ツィッター文を転載しました(7)
今日付のツィッター(https://twitter.com/#!/itunalily65)の転載です。記念すべきことは、確かに証拠として記録しておかなければ…。
2012年1月15日
・またまたびっくり仰天!ダニエル・パイプス氏にブログ文章の引用許可を求めるのが遅れたことと、私の英語ブログを掲載してくださったことへのお礼をメールで述べたところ、今日、ご本人からお返事が届いた。私にとっては、雲の上のような知性の輝かしい方なのに、相手をしてくださるなんて...
7 hours ago
・何となく、日本の文系大学には、アメリカたたきに回りたいような傾向が散見される。大国だから、戦争に負けたから、判官びいきになりたいから、などの理由があるだろうが、やはり是々非々だ。2005年夏に初めてアメリカに行った時、こんなに英語を話すのが楽なんて、と地団太踏んだことを思い出す。
6 hours ago
・その昔、MITに留学し、ニュージャージーでも勤務していた主人の話によれば、結局のところ、アメリカとはそういう所らしい。肩書よりも内容が重要で、実力の世界だ、と。しかも、主人によると、英語で書けば、日本人の発想ということで、かえって目立ち、アメリカなどでは喜ばれるのではないか、と。
6 hours ago
・どうも私は、必要以上に長く、マレー・ムスリム世界に浸り過ぎたようだ。そのために、遠慮がちになっている(←これでも?)ところがある。実は、パイプス氏も、私が発信する情報に興味をお持ちのようだ。ご著書に関してご存じなかったことを、私が書いているらしい。早速、新たな課題ができた。
6 hours ago
・というわけで、いろいろと作業をしていたら、またダニエル・パイプス氏からメールが届いた。ユダヤ系は、歴史的経緯から警戒心が強いが、一旦、重要なところで話が合うと、途端に親しみを寄せて、いろいろと助けてくれる人々だと聞いている。まさに氏もそのような方のようだ。本当に夢みたいだわ!
1 hour ago
・ともかく、ダニエル・パイプス氏のように、先見の明を持って重要な仕事をされていた方を非難するなんて!米国の中東研究の偏りが指摘されてしばらくたつが、どうやら日本もその路線上にあるようだ。池内恵氏が、お若いながらも果敢に挑み、徐々に理解者が増えたと述懐されていたのは、最近のこと。
1 hour ago
←(後注:「池内恵氏」に関しては、2007年11月27日・2008年4月16日・5月19日・6月13日・6月19日・6月28日・2009年1月12日・2月13日・5月2日・5月7日・7月25日・2011年4月12日付「ユーリの部屋」参照)
・換言すれば、根は同じところにある。中東研究であれ、東南アジア研究であれ、ユダヤ・キリスト教とイスラームが絡み合うところでは、日米共に左派の「知識人」が優勢なようなのだ。しかし、常にそうだったわけではない。どうも、あの1968年前後の学生運動が日米両国で学界に影響を及ぼしている!
1 hour ago
・You Tubeで拝見している限り、テレビでもよくインタビューを受け、著名な大学にも講演に呼ばれ、若い頃よりも今の方が、より学者的な雰囲気を漂わせていらっしゃる。ところが、この度、案外に気さくで茶目っ気のある方でもあることがわかった。公式サイトを見ていると、何だか茶番劇だ。
34 minutes ago
・茶番というのは、パイプス氏が数倍も上手で、皮肉も込めて余裕たっぷりに振舞っているので、深刻な問題ながらも、つい笑えてしまうのだ。日本ならば、こうはいかない。やはり、きちんとした知識の蓄積が不足しているからだろうか。パイプス氏は、「こんな風に出会えるなんてうれしい」と、私に。
31 minutes ago
・本当にお時間を割いていただけるだけでも、恐縮の至り。それにしても、せっかくの京都での記念講演に、招待する方を間違えたのでは?それとも、招待側の好み?あるいは限界?海外では、自分の実力がそのまま反映されてしまい、取り繕いができないと痛感している。結局、類は友を呼ぶのだろうか?
1 minute ago
(転載終)
これはダニエル・パイプス氏宛のメールにも書いたことですが、お名前を初めて知ったのは、2007年3月初旬のイスラエル初旅行から帰国した直後でした。
当時は、一神教の問題について、自分が関与していた大学の仕事の絡みで、どうにも心と頭の整理がつかず、錯綜した気持ちから、是非イスラエルをこの目で見てみたいと願っての参加。行ってみたら、何とも一目瞭然!こういうことだったのか、と拍子抜けし、同時に、歴史を生きるとはこのことかと、ユダヤ人の深い魂に心打たれました(参照:2007年12月9日・2008年2月27日・2008年3月23日・2009年6月1日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071209)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080323)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090601))。
その後、テル・アヴィヴ大学の研究調査を英語で読んでいた時、アラブ系イスラエル人の宗教と歴史感覚の複雑な問題に対して、別のサイトで実に明快にあっさりと説明していたのが、ダニエル・パイプス氏。早速、自分で日本語訳しながら箇条書きにノートにまとめておきました。ただし、中東問題の研究者だから、という理由で、特に自分のテーマに直接関わりがある方だとは、その時には思いもしませんでした。
今では深く後悔しています。なぜ、もう一歩踏み込んで、1983年に出版された“In the Path of God : Islam and Political Power”をもっと早くから読んでおかなかったのか、と。それ以上に、マレーシアのイスラームにも深い洞察を示す具体的な記述がこんなにあるのに、なぜ、最近まで気づかないままでいたのか、と。
そのこともメールで申し添えると、大変喜んでくださり、「この本は、自分にとって最も大切な仕事だと思う」と。ともかく、読んでいて爽快というのか、記述の水準が高く、難しいところも実に説得力に満ちていて、昔の(とはいえ、それほど古い話でもないのでしょうが)、ハーヴァード大学の博士とは、こういう風だったのになぁ、と....。
それに引き換え、この頃のアメリカの著名大学は、これまたYou Tubeで見る限り、何だか雰囲気が変なんです。例えば2004年、ダニエル・パイプス氏の講演会が、かのバークレー校で開催されたのに、満員のホールから、突如ボイコットやブーイングが始まり、困った様子のパイプス氏が腕組みをして、黙ったまま学生達を見つめていた姿も忘れられません。
これら学生達の失礼な態度に輪をかけて、別の意味で言論上のけしかけを後押ししているらしいのが、どうやらエスポジト教授のようなのです。そして、2011年12月20日の講演会を機に、三週間ほどの慎重な考察と調べ物を通して、勝敗は決定的になってしまいました。墓穴を掘るとはこのことかもしれません(参照:2011年12月21日・12月27日・2012年1月13日・1月14日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114))。
学生達に言いたい。反対意見があるならば、なぜ落ち着いて質疑応答で礼儀正しく尋ねないのですか。目上の方に対して無礼だとは思いませんか。アメリカの自由とは、質実で謙虚で勤勉な人々によって、大きく幻を見上げながら開拓されたところに始まったのではなかったですか。