ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

広がり、深さ、高みを求めて

「人の書いたものを読んでいると、何も書けなくなる」とは、昔からよく聞くところです。物理的時間が減るから、ということもありますが、既に公表された知識や情報の後追いをしていては、自分のオリジナリティや新鮮さが失われる、という意味でもあります。そのため、人の考えに煩わされないように、「他人の書いたものは一切読まず、自分の頭からアイデアを引き出す」と、公言している人もいます。
確かに、現代のように、価値観や関心を共有する人々が国境を超えて瞬時に交流するような時代には、連絡に応答しているだけでも、時間が過ぎてしまいます。中には、文章を送ってきて反応を知りたがっておきながら、こちらがコメントをしても返事がないことさえあります。自分が期待したような感想ではないからなのかもしれませんが、いくら多忙であったとしても、それは失礼な態度だと思います。これでは、相手をモノ扱いしているだけで交流になっておらず、たとえ立派なことを主張していたとしても、単なる自己表現の一方的な押しつけに過ぎません。
それに関連して、昨日も書いたように、自分にとって都合のいい部分だけを相手から切り取って、場面や目的に応じて多角的に付き合うというやり方は、要領よくスマートなようでいて、危険な兆候でもあるのではないかと思います。世の中は自分の思い通りに行かないことが多く、相手にも自分が知らない点や見たくない面が備わっているのに、それが現実であるとは受けとめず、自分本位に相手を操作することにつながるからです。
おとといの晩、眺めていた雑誌に、「自分にとって(能力的に)脅威になる30人の部下をどんどん切り捨てて、出世した」と自画自賛していた事例が出てきました。(馬鹿な人、どんな組織か見てみたい)と思いますが、これなどは、その最たるものです。

ですから、要領悪く遠回りのようであっても、専門以外にも多くの本を読み、いろいろな勉強を続けていきたいと思います。いつも受信体の役割ばかりしているようですが、何も発信ばかりが能ではありません。そして、自分に軸がしっかりあればこそ、よりよい受け手、よりよい判断者になれるのではないでしょうか。そちらの方が、発信量や交友人数を誇るより、余程、大切なことではないかと思います。