ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

現代の電子ツール

読書メーター」がどうもうまく機能しないため、代わりに「ツィッター」を使うことにし、短い感想をつけています(参照:http://twitter.com/#!/itunalily65)。借りた本はほとんど、ノートにメモを残し、必要ならば部分複写を取っています。中には、どうしても性に合わなかったり、時間不足で読めないまま返却する本もありますが、そのことも含めて書いています。
フォローしたいとメールで連絡してくださる方は、どういうわけか男性ばかりです。リンクや連絡は自由にしていますが、そもそも、顔も知らない他の人とのチャット目的で開設したのではないため、自然とはがれ落ちていきます。それでよいと思っています。
フェイスブックなるものは、2006年11月末にクアラルンプールの会合で知り合ったマレー人のイスラーム法学者が(参照:2007年11月1日付「ユーリの部屋」)、しばらく経ってから何かの折に、勧めてくれました。友人の長男からも、「アンティ、フェイスブックやろうよ」と誘われましたが、若い子がするものだと思って、その時には断りました。マレーシア人は、あっという間に大勢の人々とつながるのが好きそうなので、そのまま放置。ところが、気がついたら、リサーチ上で知り合い、お世話になっている人々もフェイスブックで連絡を取り合っていることがわかり、早速、昨日作り直しました(参照:http://www.facebook.com/profile.php?id=1667289011&ref=profile&v=info)。地味ですが、当分はこのままでいく予定です。
弟が学生時代にサークルで一緒だったという作家の平野啓一郎氏が(参照:2007年11月4日付「ユーリの部屋」)、しばらく前に、もし私の記憶と理解が正しければ、一人の人間が複数のアイデンティティを持っている現代の人間関係は、全人格的に丸ごと付き合うのではなく、自分の中にある各側面や目的に合致する部分ごとに、多面的にそれぞれの人とつながっているのだ、という意味のことを書いていました。弟を見ていてもそれは感じられたところで、私とは勉強関係、妹とは遊び関係、と二人の姉を使い分けていました。つまり、自分にとって都合のいいところだけ相手から切り取って、役立てようとするのです。勝手で失礼なヤツ、と腹が立ちましたが、コンピューターゲームで育った世代では、そうならざるを得ないようです。
しかし考えてみれば、いつの間にか私も、ブログとツィッターとメールを使い分けています。もちろん、公開しない手書きノートも、紙媒体として併存しています。
そもそも、フェイスブックの考案者は、ハーヴァード大学の学生。他の学生や友人が何をしているか、気になってたまらない年頃という心理にヒントを得て、開発したのだそうです(参照:“Courrier Japon”, Vol.6, No.11, p.29)。自分のことだけでも精一杯の私は、ブログやツィッターなどを通して、それまではわからなかった、その人らしさや関心の幅や人間関係の片鱗がうかがえたりすると、現代の電子ツールもまんざら欠点ばかりじゃなし、と感謝したくなります。
本当は、これまで活字になった文章を集めた本格的なホームページを作るよう、数年前から主人に促されているのですが、なかなか思うように進みません。いつになりますことやら....。