ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシアの象徴の由来

以下は、例によって2003年7月20日からしばらく、いずれ担当する授業で使えるかもしれないとふと思い、メモ風に書き付けておいたものです。当時は、今よりネット情報も少なく、この程度の情報でも、自分なりに貴重だと思っていました。参考文献は、2010年3月9日付「ユーリの部屋」でご紹介した、1960年代にマレーシアの現地調査を半年された研究グループの先生から譲り受けたものです。
今では当たり前の内容であっても、当時はまだ珍しかった、という意味で、ここに再掲いたします。自国以外の国の象徴の由来を調べることによって、意外な盲点が刺激されるものです。なお、中には間違いが含まれているかもしれませんが、何かお気づきの方は、どうぞご遠慮なくお知らせください。(ユーリ)

・国歌

ペラの王族メンバーによれば、国歌は1880年代のセイシェル(Seychelles. インド洋西部の群島,フランス系白人と黒人の混血が大部分,宗教はカトリック公用語は英語とフランス語,人口7万8千人)で人気のあった調べに基づくという。この旋律は、英国によってセイシェルへ追放された元スルタンのアブドッラー氏の息子達に集められ、彼らの影響下で、1888年スルタン・イドリス一世がロンドンを訪れていた時、ペラの特別な州歌に選ばれた。違ったルートによって、Terang Bulan(月光)として知られる旋律がマレー貴族の間で有名になり、後に大戦前のマラヤの夜会で人気が出た。Terang Bulanは、今日までペラ州歌に残っている。(Information Malaysia 1986 Yearbook, p.62)
Q1:なぜペラ州なのか?
Q2:セイシェルとマラヤの関係は何か?

・国旗
 国旗は、州の統合として赤と白の同幅の14本の縞、深青の背景、三日月と星を併せて構成されている。赤と白の縞模様は、連邦各州と連邦政府の平等な地位を意味している。上方四分の一の深青は、マレーシアの人々の統合を表わしている。三日月はイスラームの象徴を示し、14の角を持つ星は、13州と連邦政府の統合を含意する。三日月と星の黄色は、支配者のロイヤルカラーである。(Information Malaysia 1986 Yearbook, p.61)
Q1:サバ・サラワク統合前のマラヤの国旗は?
Q2:この国旗の起草者は誰か?

・紋章

マレーシアの紋章は、14の角を持つ星で、13州と連邦政府の平等な地位を表している。星と三日月は、イスラームの伝統的な象徴を形成している。5つのクリス(短剣)は、ジョホール、ケダー、クランタン、プルリス、トレンガヌ州の旧非連邦マレー州を表象している。旧連邦マレー州のヌグリ・スンビラン、パハン、ペラ、スランゴール州は、4つの中央にあるパネルで表され、州の色で順列されている(赤、黒、黄色はヌグリ・スンビラン州、黒と白はパハン州、黒、白、黄色はペラ州、赤、黄色はスランゴール州)。左側の盾はペナン島、右側の部分はマラッカの木を表す。サバとサラワク州は左と右の区分の下で表わされ、中央には国花であるBunga Raya(ハイビスカス)がある。両側の後足で立った虎は、かつてのマラヤ連邦(そして連邦マラヤ州)の紋章を保持したものである。標語をマレー語と英語版で記した巻物の黄色は、支配者のロイヤルカラーである。(Information Malaysia 1986 Yearbook, p.61-62)
Q:Bersekutu / Bertambah Mutuの意味は何か?
注1:Mutu- quality, degree, value
注2:ジャウィ表記

・国花
国花はbunga raya(ハイビスカス)。いつこの花がマレーシアにもたらされたのかは不明だが、恐らく12世紀前に、中国、日本、太平洋諸島に原産のある土地から貿易によって伝えられたのだろうということは間違いがない。当初は専ら医療に用いられた。花弁は普通、女性のまゆ毛を染めるのに使われた。根っこを熱さましや他の病気の治療に使う人もいまだにいる。皮膚の発疹や腺の病気は、葉や根からとれた汁を塗ることで癒されると言われている。葉を湿布にして頭痛を治すこともある。
bunga rayaは、今日マレーシアで多く見出される。幾種もの色に生長し、5つの花弁の種がマレーシアの国花に選ばれた。
(Information Malaysia 1986 Yearbook, p.62)

*『マレーシア情報1978/79』には、さらに詳しい説明がある(p.11)

(課題)それぞれ日本の象徴と比べてみよう。
(2003.07.20−28)