ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

かくして実現した出会い

5月8日。と言えば、ドイツのヴァイゼッカー大統領の有名な「荒野の四十年」の演説を思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090508)。もちろん、最初はラジオを通してドイツ語で聞き、その後、ドイツ語のテクストも入手し、解説付き演説テープも購入した。ドイツの留学生から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080813)、関連するドイツ語の切り抜き新聞記事をもらったりもした。
独文科でもなかったのに、学生時代は当然のように、このような作業をしていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)。学生というからには、最低限これぐらいのことをするものだと真剣に思い、何ら自分は特別だとは思っていなかった。今でもそうだ。
そういうことを考えると、この頃の日本は、高齢化問題にせよ、大学の水準低下にせよ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140323)、社会全体が劣化し過ぎていないか?寿命が延びると、それそのものは目出度いのだが、人間性にどこか甘えが出てきはしないか?長い間学校に留まり続けると、社会性が麻痺してこないか?(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140331)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140404

ちょうど一ヶ月前の今日は、ニューヨーク市にいたのだった。本当に、今から考えても夢のような時間。9年ぶりに二度目の米国旅行、しかも今度は初めての単独ニューヨーク市。その昔、主人が4年間暮らし、学び、働いていた東海岸で、9.11直前までは、毎月のように出張もしていたアメリカ。そこへ今度は、ご招待を受けて、私が一人で出かけることになったのだ。
場所はペンシルヴェニア倶楽部。世界中の人が憧れるごちゃごちゃしたニューヨーク市(ごめんなさい!)の一等地に立脚する、風雅で伝統的な、私にとっては身分不相応に場違いな場でもあったのだが、ご招待はご招待。健康と身の安全に留意しながら、お約束と目的をきっちり果たすことだけを念頭に、緊張しつつも準備に慌ただしかった出発直前には、ご丁寧にも、見知らぬ初めてのスタッフから「リマインダ」まで届いていた。(ところで、この方にお会いできたのかしら?)
半日以上の時差があるため、私の方が先に動くことになるのだが、ご招待された側も、それなりの高揚感と緊張感がおありだったのだろう。荷物をまとめて出発直前一時間前に、何とか最新訳文のうち、最終チェック修正を入れた2本を送信し(http://www.danielpipes.org/14256/)(http://www.danielpipes.org/14259/)、「これを送ったら、すぐに東京経由でそちらに向かいます」とメールを添えた。すると直後に、「すごいね!こっちはもう、ニューヨーク市に入っているよ」と返信。ところが、iPhoneに不慣れだったこともあり、メッセージを機内で読むことはできても、応答不可能で、到着予定を見計らって届いた「ニューヨークへようこそ」という歓迎のご挨拶メールにもお返事できずに、そのまま直接お目にかかることになったのだ。
結局のところ、先方からのお誘いによって二度、面会の機会が実現した。その他にもかなり頻繁にメールを頂戴し、過越祭の頃にも、ご家族とご実家に帰られたらしく、「ボストンに来られるかな?それとも、コネティカット州だけに留まるの?」と新たに控えめなお誘いをいただいた。もしも、もっと私がアメリカの地理に親しんでいて、時差疲れもなく、時間にもたっぷりと余裕があったならば、是非ともご一緒したいところだった。が、念願の他の目的も二つ兼ね添えていたので、ギリギリのスケジュールで体調を崩したりして、かえって皆様のご迷惑になってはいけないと自重し、残念だったが次回に回すことにした。
とにかく、この旅の経験はとても深く長く、単に写真を見せて「行ってきました!」程度では済ませることのできないものだった。大抵、私の場合はそうであるが、一つ一つの経験数は限られているものの、経験を反芻し、自分の内面で増幅し拡大深化する時間がかなり必要なのだ。
だから、帰国後、荷物の片付けや留守中にたまった用件を済ませる作業そのものは簡単だったのだが、完全な時差ぼけ回復に一週間かかり、まだ945枚の写真の整理および、お会いした方全員へのお礼状は終わっていない。そして、お土産を渡せなかった方へ、その後の東北旅行(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140502)で購入したものをお送りする作業はこれからだ。
それほどまでに濃密な時間だった。いくら飛行機旅行が便利になり、グローバル化で地球全体を簡単に飛び回れる時代になったからといって、忙しくスケジュールをこなしつつ、あたふたと動き回るばかりが充実した人生とは言えないと、断言できる。
今日は導入程度に、ここまで。肝心の業務関連の中身については、また後日に。
追記すべき一言があるとすれば、突然、降って湧いたような遭遇(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)から二年以上の‘文通’を経て、公的な記念行事を機にようやく直接の面識を二度得た。その後の二人だけの仕事絡みの個人会話その他を二回通して、この度、私達は「メル友」を越えて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)、正式に本格的に、双方の家族公認の「友達」になった。今では、安心して私を名前で呼ぶようになっている。(これまでは、相手が日本女性で既婚者だからか、驚くほど、おずおずと遠慮深かったのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120306)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)。)

