ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

袖触り合うも多生の縁

昨日の‘閉鎖的’な学校体制について。
夜遅く帰宅した主人に、「アマースト大学に資料がありそうだって。ロバート・ハント先生がメールくれたよ。私の質問にヒントを得て、自分で調べてくれたんだよね。アマーストというところが、意外性あるよね。新島襄ばかり言っていると、まさか、英領マラヤと結びついているなんて、普通思わないもんね。人脈というより、問題意識が共有できれば、教えてもらえるんだね」「でも、アダ先生がせっかく道を開こうとされたのに、閉ざす人がいたんだもん」と報告。
すると、アメリカ駐在経験者だった主人は、
アマーストならマサチューセッツにある。昔、よく名前を聞いた。そんなもん、自分で勝手にルートつけて見に行けば?目的がはっきりしていたら、何とかなるよ」と。「自分ができないから、門戸を閉ざすんだ。そんな人、相手にするな。人間関係が大事だって?どうして、専門でもない、変なことしてくる人を重視しなければいけないんだ?そうやって、資料のありかを教えてくれて、話の合う人との関係に集中しなさい」
...と、こうなるわけです、結局のところ。
私は、いつでも口頭発表のレジュメに、お世話になった関係者を、たとえ肩書はなくとも、その人のおかげで助かったという場合、必ずお名前を入れています。人によっては、そこにも細工を入れ、「所属のない人を載せると、自分の価値が下がるから嫌だ」とまで言い切ることがあります。それを聞いた時、(そんな自信のない、視野の狭い人って嫌だな)と、つい思ってしまいました。
以前も書いたかと思いますが、人はどこでどのようにつながっているか、その人の背景がどうなのかは、表面だけではわからないのです。だから、仏教説話などの「袖触り合うも多生の縁」とは、よく言ったものだと思います。
でも、大ボケの私は、時々、数字の混じった暗号(?)でメールをいただくと、混乱して初対面かと間違えて対応してしまいます(参照:2011年10月18日付「ユーリの部屋」のコメント欄)。これは、よそ事に夢中になって慌てていたことと、記号に弱いことからくるためであって、何卒ご寛大にお許しいただければと思います。