおさまっています。今年も、この時期に及んでも、多少、思い出したように、時折くしゃみが出るのと、目元に軽いかゆみがあるぐらいで、何ともありません(参照:2007年9月3日・2008年3月5日・3月14日・3月16日・2009年3月13日付「ユーリの部屋」)。
これは大変にありがたいことで、仕事の能率の上でも、断然、違いが生じるのではないでしょうか。
大学病院に通っていた別の症状の件でも、「難治病」などと脅されていた割には、病院も薬も面倒でやめてしまったら、一気に症状がおさまってきました!(参照:2008年2月14日・2月15日・2010年8月2日付「ユーリの部屋」)病気にもよるのでしょうが、私の場合、いじらない方が、かえって軽減するようなのです。
結局のところ、精神的な状態と栄養や睡眠などの基本的な生活設計が、症状を左右するようだという帰着に。このところ、戸惑いつつも、自分本来の性向に合致しそうな道が開けつつあるので、その高揚感もあずかっているのかもしれません。また、ストレス・コントロールも、この歳になってようやく、うまくできるようになってきたかと思います。
春の訪れと共に、新たな期待感に満ちています。
一方、忘れてはならないこともあります。昨晩、東北の被災地の手作業による瓦礫撤去作業の様子や、ご年配の人々の淡々とした語り口や、それに対する「震災前に存在していた問題が、震災を契機に浮上してきた」という女性作家のコメントなどを、NHKテレビで少し見ていました。
ところで、この「もともと存在していた問題が、災害を契機に浮上」という表現、実は昨年の「アラブの春」シンポジウムでも、聞いたように記憶しています(参照:2011年4月16日付「ユーリの部屋」)。今から振り返っても、いかにもいかにも日本的なシンポジウムでしたが、その時に直感したのは(そんなこと、改めて言われなくたって...)ということで、余程、のんびりと楽観的に生きている人々が多いということの裏返しなんでしょうか。
例えば、阪神淡路大震災を契機に、一見、仲良し夫婦だったのが突然、離婚に至ったなどという話も見聞しました。第三者的に見れば、元々「仮面夫婦」だったとか、便宜上、家族を装っていたという意味であって、震災によって、マンションや家のローンが支払い不能になり、仕事も失ったとなれば、それは、仮に震災が発生していなかったとしても、早かれ遅かれ、何らかの形で同じような結果になっていたのではなかったか、と思うのです。
先のテレビに戻りますと、考察は重要ですが、コメントしている間に、何かできること、すべきことがあるんじゃないですか、と思ってしまいました。格差、格差というけれども、同じように被災しても、さっさと前向きに生活を立て直している自治体や地域と、1年以上たっても、あまり変化がないというところの根本的な違いは、どこにその原因が見出されるのでしょうか。
話は少し逸れますが、難民問題も、突き詰めていくと、いつまでも援助にすがって難民キャンプで暮らすことに甘んじてしまっている人々と、さっさと見切りをつけ、できるところから手仕事を見つけて暮らしを立て直そうと頑張っていく人々とに大別されるようです。この意味で、シンディ族のマヤ先生との交流は、非常に力強いものでした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080514)。
普段から、ありとあらゆる考えられる最悪の状況に対する備えを整えておき、何とか勇敢に対処できるようになりたいものです。甘い見立てではなく....。
だからこそ、私のできることとしては、まずは、病気持ちの主人との家庭生活を、これまでのように堅実にしっかりと継続していくこと、これに尽きるかと思います。自分達がきちんとしていなければ、物資援助も送金もできないし、共倒れになってしまうからです。
一見、無情なようですが、ドミノ倒しのようにならないためにも、まずは自分の領域を堅固なものにすること。その上で、困窮している人々や地域に思いを寄せつつ、できる限り効果的な方策を考えて実践すること。このように、ささやかながらも考えています。