また、二度目の行事では、真ん中のお嬢さんを同伴されていたのだが、彼女のことは、まだ三歳だった頃からの「○○○ちゃん物語」を私は密かに作っていて、主人を相手によく自作自演をしていた。「アカデミック過ぎる」おじいちゃまの自叙伝に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130312)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130712)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)、本当にあどけない可愛い顔をしてパパの腕に抱かれた、ちっちゃな彼女が写っている家族写真が掲載されていたからだ。3月半ば、半分冗談で「娘さん達を連れて来ることを期待しています」と、この度の渡米について助言を求めた方に口にしていたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140323)、まさか本当に、その彼女が等身大で目の前に現れるとは、いくら想像力豊かな(?)さすがの私もびっくり仰天だった。階段を上がって会場の受付が目に入った途端、私の名前を嬉しそうに叫んだのが彼女だった。実際にお会いしてみると、実に快活で素直な、よく躾けられた愛らしい妙齢のお嬢さんで、すっかり好きになった。彼女はお父様のことを誇りにしていて、「うちの父があなたのこと、家でいつでも話しているの。日本の訳者は素晴らしいって。中東のことを書く前、本当は父は日本について書きたかったのよ。私も、姉と母と一緒に、二度も日本に旅行したの。日本、大好き!」と、こんな感じ。とても初対面とは思えないほど、楽しく話が弾んだ。
しかも、初耳だったことには、弟さんも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130312)1972年に神戸に留学されていたのみならず、広重の収集をされていたお父様も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)、ご夫妻で1970年に来日されており、私の帰国後、日本の教授とご一緒の写真を送ってくださった。とにかく、ご一家揃って、さまざまな形で日本と好意的に関わっていらしたのだ。
普段は表向き、私生活について一切口をつぐんでいらっしゃることが多かったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130713)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140204)、そもそも、ご家族の深い理解と支援あっての長年の多彩な活動である。日本風に言えば、まさに「内助の功」だ。それに、口には出されないが、ご本人はもちろんのこと、思春期のお嬢さん達にとっても、公私ともに、さまざまな葛藤や確執の時期もあったことだろうと思われる。だからこそ、記念日に合わせて、ご家族お一人お一人に、ささやかな日本のお土産物をお渡ししたかったのだ。「僕には政敵が多いから、情報を与えないように、娘達を守っているんだ」ともおっしゃった。確かに、二年前に依頼されたことを開始する際、私が最も心を痛めていたのが、そのことだった。こんな思い切った大胆な発言を物ともされないなんて、身の危険はないのかしら、と。それだけに、一つ一つの発言には相当の重みがあり、まさに体を張っての覚悟だったのだということを、改めて実感した。訳者として、行間からそれを痛感するだけに、私なりの共感をお伝えしたかった。
ただ電子文字だけでの交流ではなく、実際にお目にかかってみると、ウェブサイトで拝見する印象を裏切らない、あのままの方だった。知的な家庭に生まれ育ち、若い頃からエリート教育を受け、そのように自覚もされ、訓練されてきたために、仕事上の手さばきと時間管理は大変にお見事。私が長年、日本で求め続けてきた心地よさがあった。その一方で、人柄としては全く飾りっ気のない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120424)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)、真っ直ぐで真面目で、はにかみ屋かつ内向的な、とても温かい心根の方だということがわかって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)、非常におもしろかった。政治見解の相違から来る「敵」は、プライバシーを固く守らなければならないほど確かに多いのかもしれないが、その反面、熱心な支援者も多く、その支援者の雰囲気も、好感の持てる親しみのこもったものだった。

この滞在中、一貫して興奮状態というよりは、我ながら驚くほど実は冷静だったのだが、今から思えば、しかるべくしてかくなった出会いだったのかもしれない。

2007年3月に初めてイスラエルを旅行した直後に、エルサレムを巡る理路整然としたご論文と出会い、驚きと感動のうちにノートを取り(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)(そのノートは今回、娘さんとご本人にもお見せした)、それがきっかけで、ご著者の背景に深く関心を引かれたこと、その後、2004年2月収録のバークレーでのテレビ対談(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121012)を見た時に感じた不思議な内的経験(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120809)、しかしながら、あまりの出身や知的背景の相違に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、私なんて所詮無関係だろうと思っていたところ、本当にイスラエル旅行の5年後に先方から私の書いた小さな英文が引用されたばかりか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)、「自分が書いたものが日本語になるのを見たい」とまで言われるようになって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)、まさに青天の霹靂....(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)。そしてその7年後のこの度、実際に面会の機が与えられた。人生って、やはり妙味があり、乙なもの。

二人だけでいろいろ自由にお喋りしていると、かなり私を信頼されているらしいことがわかったし、時にやや脇の甘い、とぼけたところもあり、実に茶目っ気たっぷりで愛嬌のある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130910)、ロマンスグレーのかわいいおじさま紳士(?)だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130718)。三人の娘さん達がまだお若いこともあってか、私との年齢差なんて、最初からまるで眼中にないかのようだった。本当に、イランやロシアのテレビ番組で見せる、大真面目で気難しい風貌とは違って、リラックスして信用のおける場では独特の個性が滲み出て、とても楽しい方だった。多分そこが、長年のテレビ出演に招かれた理由でもあったのだろう。

今回、ここにこのように書いたのは、あれほど大量の著述が生まれる現場の雰囲気に触れることの大切さを痛感したこともさることながら、日本の著名な中東学者の一部や日本語ブロガーが、論文や著書の中で、彼の発言のほんの部分だけを取り上げて問題視するばかりか、人格攻撃すれすれの記述まで残してきたことの危険性を思うからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120731)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)。特に、ご本人のみならず、ご家族、中でも多感な年頃の娘さん達への直接間接の影響も考慮しなければならない。当日、「お父さんがパレスチナ人や左派から攻撃を受けていた頃、あなた、学校で怖くなかった?大丈夫だった?」と尋ねてみたところ、「ううん、私は怖くなかったわ。クラスメートの中には、確かに変なこと言う人もいたけど、でも大丈夫」と、一応は気丈なところを見せた娘さんではあったが....。

念のために繰り返すが、私がブログで過去二年以上書き綴ってきたことは、全て私一人の自発性に基づくものであり、そこには一切、陰謀も作為も操作もない。先方から依頼されたのは、あくまで訳業だけで、二つの英語ブログ上の文献引用や映像のアドレス列挙その他は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Daniel+Pipes%22)(http://pub.ne.jp/itunalily/?cat_id=175398)、全く私自身の発案に過ぎない。また、訳業に対する謝礼として、もちろん必要十分条件を満たすに不足は全くないが、だからといって、それほどふんだんにいただいているわけでもない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120415)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130322)。それは、今回お目にかかったスタッフや支援者達の顔ぶれを見れば、大体想像がつくというものである。

それに、これまで二度ほど、ちょっとした行き違いや文化見解の相違から彼と喧嘩になったことはあったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)、それさえ、このブログで公開してきた。主人が「喧嘩しても、よくそこまで文通が続くもんだねぇ。よっぽど気が合うんだね」「あの先生と、いい友達みたいになれそうじゃないか」と最初の頃からいつも笑っているが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120522)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)、確かにそういうことはあるのだろう。それ以上に、どこでどのように確認しているのか、「時々は、僕に関してあんたの引き出す結論にびっくりさせられるけど、そうであっても好きなんだ、実は」とも書いてこられたことがある。

よし、今度はご両親がご健在の間に、絶対にボストンへ行くぞ!実は水面下で、次に会う場所(国)を少しずつ打ち合わせし始めているのだ。二度目に会った後から、滞米中、何度も「会えてうれしかった」「今週は二度も会えて、喜びだった」「今度はもっと僕の家族にも会ってね」「また会おうね」などと次々に短信が届いた。そして、帰国を知らせるとすぐに「遠からぬうちに、僕達また会うよ。きっとだよ」とメールが来た。まずは、時差ぼけ解消と疲労感を緩和するために、何よりも安定した治安のよい場でくつろいでいただくことを、そして、可能ならば、相互の研究対象や仕事関係で適切な所があればと、考えているところである。

とはいえ、まだ滞在ノートと写真の整理が終わっていない。お礼状もこれからの方が何人かある。もう一つの目的であった、コネティカット州の二つの図書館で依頼した大量の研究資料複写が届くのは、これからだ。
一ヶ月と言えば、本当は一仕事終わっていなければならない時間ではあるが、人生には、忙しく機械的に予定をこなし続けるだけでは味わえない重要かつ大切な契機というものが、確かにあるのだ。

最後に、ここまで読んでくださった皆様に心からの御礼を。

これまで過去二年間以上、乏しい力の全てを注いで熱中してきた訳業であるが、非専門分野における邦訳の責任を表明するためにも、そして日本語圏での読者層拡大に向けての宣伝も兼ねて、極力フェイスブックにつなげ(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)、このブログでもほんの一部をアドレスで紹介してきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=danielpipes&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=danielpipes)。実のところ、フェイスブックで「like」を押す人数が限られていたこともあり、自分では訳文がどの程度読まれているのか、全くわからなかった。本当に中東やイスラーム問題に関心のある人ならば、日本でも直接(私が従来してきたように)英語原文で読んでいらっしゃるだろうし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)、どういう意味を込めて日本語に訳すべきなのか、毎回、暗中模索だったのだ。
だから、「日本語ページを作れ」と指示が出された昨年秋には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131120)、よろず慎重な私が、あれこれごちゃごちゃと書き連ねてしまい、たまたま彼の方は疲れる旅の最中だったこともあって、挙げ句の果てに、ご機嫌を損ねられたこともあった。今回、お会いできるうちにお目にかかっておきたいと願ったのは、やはり面識のないままメールだけのやり取りでは意思疎通が不充分だと思い、解消できる誤解は解ける間に解こう、という意図も含めていた。
ところが、あれこれの資料持参で説明しようとしたところ、資料そのものにはあまり関心がない様子で、じっと私を慈しむように見つめ、急にささやくような声になって「日本人って本当におもしろいね」と一言。「アメリカだとね、何でも思い立ったら、あれこれ考えないで、まずやってみるんだよ。うまくいかなかったら、それはその時にまた考えればいい。だって、アップルだってガレージから始まったんだよ。中東フォーラムだって、我が家の台所から始まった(http://www.danielpipes.org/12184/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)。最初は夜も眠れなかった。僕達、サラリーなしで働いていたんだよ。9.11の発生前までは僕、孤立感を覚えていたしね。それが二十年経つと、ここまで人々に支持され、続けることができた。日本の場合は違うみたいだね。まず、何でも大きな枠組みを想定して、その中で細かく、いろんな角度から予め物事を考えるんだね。きっちりしているよ。僕達も、これからはもう少し、日本のやり方を見習わなければならないね」と。
思わず、「お世辞をありがとうございます」と返答してしまったが、国際電話(というのも今では古めかしい表現)ならぬスカイプ電話で主人に伝えると、(わ!)と驚いたように息を呑んで喜んでくれた。実際、1980年代の日米貿易摩擦を初めとする、数々の日米文化摩擦というものは、従来から昨今のTPPに至るまでとかく話題に事欠かない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130504)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131211)。敗戦国民としての心理意識を今でもどこかで引きずっている我々日本人には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)、安易なアメリカナイズを必ずしも快くも絶対だとも思わないにせよ、国力の大きな相違から、交渉面では何かと相手に合わせざるを得ないことが多かったのが事実だと思う。
ところが、彼の場合は、一家揃って長年、日本と好意的に接触してきたという実績も相俟ってか、本当に私の考え方を素直に尊重してくださるのだ。これは本当にありがたいことと、感謝以外の何物でもない。
と、話はすっかり逸れてしまったが、実は彼の方こそ、私のこまごました杞憂をとっくに汲み取ってくださっていたのだった。だから、提案があった時点で、(何をゴチャゴチャ言ってんだよ)と苦笑されていたのかもしれない。日本人は直接「ノー」と言うのを失礼だと考える文化だから、間接的に別の理由を挙げることで断ってきたと考えられたのかもしれない。ともかく、直接会うことの利便で、即座にさりげなく手持ちのスマホを見せて、「そんなに不安に思わなくてもいいんだよ。ちゃんとデータがあるよ」とばかりに、日本語ページ・ビューの一覧表に言及された。
具体的には、後でメール・アドレスが送られてきたことで判明したのだが、自分が思っていた以上に、たった二年間なのに、その割には相当の読者数およびアクセス数があることがわかり、驚いた。他言語と比較しても、もちろん、フランス語やイタリア語やドイツ語などと比べれば相違があるが、それは、イスラーム認識や中東との接触経験が歴史的に違うので、当然と言えば当然のこと。しかし、7年以上前から始まったはずの翻訳言語の中には、話者人口数から見ても、著者の文化背景との関連からも、もっとアクセスがあってもよさそうなのに、明らかに日本語以下のアクセス数しかないものもあった。これは、機械的な自動翻訳ではわからない醍醐味だと思われる。それに、各言語文化圏における一種の知的水準を反映しているかとも思う。その点で、日本は健闘している。
また、どの訳文が人気があり、いつ読まれたか、どの程度頻繁に読まれているかも一目瞭然だった。実は、私なりの大雑把な訳文選択の基準として、必要最低限、依頼されている定期的なコラム以外に、(1)内容と専門性から、私にとって興味深いと思ったもの(まずは訳者が前向きにならなければ何事も始まらない)(2)私が知る限り、日本語圏に知らせる必要性があると思ったもの(3)これまでのところ一見微細なテーマではあるが、本質を鋭く突いていると考えられるもの(4)最新情報と重要な分析が含まれているもの(5)意見を異にするものであっても、考察や議論の叩き台として必要なテーマ(6)誤解の是正のために訳出しておくべき、明らかに悪質かつ意図的な個人攻撃に対する反論、などと大凡分類して、できる限り幅広く取り上げるように心がけ、インターネットの検索上、何らかのきっかけで引っかかり、目に留まって読者へと結びつくならいいな、と密かに考えていた。それがその通り、ほぼ展開されていたのは、大きな喜びと自信につながった。
実はこのデータ、エルサレムのウェブ担当者にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130715)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130828)、私の方からかなり前に尋ねていたのだった。ところが彼曰く、「日本語ページがない以上、こっちにはわからないよ」との返事。だから、あきらめてもいた。

しかし、事実は全く違っていて、ちゃんと客観データがリスト化できるプログラムが設定されていたのだった。それはそうでしょう、紙媒体から電子媒体に移行した時期がうまく波に乗って、今でも6600万人のページ・アクセスを誇っているサイトの著者なのだ。自分から依頼した、それも長年密かに好意を寄せていた国の翻訳が、ただ本数だけ増えればいいと満足するはずがない。国内外を頻繁に飛び回る超多忙な生活のために、逐一、それほど細かなケアはできないのかもしれないが、すべきことは手抜かりなく、しっかりとされているプロフェッショナルなのだ。
話はすっかり長くなったが、一ヶ月後の深く長い余韻の総括第一弾として、改めて皆様に深く御礼申し上げて、今日のところは、この辺りで閉じさせていただく。
引き続き、アメリカのお土産話をどうぞお楽しみに!